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中学生に「体罰の必要性」を説くべし

「「少年法」と「特定少年」の位置づけに相次ぐ批判…連続する未成年の凶悪事件でエスカレート」
(日刊ゲンダイ)


 何故に体罰なのかと言えば、これは道徳教育に役立つからである。
 何故に中学生なのかと言えば、中学は義務教育だからである。
 何故に義務教育で道徳を指導しなければならないのかと言えば、近年において大概の大人は道徳の何たるかも知らず、教育者足り得ないからである。


※補足①

 本文で記載した提案は、言わば「応急処置」である。
 最後に記載した様に、道徳の何たるかすら理解せず、無駄に歳を食い、図体だけデカくなった大人が氾濫している。
 道徳というものは本来なら、学校のカリキュラムに取り入れる様なものでは無い。道徳を子供に身に付けさせるのは、親の責務だからである。
 「致し方無く」という事である。

※補足②

 本文に書いた様な「応急処置」を実施する上で必要なのは、体罰防止法の撤廃である。
 これが悪法である事は、レイプの国と化したスウェーデンを見れば明らかである。
 今の国政政党は社会主義と共産主義しか存在しないが、これらの天敵こそ道徳である。道徳を欠如させたい議員から激しい抵抗に遭うだろうが、そこはハッキリ言ってやれば良い。
 「体罰は暴力とは違う」と。

※補足③

 体罰を適切に行使出来る者。
 この様な者こそが、真の教育者である。
 体罰を行使できない者は教育者として半人前である。教員試験をクリアしているかどうか。そんなモノは二の次で良い。

※補足④

 教職に就く者だけでは無く、全ての大人は子供に対する教育者でなければならない。
 何を教える教育者なのか。
 勿論、「道徳」である。

※補足④

 引用した記事では、「重大犯罪を犯したガキに厳罰を」「少年法で守る必要があるか」などと、的外れで頓珍漢な妄言を撒き散らしている。
 重要なのはそこでは無い。

少年は「無差別殺人に興味があった」と供述しているという。

出典:引用した記事より

 高校生にもなって「無差別殺人に興味を持った」という事は、このガキは本質的な意味において殺人行為を禁忌であると、理解出来ていなかったという事である。
 何故その様な事が起こるのかと言えば、「殺すな」というのは損得勘定の産物では無く、絶対遵守の命令だと叩き込まれていなかったからである。

※補足⑤

 「騙すな」「盗むな」「殺すな」
 この三つはブン殴ってでも理解させねばならない、絶対遵守の命令である。
 これらは損得勘定の結果において、そうした方が良いという様な、軽薄なものでは無い。
 例えそうした方が良い場面に遭遇したとしても、理屈や合理性を超えて守らねばならないルールである。

※補足⑥

 理屈や合理性だけで説明が付かないという事は、言葉だけでは不十分という事である。
 「騙してはいけない」「盗んではいけない」「殺してはいけない」
 この様な事を、自分がされたらどうかとか、大切な兄弟がこの様な目に遭ったらどうかとか、言葉を尽くすのが無駄とは言わない。
 だが、親が真の教育者足るかどうかは、寧ろここから先で決まる。
 分かった風な態度、疑問を抱いている態度を鋭く見極める。もし何かの機会に、絶対遵守の命令だと理解出来ていない態度や行動を見せた場合にどうするか。
 この様な時こそ、「体罰」の出番である。

※補足⑦

 「騙すな」「盗むな」「殺すな」
 これらは理屈や合理性を超えた、絶対遵守の命令である。言葉を尽くして尽くして尽くして尽くして、それでも駄目だった場合、ここで親を始めとした周囲の大人から体罰を行使して貰えず(※補足⑧)、道徳を知らぬまま無駄に歳を食い、図体だけデカくなったらどうなるか。
 「無差別殺人に興味があった」などとほざく高校生の出来上がりである。

※補足⑧

 ここで、言葉しか使わせない様にしてしまうのが、体罰防止法である。

※補足⑨

 「親は無くとも子は育つ」という言い方がある。
 これはただの妄想である。
 子供は勝手には育たない。
 もし育ったのだとしたら、それは別の誰かが育ててくれたか、育った風に見えるだけか、何方かである。

※補足⑩

 体罰というのは、子への無謬の愛を以て行使されるものである。
 この世には、ブン殴られてでも身に付けねばならない絶対遵守の命令、即ち、道徳が存在する。
 親が子をまともに教育出来なくなって久しい。その様な現状への応急処置として、中学校で体罰の必要性を説く事には一定の意味があるのではないか。

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