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ヴィラ=ロボスの『九重奏曲』と今日までの読書の遍歴


ヴィラ・ロボスの九重奏曲

昨晩、再び東京は大雨に見舞われた。以前にも呟いたように、打ち水というものは地表の熱を冷ましてその気加熱を利用して涼をとることを意味するわけであるけれど、それが日常的であった戦前に比して21世紀の今日ではもはやそれを撒くための土すらもアスファルトの下に埋もれて久しいばかりで、当然、土とアスファルトでは熱の吸収率が根本的に違うわけだから、相応してそれに見合う打ち水の水量というのも異なってくるわけである。特にそれは高々、杓子に一杯掬ってひょいと投げる程度で冷まされるような代物でもなければ、もっと踏み込んで言ってしまえば、いわゆる「バケツをひっくり返した」としてもその効果は微妙なところであろう。そういう意味で言えば昨晩のような文字通り「バケツをひっくり返したような」豪雨をもってようやく釣り合いが取れたとも見出せるわけでもある。

その引用から前回は南国の作家の作品をいくつか紹介したけれども、今日はヴィラ・ロボスのピアノ作品を取り上げたいと思う。
エイトル・ヴィラ=ロボスはもっぱらブラジル風バッハ第5番で知られている。これは8台のチェロとソプラノのための作品で、アリアとダンスからなる2楽章の形態を持っている。特にもっぱら、ヴォカリーズで歌われるアリアのメロディが印象的で、そのサウダージをよく評価されている。とは言え、この作品をもってヴィラ=ロボスを見出すのはなかなかに早計だ。これが例えばワルトトイフェルであればおおむねそれで片付く話であるのかもしれないが、なかなか彼に関して言えばそれを許してはくれないことでしょう。

ヴィラ=ロボスは19世紀末に生まれ、20世紀を戦前、戦時、戦後とかけて生きた人であるわけだけれども、ご存知の通り、彼の生きたブラジルという国は、他の南米諸国もそうであるのだけれど、2つの大戦には直接関わっていないがゆえに、この特殊なヨーロッパとの距離感や温度差というものが作品の、特に社会性の強い作品に現れてもいる。

ヴィラ=ロボスはいわゆる「何でも書くタイプの作曲家」に分類してもおおむね問題ない。同様な例としてゲオルク・フィリップ・テレマンや藤倉大のような作曲家が挙げられるわけであるけれど、おもねった表現に寝返りを打つのであればそれは「多作家」といえばそれで済む話でもある。一方でこの多作家のさがとして、その膨大な作品管理に莫大なコストが求められ、大概の場合、そこに注力するようなことは作家自身の手からはほとんど見られないということに尽きる。要するにその作家の目録を付けようとした際に、結局彼がいつどの作品を制作したのが不明瞭な場合が往々にしてあるわけだ。ヴィラ=ロボスはその点、実に典型的な態度を取っている。ヴィラ=ロボス研究のおそらく第一人者でもあったろうリサ・ペッパーコーンによる一連のヴィラ=ロボス研究の中で、本人が記録し主張するような作品制作時期と初演やリハーサルなどの時期に随分と大きな隔たりと食い違いがあるような趣旨の報告があったり、また一部作品は目録の整理が追いついていないか散逸の憂き目に遭っていたりと、なかなかその過程は多難を極めている。

その中でもここ20年ほどの年月をかけてヴィラ=ロボス作品のレコーディングに精力を注いでいたのがNAXOSで、2020年にイサーク・カラブチェフスキーとサンパウロ交響楽団が彼の交響曲全集を、2022年にはソニア・ルビンスキーによるピアノ作品全集と、サブレーベルであるマルコ・ポーロからダニュビウス弦楽四重奏団による弦楽四重奏曲全集が発表されたりもした。またブラジル風バッハの全曲やチェロ協奏曲集なども出ていたかと記憶している。ショーロス全集はまだで、その点BISレーベルによる「ブラジル風バッハ・ショーロス・ギター独奏曲全集」が一歩先んじている。

ヴィラ・ロボスの場合、それでもやはり目を惹くのはブラジル風バッハやショーロス、ギター独奏曲などに見られるサウダージに尽きる。特にブラジル風バッハ第4番やショーロス第1番、ショーロス第5番などのような表現の語法は、実にヨーロッパの国々ではとてもじゃないけれど書けない代物であるとも感じ取れる。

一方で、こうした室内楽や管弦楽で絶大な評価を見出せる一方で、ピアノ作品に関して言えば、なかなかこれが難しい。それはひとえに作品数が多すぎることにも由来するが、一つ一つの作品が小粒である程度の輝きを持ちつつも、それ以上に突き抜けきらない感じが支配的であることも無関係ではなさそうだ。それでも例えば『赤ちゃんの家族』などはさながらドビュッシーの前奏曲集のような面持ちをしているし、『野生の詩』などはブラジルらしい土俗的な響きを持っている。あるいは『3人のマリア』という作品もリリカルなメロディが耳を楽しませてくれるし、何よりピアノだからこそ成り立つ数少ない音楽の一つであるとも感じ入る。

一方でヴィラ=ロボスはピアノ協奏曲を5つ書いている。DECCAからクリスティーナ・オルティスが演奏したものが大変有名だ。しかしこれがまた大変な駄作で、少なくとも僕にはこれを評価し持ち上げることは難しい。何よりそれは演奏者の上手い下手を問わず、構造的な問題を多く抱えていて、どうにも聴いていて厳しいものがある。交響曲も同様で、彼は生涯を通して12の交響曲を書いたわけであるけれど、なかなかどうしてパッとしない印象を受ける。それもこれも規模がデカすぎることに起因するのであろうか。やはり彼の作品の魅力は室内楽に象徴されるのだろうということを痛感したりもした。

ところでヴィラ=ロボスの傑作は何かと問われると、この偏屈な性格ゆえ、自分は語気を強めて九重奏曲 (1923)を推挙したい。
この作品はフルート、オーボエ、クラリネット、バスーン、サキソフォン、ハープ、ピアノ、チェレスタ、パーカッション、合唱のための作品で、ダリウス・ミヨーやアルトゥール・ルービンシュタインがブラジルで発掘した彼をパリに送り出しその最中で制作された、いわば最も脂が乗った時期の最も野心的な作品であり何よりこの作品がいわば出世作として彼のパリ時代を象徴するような、一つの金字塔的な役割を持つ作品でもあるからだ。特に魅力的なのはそのサウダージ溢れる和声感覚と複雑なリズムトリックで、その後のブラジル風バッハに通じるポリフォニックなリズム感と風船のように膨張する様々な音の膨らみは、確かにこの作家がただものではないセンスを持ち合わせているものだと痛感させてくれる。この和声感覚とリズム感覚の開花はドビュッシーとストラヴィンスキーから影響したことは聴くに明らかで、その中にさらにブラジルという一つの国民楽派的な民俗の要素が重なった結果、複雑な不協和音の処理と緻密なリズム構造の乱流がサウダージを引き起こし、ヴィラ=ロボス特有のムーディな旋律が描写されるようになった。

ヴィラ=ロボスの場合、正規の音楽教育を受けていないそのルーツも興味がそそられる。これはいわゆる野良犬の作曲家であったことを意味するわけであるけれど、彼の場合、生家がちょっとした音楽サロンであったことや父がアマチュアの音楽家であったことも彼の生い立ちに影響を与えた。当初はチェロを教えていたそうだが、その後に父と同じクラリネットに転向し、さらにはギターへとその楽器を変えていった。それからどうにか高給取りの医者にさせたい母との一悶着を経て家出を敢行、ウルグアイやアマゾンの密林探検のアルバイトやギター教室を開くなどして糊口を凌ぎ、作家として小さな発表の場でちまちま活動を続けていた。転機となったのが独立100周年を祝う一連の記念行事に作品を出品した際に、当時、訳あってブラジルにいたダリウス・ミヨーが彼を称賛し、それをミヨーの知り合いでもあった若き日のアルトゥール・ルービンシュタインに紹介したことでそれがフランスをはじめとしたヨーロッパ世界に伝播した。ヴィラ=ロボスがヨーロッパに滞在した頃にはエドガー・ヴァレーズやセルゲイ・クーセヴィツキー、若き日のレオポルド・ストコフスキーとも交流を深めたともあるから、なかなか手広くやっていたようだ。
ところで上述したように彼は基本的に何でも書いてしまう作家ゆえに膨大な作品数によって目録の完成が日々遅れている訳であるけれど、最も目録の中でブラックホールの多い領域が実にこのパリ時代でもあった。それというのも、パリ時代は彼にとって脂がよく乗った時期であった一方で、1930年にブラジルで発生したエスタド・ノヴォ革命によって彼に渡っていた資金が途絶し、ブラジルへの帰国、それもかなり追い立てられるような帰国を余儀なくされ、その際に彼が住んでいたパリのアパルトメントに作品が多く取り残されたまま多くが散逸したか行方不明になったかと聞き及んでいる。

随分と気風が異なってくるが、ヴィラ・ロボスの九重奏曲を考えていると、自分は常々愛読しているマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に出てくるヴァントィユのソナタと七重奏曲のことを思い出さずにはいられない。最もこの作品や作家は架空のものであるし、プルーストだってヴィラ=ロボスが本作を書くずっと前に亡くなって久しいし、その彼だってプルーストを読んでいたかも定かではない。しかし一方で、『失われた時を求めて』の中で機能するこのソナタと七重奏曲は「作家が自らの作家性を自覚し、何かを書く (創作する)とは何かを問いかける」という一つの創作論的なニュアンスの中で台頭してくる一つの思想的なギミックであるが故に、ヴィラ=ロボスにとっての九重奏曲がその面影の中で重なって、一つの幻視として、自分にとってではあるけれど、非常に神妙な奥行きを感じてならない。

※ヴァントゥイユのソナタのモデルの1つと考えられるレイナルド・アーンのヴァイオリン・ソナタ

今日までの読書の遍歴〜サルトル・バルト・村上春樹〜

最近、サルトルの『文学とは何か』の中で、一つの態度として世界の全人類を代表してその責任を引き受ける心持ちを見出し、読者とともにその世界を取り戻すことを主張に痛く共感した。またその後にロラン・バルトの『物語の構造分析』の中で「作者の死」に関しての一連の文章を読んだ時に、これは本当に手前勝手なことであるけれど、なんだ、自分がここ2、3年ほどかけて考えてたことじゃないかと驚いたりもした。これは若干の自慢のひけらかしのように感じられていささか態度としていかがなものかとも思うけれど、バルトを知るよりも前にバルトの思想をすでに体内で熟成していた自分のこのセンスの良さにはなかなか感嘆したものだ。一方でサルトルの前には村上春樹の初期3部作、いわゆる『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』を読んだ。これで村上の小説は、最新作である『街と、その不確かな壁』と『騎士団長殺し』およびいくつかの短編やインタビュー、エッセイなどを除いて長編小説は概ね読了した。自分が村上春樹を知ったのは大学生の頃で、もうその頃には村上春樹というものが日本の文学史における一大勢力になっていたし、毎年のようにハルキストが彼のノーベルう文学賞受賞を心待ちにしていることで話題にもなっていた。最初に目を通したのは『スプートニクの恋人』でその後は『国境の南、太陽の西』だった。そもそもこれを読む前まで自分はもっぱらフランス文学に傾倒しており、その主題はやはりマルセル・プルースト、およびアルチュール・ランボーとジュリアン・グラックがその要石のような位置付けにあった。村上の文章を最初に読んだときにその軽やかさに驚いたものであるけれど、ライトノベルに見られるようなものとは異なって、しっかり日本語の持つ特有のイメージ、いわゆるソシュール言語学におけるシニフィエへのアプローチが実に巧みであり、なるほどハルキストが毎年これだけ騒ぐのもよくわかるなと実感したものだ。
その後、自分はフランス文学から英米文学へとその航路を転身させた。その時の要石はT.S.エリオット、H.G.ウェルズ、トマス・ピンチョンであった。その裏で村上の『1Q84』と『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』に目を通した。並行して三島由紀夫の「豊饒の海」4部作、いわゆる『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』に挫折し、『潮騒』の美しさにかなり毒を被ったりもした。その頃、職場の後輩があまりに熱狂的なハルキストであったので何となしに「最新作とかもう読まれたんですか?」などと問うてみると「いいえ、自分が読むに値するコンディションを今整えているんです。」と答えたもので実に恐れ入ったし「ぼくは今、村上のこれを読んでいるんですが、どうにも受け付けが悪く、三島の潮騒なんかに目を通してますとこれがまた実に美しいんですよ。」と何となく言ってみると「よく村上と三島を並行して読めますね、真逆じゃないですか。」と答えてくれた。なるほど確かに村上春樹と三島由紀夫とでは実に文章に対する美しさの指針が反転しているといえば確かにそうで、たとえば三島が海の美しさを語る時、村上は森の静けさを語り、三島が男女の肉体的な愛を語る時、村上は女男の精神的な愛を見出そうとする。言うなれば磁石のN極とS極のような関係にあるのかもしれないと痛感した。ところで英米文学はその後、一瞬だけスペイン・イタリア文学と山岳文学に寄り道したのち、近代日本文学および日本のポストモダン文学へと回帰した。この時の要石が小林秀雄、石原慎太郎、田中康夫、そして村上春樹であった。テーマは70年代の空気感と新しい人間像の模索、そして文学とは何かでもあった。これらの始まりはジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』に由来し、ここに至るのもまた18の頃よりプレ・ソクラテスから始めた西洋哲学史に関する息の長い積み重ねがもたらした結果であったとも言える。いわば大きな哲学史という横軸の中でボードリヤールが立った時、文学および文学評論という分野での縦軸の試みの中で小林秀雄がちょうどその横軸と重なった結果として、そこに大きな気流が生まれ、日本のポストモダン文学の中にその見出すべきものをこのアンテナに受信した次第でもある。
一方で潮目が変わったのは小林秀雄の『様々なる意匠』と村上春樹の『風のうたを聴け』を読んだ折である。村上は本書の冒頭で「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」という文章を書くためにこの小説を書いたと述べており、後年の『世界の終わりと、ハードボイルド・ワンダーランド』や『ノルウェイの森』などとは全く一線を画した、村上春樹が村上春樹自身のために書いた、小説の体裁からなる一つの文学論のような印象を受けた。この印象はすぐにサルトルが小説や哲学、戯曲や評伝などの様々な文章技法を通して自身の哲学を実践したそれを思い起こし、本書が読み終わる頃にはすでにサルトルが読めるような体制を整えていた。次いで、この感覚はすぐに次に取り組むべき内容がフランス現代思想であるなとも思い、今日もなおフランス現代思想を深めるために再び日本からフランスへと舵を切って読書という航海を続けている。要石はサルトル、レヴィナス、リオタールだ。


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