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悪魔の言葉、「因果関係は証明できない。」しかし、それでも人は因果を考えずにはいられない。そして病院はときにありがたいものながら、しかし妄信するのは危険だ。

因果関係(原因‐結果。cause and effect)という言葉を目耳にする機会が増えた。流行語大賞にして欲しいほど。いまやチクワ後遺症に対する訴訟が、アメリカ、イタリア、ドイツ、日本・・・世界中でニュースになっています。なにせ日本ではこれまで4億回以上チクワが接種されています。日本には「新型インフルエンザ等対策特別措置法」があって、厚生労働省の管轄です。ただし、この制度の「恩恵」を受けることはけっしてかんたんではありません。申請した書類はまず厚労省へ送られ、審査を経て、都道府県に結果が届くまで4カ月~1年ほどかかる。コロナ関連に限っても年平均で2800件ほどにのぼる。申請は増える一方です。しかも、申請が通るか通らないかはまったくわからない。



裁判沙汰に発展した場合、一方は訴える、「政府にチクワを喰わされたされたからおれはこんなひどいめに会った。」「わたしの家族はチクワ接種の翌日に死んだ。どうしてくれる!??」他方政府は反論する、「いや、チクワとあんたらの病いには因果関係を証明できない。」泥仕合である。



サリドマイド、スモン病、薬害エイズ事件、むかしもいまも法廷でこの泥仕合が繰り返される。なぜ泥仕合になるのか? それは因果関係はそうかんたんに証明できるものではないからだ。きわめて厄介な問題である。逆に言えば、これが織り込み済みだからこそ、怪しげなチクワが平然と流通し、チクワ企業はいい商売ができたに違いありません。街のクリニックや病院もまた。(あのですね、チクワチクワって、おみそちゃんねる用語使うの、やめてもらっていいですか? ワの字のことでしょ。)



有史以来人は因果関係を問うてきた。哲学者も物理学者も法律家も精神分析医も脚本家も小説家もこれについて考えてきた。顕著にはニュートン物理学は力の働きによる因果関係を基礎にしていると言っても過言ではないでしょう。



また、つねに人は考える。この結果には原因があるはずだ。原因と結果の関係さえわかれば、危機を未然に防ぐことができる。科学を進歩させることもできる。はたまた、おれをこんな結果に陥らせたのは誰の責任か? と問うこともまた。



なるほど、かつて船乗りが壊血病にかかったのはヴィタミンC不足によるものだった。あるいは、その人の持っている遺伝子がなにかのきっかけで発現することによって、ヒトの体になんらかの変化が起きるケースは多い。しかし、以下の例はどうだろう? 喫煙者には肺癌にかかる人が多い。ぽっこりおなかの人は大腸癌になる可能性がやや高い。糖尿病患者になったなら、次は心筋梗塞~脳梗塞が待ち構えている。ある程度そのとおりではあるでしょう。しかし、けっして前述の事象のすべてに因果関係の証明ができるわけではなく。どちらかと言えばそれらは疫学研究~統計調査から導き出されたもの。(余談ながら、生活習慣病という用語は因果関係を内包しています。医者の言い分は「おまえの暮らし方に問題があるからおまえは病気になったんだ」というわけ。医者は平気でこういうことを言うから病院はおっかない。しかも、糖尿病治療薬がまた患者の体を決定的に壊してしまうことに貢献します。そもそも、生活習慣病という用語が言わんとする因果関係は確率の大小によって推論されていて。けっして物理学のように純粋科学の考え方ではありません。)これは仕方のないこと。ヒトの体のメカニズムは複雑なもの、たんじゅんな因果関係に落とし込めるものではありません。たとえば、手術は成功したが患者は死んだ。こういう非情な現実にも耐えられる人だけが外科医を続けられるもの。



しかも、統計学を使えば詭弁やごまかしはかんたんである。たとえば現実を見れば、喫煙率は激減したが、しかし肺癌罹患率は増えている。ならば、煙草を吸えば肺癌をまぬがれ得る可能性が増えるの!?? まさかでしょ。



この世界はけっしてニュートン力学だけで解明できるものではありません。それどころか、因果関係がすっきり取り出せることの方がめずらしい。因果についての考察はほぼ推論であり、仮説であり、蓋然性(確率)に基づくもの。たとえサイエンスとて永久に普遍の真理を説くものではない。極端な話、精神分析医は精神を病んでいる患者の過去の物語を聞き、原因をさぐる。しかし、それは分析医と患者による解釈に過ぎない。そもそも過去は記憶のなかにしか存在せず、そしてともすれば記憶は嘘をつく。そんなあやふやな対象を相手に「サイエンスする」ことは途方もないこと。しかも、この危うさは多かれ少なかれ他のサイエンスにも言える。



それでも人は因果を考える癖から逃れられない。江戸の講談師は「親の因果が子にむくい」なんてせりふで観客をおどかして物語に誘い込んだもの。「姉は陰売、妹は芸者、末のチョロ松は博打打ち。こんな一家に誰がした?」なんて名文句もあった。(岡林信康『ガイコツの唄』の口上。)ここでもまた因果が問われているのである。いまでも怪しげな霊能者は「あなた、ご先祖様をちゃんとまつってないでしょ」みたいな言葉で不幸なクライアントを恫喝する。しかし、そんな因果関係が証明できるわけがない。



そもそも因果という言葉は仏教由来である。むかしの人は悩みがあれば神様に願をかけたり、お百度まいりをしたものだ。わからないものはわからないのだから神様におすがりする。これはむかしの人の知恵である。それに対して、近代人は科学教を信じ、因果関係の病いにかかっています。しかし、科学教もまたしょせん新宗教ですよ。けっして妄信するものではありません。



しかし、それであってなお、チクワ後遺症について「因果関係は証明できない」、この悪魔の言葉をどう論破するか。それが知性の見せどころではあって。とくに法廷論争においては。



すでにわれわれは学んだ、チクワを喰えば流行病をまぬがれることができるとおもわされた、しかしそれが罠だった。(しかもマスメディアがまったく信用できないのみならず、ネットのインフルエンサーたちまでもが工作員だった。



街のクリニックや病院はこの3年間チクワ接種でぼろ儲けができた。しかし2024年3月でチクワ接種は終了した。時代の潮目は変わった。


しかし他方、2023年11月末危険きわまりないレプリコンワクチンが日本で承認され、この秋から接種が予定されています。今後もまたどんなとんでもないことが起こるのか知れたものではありません。



いま、世界中の被害者たちがチクワ薬害について因果関係の有無で責任問題を争っています。泥仕合になるのもあたりまえではあって。しかし、たとえ因果関係を見出せなくとも統計学で闘うこともできる。しかも、この問題はけっして「煙草を吸えば肺癌をまぬがれ得る確率が高い」というような荒唐無稽なものではありません。例のチクワ薬害問題について、ぼくの意見はこれに尽きる。


ただし、この問題を離れて言えば、もうそろそろわれわれは、事象のすべてに因果関係を見出せるものだという幻想から解放されるべきだともおもう。ましてやサイエンス万能主義ほど危険なものはありません。とっくのむかしに『鉄腕アトム』の時代は過ぎ去って、替わってゴジラが何度となく蘇り続けるのが現代です。いまだ医学はわからないことだらけ。永遠にそうであることは疑い得ない。たんじゅんな因果関係を取り出せる事例は限定的で多くの病気はひじょうに複合的です。それがあたりまえ。けっして専門家を神様だとおもってはいけません。










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