決して新しくないこれからの現代音楽とグバイドゥーリナ

昨晩、書類の整理をしていると、一枚の演奏会用のチラシが落ちてきた。それは2020年の頭に上演されたソフィア・グバイドゥーリナの『ペスト流行時の酒宴』の日本初演のチラシだった。
今にして思えばであるけれど、この演奏会から数週間後に日本を含めて世界中がコロナ禍の時期に突入していくのであるから、何とも暗示的な演奏会であった。ちなみに指揮は下野竜也、演奏は読売日本交響楽団によるもの。
そのほか、フェルドマンの作品の日本初演とジョン・アダムズのサキソフォン協奏曲、これは独奏は上野耕平(指揮が下でソリストが上の上下コンビだなあなどと感じ入ったものです)、あとはショスタコーヴィチの弦楽合奏のためのエレジーが上演された。

改めてもう4年も経ったのだなあなどと感じつつ、同時にいまだにドイツで存命の彼女の気高さに改めて畏敬の念さえ感じた。ソフィア・グバイドゥーリナは御年92歳。同年代にアメリカの映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズとその先輩に楽壇の長老ヘルベルト・ブロムシュテット(96歳)などがいる。
グバイドゥーリナは旧ソビエト連邦がその雪解けの時代に、ポスト・ショスタコーヴィチを代表する作家として、アルフレート・シュニトケ、アルヴォ・ペルト、ギヤ・カンチェリなどとともに台頭した女性の作曲家だ。彼女のルーツはシベリア地域のタタール部族にその源流を持つ。またシュニトケはウラル地域のヴォルガ・ドイツ人にルーツを持ち、ペルトは40年代にソビエトが進駐したエストニアにルーツを、カンチェリはグルジアにルーツを持つなど、よく言えば多民族国家ロシアの、それも共産主義という平等で多様なお国事情を反映しているとも言えるし、また言い換えればショスタコーヴィチやプロコフィエフなどに象徴されるポスト・ショスタコーヴィチとしてのロシア人という民族性が見事なまでに、それも完膚なきまでに覆ってしまったのは何とも皮肉である。
日本においてはピアニストであり作曲家の高橋悠治が誰よりも先んじてその作品を紹介し、また自身のFONTECレーベルでの企画盤からその作品を収録するなどした。

さてグバイドゥーリナの作品はここ四半世紀、21世紀に入ってから格段に取り上げられる回数が増えた。それは彼女の代表作、「オッフェルトリウム」(ヴァイオリン協奏曲第1番)を演奏し支えたギドン・クレーメルの援助が大きい。何しろ当時、ソ連のアフガン侵攻によって数年前から推し進められてきた東西融和気分が吹き飛び、鉄のカーテンが再び熱を帯び始めてきたような時勢に書かれていたものを、一足早く西側に亡命したクレーメルが作品の総譜を飛行機で密輸して初演に託けたというのだからその壮絶な経緯には畏敬の念すら抱かざるを得ない。(そもそもの作品制作の経緯は彼女と、まだソ連に籍を置いていたクレーメルがたまたまタクシーで相乗りした際のやり取りから始まる。)
そんな彼女も90年代、ペレストロイカの波とともに東欧諸国が崩壊し東独も瓦解していく中で西ドイツに移住、以後、ソ連が崩壊した今もなおドイツに暮らしているという。そういう意味では彼女を今日でいうロシア連邦の作曲家としてその指にカウントさせることに対して、何とも言えない違和感を抱かざるを得ない。ソ連崩壊以降、彼女はずっとドイツにいるのだから、そういう意味で言えば彼女はドイツの作曲家、もっと正確な表現に徹するのであれば、ドイツ連邦の作曲家であると言った方が適切かもしれない。

ところで同じ頃、ドイツではいわゆる西側現代音楽の巨人、カールハインツ・シュトックハウゼンが大作「光」の制作に取り掛かっていた頃でもあった。シュトックハウゼンというのは一言で言い切ってしまうといささか危うい表現も孕んでならないが、ともかく彼は何か新しいことを開拓させるという一点において、文字通り他の追随を許さないものがあった。いわゆる前衛の中の最前衛、パイオニアの中のパイオニアといった具合だ。
それはもちろん彼の作品の中でも最も有名な4台のヘリコプターとそれに搭乗する弦楽四重奏団、および演奏会場でのリアルタイム・ミキシングのための「ヘリコプター四重奏曲」のようなものもそうであるし、それ以外を挙げても、3つのオーケストラのための「グルッペン」やコンサート・ホールのための「フレスコ」、オーケストラピットから奏者たちが文字通り宙を舞う「オーケストラ・ファイナリスト」なんかを見ればその想像力の豊かさとそれを実現させる表現力の高さ、および政治力の強さに圧倒させられる。
シュトックハウゼンの音楽を紐解いてみると、彼の作品の多くはセリー技法の延長線上に立っている。セリー技法はわざわざ今更言うまでもないかもしれないけれど、12からなる異なる音の列を反転させたり鏡像を取ったり、異なる度数の音の高さで同様に表現をしたりしているものであるけれど、それに対していわゆる総音列技法と呼ばれるものとも違う。総音列技法の場合、あくまで音楽の枠の中で音列以外の表現技法に列の概念を適応することを意味するわけであるけれど、つまり音列に対するアーティキュレーション列、ダイナミクス・レンジ列、音高列、休符列なんかを意味するわけであるけれど、シュトックハウゼンの場合、それを音楽の枠を超えた肉体表現や物体表象の世界でそれを適応したという点で新しい。例えば「INORI」や「腹の音楽」(Musik im bauch)などで言えば奏者のポーズによるモチーフの列が作品の中で重要な構成要素となってくる。これはその後の7部からなるオペラ「光」の中でこれでもかというほど適応されていく重要な概念だ。

シュトックハウゼンだけではない。当時の西側ではそうした新しいものを求めて様々な試みがなされてきた。ピエール・ブーレーズはシュトックハウゼンと同じくいち早くコンピュータおよび電子テクノロジーに可能性を見出し、ライヴ・エレクトロニクスと呼ばれるリアルタイムで奏者の演奏をマイクで収音、電子変調をかけて返答する技術を作品の中で導入したし、黛敏郎、湯浅譲二、近藤譲などの系譜は日本においてかなり先鋭的な電子音楽での表現で独自の語法を確立させた。
ところでこうした試みに対して東側諸国から西側諸国へと鞍替えしたような作曲家たち、特にジョルジ・リゲティとジョルジェ・クルタークについて、彼らがこうした西側の電子技法に対して人間の声の技法に注力したことは興味深い。

一方で1970年代に入るとオイルショックに端を発する世界的な不況の中で前衛に対する疑念が波及する。これは音楽に限らずあらゆる分野における前衛もその煽りを受けた。そうした他方、それまで前衛という一方向の波の中で消え去っていた旧来の伝統的な語法が復活したりもした。それがオペラであったし調性でもあったしソナタ形式でもあったりした。
なにぶん、シュトックハウゼンが7部からなるオペラに手をつけたのも、吉松隆がプログレッシヴ・ロックを管弦楽に興したのも、ルチアーノ・ベリオが大胆な引用でコラージュ技法を見出したのもこの辺の時代背景に基づく。

21世紀を迎えた今日、ことさら70年代以前のシュトックハウゼンのような作品を発表する人は少なくなった。またコンピュータおよびインターネットの発達が今日の若い作曲家たちの作曲語法およびその根本的な思想に大きな影響を与えていることは言うまでもない。一方で必ずしも耳障りの良いメロディアスな音楽が完全な復活を遂げたかというとそうとも言い切れない。
あるいはヨハネス・クライドラーに代表されるようなコンセプチュアルな表現を突き詰めている作曲家もいれば坂田直樹のように楽器という観念を超越させてアンチ・インテグラルな音楽を作り出そうと野心的に取り組む人だっている。あるいはヴィドマンのように作品の中で大胆なスクリームを要請する人もいれば、細川俊夫のように影絵のように単調に見えて複雑に蠢く能の世界に極めて近い音楽を書く人だっている。藤倉大のように頼まれれば誰にでも何でも書いてしまうような人だっている。
そう言う意味で言えばグバイドゥーリナのような作曲家は21世紀に入ってから、やはり女性作曲家としてのグラン・マザーのような立ち位置を築いたのかもしれない。その後に続くカイヤ・サーリアホやウンスク・チン、望月京などの現代女性作曲家の系譜においてグバイドゥーリナを欠かすことはできない。

クラシック音楽の新作を聴くともはやそこに新しさとしての「無調」や新しさとしての「不協和音」という考え方は完全に払拭されてしまったようなきらいがある。他方で今日この現代音楽の最先端を意味付けるような言葉は生み出しきれてもいない。例えばバロック時代や古典派、ロマン派、印象派といった〜〜派のような時代を象徴するグループ分けはいまだに見出せないままだ。そういう意味で言えば戦後から70年代までのカテゴリーこそいわゆる歴史的派閥としての前衛と呼ばれた時代そのものであり、原義的な前衛の時代は70年代から今日までの、もっと言ってよければコロナが世界を吹き荒らすまでの50年間の中でもさらにカテゴライズできるのではないだろうか。
美術の分野では20世紀の初頭、キュビズム (立体派)が席巻した時代には同時代にチュビズム (円筒派)や未来派、野獣派、直線派、立体未来派なんかが台頭したように、この2020年代こそ様々に漂う作曲家たちがそれぞれの派を作り出すような時代でありたい。

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