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シェーンベルクと無調と12音技法

現代音楽の歴史を語る上で、その黎明と草創としてアーノルド・シェーンベルクおよび彼を中心とした新ウィーン楽派の人々が避けて通れないことはいうまでもない。また現代音楽を支配した大きなテーマでもあった「無調」の創始者としてシェーンベルクをその一人と捉える行為も特に何も誤りはない。しかし一方で無調、12音技法、シェーンベルク、現代音楽という文脈で特に前者2つの違いについて、時折非常に曖昧な答えをする人がしばし見受けられることから、その違いについて改めて記述し、一つの記録としてしたためておこうと感じた。

現代音楽の歴史に関する本に目を通すと、いきなりシェーンベルクが思い付きで無調を引き出したような記述は全くない。当たり前だろう。その代わりとしてしばし例として取り上げられるものとして、リヒャルト・ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』で、特にその第1幕への前奏曲の冒頭に重ねられた和音をしばし「トリスタン和音」として紹介し、現代音楽のための鏑矢のように取り扱っている。そもそもワーグナーが生きた19世紀中葉から後半にかけては音楽史上においてロマン派の時代、ロマン主義の時代と言うカテゴリに括られる。ロマン主義というのは言うなれば、形式や様式に対してその域の中では語りえないような個人の持つ情念や心情の複雑な揺めきや、自然のような外界のカオスが渦巻く現実を音で言葉で絵画で表現せんとする試みであるわけだけれども、なるほど確かにエクトル・ベルリオーズが断頭台から地の底までに響く饗宴を描いたように、あるいはロベルト・シューマンが勇壮なライン川沿いの人の暮らしと自然の成り行きを描いたように、こうした現実の対象を現実のありのままの姿として音楽の中で記述しようとする試みは19世紀から見て100年の間、ヨーロッパではすっかり忘れ去られたことでもあった。
まどろっこしい表現であったかもしれないけれど、自然を自然のままに描く作法であればもっぱら17世紀のフランス・バロックの作家たちが最も得意としていた分野でもある。ラモーやF.クープランの鍵盤作品を聴けば、ロマン主義というものが彼らの視点に立った時、どれほど周回遅れた発想であったかが見て取れる。(無論、そこにかかる歴史的背景抜きにはロマン主義を語らえようもないのであるから、これもまたひどい言い草の一つでもあるのだけれども)

ワーグナーはさりとてこうしたロマン主義の背景から、その爛熟期への門前で、『トリスタンとイゾルデ』を発表した。この和音がもたらした強烈な違和感は、個人的にジョルジ・リゲティの『アトモスフェール』を初めて聴いた時の感触がもっぱら今日では分かり良いものであるかと考えてる。いわゆる開拓された新しい「不協和音」の誕生をこれをもって観測し得たわけであるけれども、こうした不協和音への開拓、延いては「和音とは何か」への探究へと進展していく。その過程でクロード・ドビュッシーが印象主義音楽を通じてその曖昧さをより強烈なものとしたり、グスタフ・マーラーが自らの交響曲の中で目まぐるしくその過程を多彩な楽器と合唱によって変容させたりしながら、20世紀へとその場面は移り変わっていく。

シェーンベルクが生きた時代はこうしたワーグナー辺りから始まる新しい音への探究を背景に持つわけであるけれど、シェーンベルクが考えていた中で最も革新的であったことはいわゆる24調に対して新しい調を創造することであった。もちろん24調に新しい調を求める動きはそれこそバロックよりずっとあった試みでもあったのだけれども、シェーンベルクが鋭かったのは「ある音がその前後の音との関係に依存するような調」の開発であった。その試みには随分な時間を要した。シェーンベルクが自己申告するところ数えて12年だ。その試みを作品として昇華させたものが弦楽四重奏曲第2番 (1908)であるけれど、一方でこの作品は彼にとっての最初の無調の作品として紹介されることよりも、どちらかというとその編成の特異さから評価されたりもしている。弦楽四重奏に女声独唱が加わるという異質な性格は同時に詩人のシュテファン・ゲオルゲのテクストが加わり、不安定な浮遊感に放射されるような感覚を与えてくれる。

この弦楽四重奏曲第2番の前か後かは失念してしまったけれど、その同年にシェーンベルクは「相互の関係のみに依存する十二の音による作曲法」という論文を発表する。この24調に対して拡張された新しい調としての「無調」の誕生と、そのメソッドとなる技法こそが「12音技法」という関係なのである。現代音楽について語る人は多くいれど、この違いを失念している人が実に多いことは嘆かわしい。ましてそれがアマチュアの音楽家や好事家の呟きであったならばともかくとして、職業としてピアニストや指揮者を生業にしているような人たちでさえもがそういった認識のままシェーンベルクや以降のいわゆる「12音技法」と「無調」の作品を取り扱っていることをたまに見かけた時は、ただただ遺憾な気持ちが強くなるばかりだ。

そしてそれは作家もまたその片棒を担いできたということを思わずにはいられない。ましてシェーンベルクや彼の「無調」と「12音技法」が評価された戦後、いわゆるダルムシュタット音楽祭の過程で、カールハインツ・シュトックハウゼンやピエール・ブーレーズ、ルイジ・ノーノがそれを総音列技法としてさらに昇華させ、それに対する激しい反動を抱えながらもブライアン・ファーニホウやヘルムート・ラッヘンマンらがこれをより発展させ「新しい複雑性」として称揚された頃には、もはやシェーンベルクとその足跡はすっかり歴史の一部として組み込まれてしまったわけだし、無調を書いている人たちでさえ、その歴史的経緯やメソッドに必ずしも則ってきた腹づもりなどない。シュトックハウゼンに至ってはシェーンベルクの晩年の歌劇「モーセとアロン」における「黄金の仔牛の踊り」を酷く批判したものである。(一方でそれだけ批判したシュトックハウゼンの作品が時折、シェーンベルクの当該作品が編み出した表現を彷彿とさせる場面を持つのは何とも皮肉だ。)

21世紀の、先端的な作品を聴いていると、これがかえって無調が一つの調として取り扱われているのだから、新鮮だ。その過程には70年代を折り返しとする前衛に対する停滞や伝統的な調に対する回帰、あるいはそれへの折衷の試みなどの、さまざまな作家たちがその作家たちなりの調と無調に対する折り合いの付け方を見るようなものだ。特にウンスク・チンやブレット・ディーン、イェルク・ヴィトマンなどの作家はその点、聞き応えがあるので付記しておく。


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