文壇がサブカルの匂いを警戒し続けた結果、純文学もまたサブカルに「転落」した。

たとえば日本文学史のなかで太宰治にはサブカルの匂いがする。あまねく広い読者に届いて、喜怒哀楽に巻き込む小説はおのずと純文学の純粋性から離れてしまいがちなのである。それでも、ど変態の谷崎潤一郎が純文学者然としていられるのは、文体が純文学然としているからである。はまたた夏目漱石が日本近代文学の王であり続けられるのは、そもそも日本近代文学の枠組を作ったのが漱石だからであって、けっして『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『三四郎』『それから』があまねく広く読者を楽しませたからではない。太宰が最後に発表した文章は、「死ね、志賀直哉。こっちは死にもの狂いで将棋指してんだ。おまえのなんて詰め将棋じゃないか!」(大意)という激烈なものだった。



太宰の言うとおり(?)、日本文学にとってこういう純粋志向は不幸なことであって。はやいはなしが深刻ぶっていなければ純文学ではないということなのだ。皮肉な例はかつてサブカルであるところのSF界で心理学~社会学を駆使してエンタメを書きつづけて大ベストセラー作家だった頃の筒井康隆さんは、常識をぶち壊し、ティーンエイジャーを熱狂させ、絶大なファンを持ちながらも、しかし文壇的には半ば揶揄の対象だった。ところが筒井さんが1970年代、日本文学と世界文学の垣根を壊し同列に扱う試みをおこなっていた純文学雑誌『海』に活躍の場を与えられ、『虚人たち』(1981)、『夢の木坂分岐点』(1987)、『残像に口紅を』(1989)を発表しはじめたとたんに、筒井さんはにわかに褒められはじめ、筒井さんのところにどかどか文学賞が届くようになったものだ。おりしもガルシア=マルケスの『百年の孤独』が未曾有の創造性で話題になった時期だった。余談ながら、筒井さんの『モナドの領域』(新潮社 2015年刊)は世界文学の大傑作です。



他方、文壇はサブカルの匂いを警戒し、けっしてサブカル臭のある作家を仲間に入れようとはしない。村上春樹さんはデビューした1979年から人気作家だったものの、しかし文壇からのバッシングは長いこと苛烈をきわめた。文壇側の主張は文壇の王は中上健次であってけっして梅の木だかハルキだかではない、というもの。しかし、春樹さんの『羊をめぐる冒険』の英語版(1989)が英語圏でヒットし、雑誌"New Yorker"に短篇を発表するようになって、あっという間に世界的ベストセラー作家になってからは、さすがに日本の文壇も村上春樹批判を(いくらか)控えるようになったけれど。なお、近年春樹さんは事実上、大学の文学研究者たちを数多く養っておられます。



話を本題(文壇の閉鎖性)に戻しましょう。田中康夫さんは1980年『なんとなくクリスタル』で河出書房の文藝賞を受賞し、アメリカによって深く心の傷を受けた江藤淳にあろうことか激賞されるという交通事故のような僥倖を得るものの、しかし、けっきょく純文学業界にかれの居場所は作ることはできず、『なんクリ』の四半世紀後政治家に転身なさったものの、いまなにをしてらっしゃるか杳として知れません。



橋本治さんは生涯大人気作家として生きたものの、しかし早すぎる晩年に至るまで文壇はかれの存在すら知らなかった。舞上王太郎さんは2003年『阿修羅ガール』で(あやまって?)三島賞を授与されたものの、しかしかれに文壇的幸福がもたらされたとはおもえない。また「乙女のカリスマ」嶽本野ばらさんは2003年と2004年二度ほど三島賞候補に選ばれながら、しかし(当然のように?)受賞にはいたらなかった。おもえば長らく甘いマスクのパンク界のイケメン詩人だった町田町蔵さんが、町田康となって文壇で高評価を得るに至ったことは奇跡的なこと。


文壇が(免疫不全になることを怖れ)文学解体のリスクに対する防波堤に徹してきたものだから、結果、純文学は特殊な趣味を持つマニアにしか読まれなくなった。なるほど、たしかに古井由吉もまた読めば読んだで思弁的エッセイとしてたいそうおもしろいものではあるし、後藤明生もまた短編集『スケープゴート』なんて純文学とはおもえないおもしろさではあるけれど。



しかも日本文学は、社会のグローバル化や文化のハイブリッド状況にもほぼ対応できていない。そもそもほんらいカルチュアにせよ、アートにせよ、文学にせよ、新しい世代は前の世代の価値観をぶっ壊し、自分たちにとっておもしろいものに作り直してゆくもの。これが社会の健全というもの。ところが日本の文壇は長い間それを阻止してきた。結果、純文学はサブカルのひとつに「転落」した。


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