世界の作曲家が描いた日本 (2) ドビュッシー 交響詩「海」

ドビュッシーの作品の中でもとりわけ著名なこの作品の制作経緯は実に曖昧。当初、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」がそのスコアの表紙にあしらわれたことから、日本をイメージした作品であると長らく考えられてきたわけだけれども、もちろん、ドビュッシーは日本への訪日経験はない。これらはいずれも、この作品が作られる半世紀前から「発見」された日本から輸出される多くの「商品」が、300年前にやはりフランスがオランダやイギリスと共に「発見」した中国がシノワズリとして一つの文化咀嚼 (租借)が行われたように、これもまたジャポニスムとして歓迎されたことが影響している。ピエール=オーギュスト・ルノワールやエドゥアルト・マネ、フィンセント・ファン・ゴッホなどの画家が日本の浮世絵を再解釈し、こうしたフランスで醸成された空想上の日本が巡り巡ってドビュッシーの元へと流れ着いたという経緯がある。もちろんそれは1858年に締結された不平等条約の日仏修好通商条約による巻き上げによるものでもあることも忘れてはならない。

一方で北斎の波を題材にしていると思われていた本作は、作家のカミーユ・モクレールの小説「サンギエール諸島の美しい海」に基づいているとも言われている。そもそもモクレール自身がナディア・ブーランジェやエルネスト・ブロッホ、エルンスト・ショーソンなどの名だたる音楽家と親交があったり、また自身もロベルト・シューマンの評伝や音楽史に関する著作を残していることからも分かるように、フランスの楽壇の人々と非常に近い場所に位置する人でもあるのだから、それを当然、ドビュッシーが知らないはずがないと言う了見からなのでしょう。なお内容は大したものではない。同じ時期にプルーストが『失われた時を求めて』を、アンドレ・ジッドが『狭き門』を著している頃、またエミール・ゾラが1870年代に『ナナ』を、1880年代にギー・ド・モーパッサンが『脂肪の塊』を発表していることを思うと、どうにも力負けした筋書きだ。
ところでドビュッシーに対するモクレールがそうであるように、僕は時折、この関係をグスタフ・マーラーに対するジャン・パウルと混濁する時がある。あるいはこれは決して混ざることはないけれど、リヒャルト・シュトラウスに対するフーゴ・フォン・ホフマンスタールやジャン=フィリップ・ラモーに対するルイ・フュズリエのように、この作曲家と作家の関係がもたらす作品へのイメージの深化は決して無視できるものではない。

ドビュッシーの海といえば、まず一にも二にもフランスの指揮者のものを想像するけれど、個人的なことを申し上げさせていただくと、こうしたフランスの指揮者によるドビュッシーの海は、どうにも日本人ウケは難しい印象を受ける。曖昧さ加減への容赦がまるでないし、金管楽器のような繊細な器物へのアプローチも爆発的な匙加減をもって吹かせる時もあれば、まるで放置しているような節さえある。もちろん、アンセルメやモントゥーの話だ。
それらに比べて日本の指揮者たちによる海へのアプローチは実に等身大な表現の域を出ていないから良い。それはもちろん国際的には受け付けは悪いだろうけれど、やはり音楽というものは各地域の美的感性に合った形態であればあるほどいい。実演でやる機会も恵まれている作品であるのだから、どこでさえ聴いてみればそれはすぐに分かる。海へのイメージが全くもって共有されているというのがこんなに良いことだとは思わなんだ。

余談ではあるけれど、ドビュッシーの海で一枚チョイスするのであれば、個人的にはチョン・ミョンフンとソウル・フィルハーモニーによるものを引き合いに出したい。しばしドビュッシーから延長してジャポニスムを引き合いに出すような表現も多いが、そこからさらに延長したこの半島から見た海のイメージというものもまた日本とは異なるそれで非常に良い。実に繊細な海で、もちろんチョン・ミョンフンが育て上げたオーケストラでもあるのだから、その連帯感は著しい。朝鮮文化というものは石と松風の文化であるけれど、それを引き出させる黄海と東海 (日本海)、大韓海峡 (対馬海峡)の潮の香りをイメージせずにはいられない。

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