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私の大切な音楽を、私が許せない人に「好きだ」と言われたくない。

私は音楽に救われてきた。

大袈裟に聞こえるが、本当にそうなのである。

レベルが高すぎる進学校に入ったことで「自分は誰よりもできない奴なんだ」と追い詰められ、15歳にして鬱病になった高校時代、無理矢理車で学校に連れて行かれる最中に聴いていたのがR指定というヴィジュアル系バンドだった。

R指定は青春の闇を多く歌い、当時の一部の中高生にとってのカリスマだった。私は中学生の頃からV系が好きだったが、1番精神を病んでいた高校時代だからこそ、さらに強く私の心に刺さった。

放課後の教室でリストカットをする『青春はリストカット』、両親を毒殺する『毒盛る』、学校の屋上から飛び降りる『スーサイドメモリーズ』など、とてもじゃないがお茶の間では流せない曲ばかりであったが、寧ろそれが良かった。

誰にも言えない苦しみと、口にすることすらはばかられる「死にたい」を、彼らが代わりに叫んでくれるのだった。

そのおかげで、今の私は生きているのだと思う。高校時代、何度も自殺の妄想をした。駅のホームでは線路に降りることを考え、自宅の屋上では飛び降りることを考え、大嫌いな学校に向かう道すがら車に轢かれることを願っていた。そんな私をすんでのところで救ってくれたのがR指定含む、ヴィジュアル系バンドたちだった。

だから、私にとって音楽とは、とても大きな存在である。他の人には「電車の中で暇つぶしに聴くもの」、「フェスで楽しむために聴くもの」であるのに対し、私にとっては「死ぬはずだった命を生かしてくれたもの」なのだ。

そんな私は、真面目で愛が重く、まっすぐすぎる性格の女である。そんな性格だからこそ鬱になりやすいのかもしれないが、私は真面目で愛が重くてまっすぐである自分を完全には嫌いにはなれないので、今もその性格で生き続けている。

その愛の重さ故、今でもV系には愛を注ぎ、特別な存在として人生の傍らに置いている。毎日聴かない日は無いし、月に数回ライブに行く。共感し、感動し、共鳴する。高校時代の辛い思い出は消えぬまま、音楽への愛情はより重くなっている。

しかし私には、同じ趣味を持つ友達がいなかった。それを昔からずっと寂しく思っていた。そんなタイミングで大学の友達に誘われたのが"推しプレゼン"という遊びだった。アニメ、ゲーム、ジャニーズなど、全くバラバラの趣味を持つ友達を集め、互いの"推し"を見せ合おうという遊びだった。

私はもちろんヴィジュアル系一択で、昔好きだったお気に入りの対バンライブのDVDを持って行った。

その推しプレゼンの数日後、友達の1人からLINEが来た。

「実はさきちゃんが持ってきてたDVDのバンドのギターの人がかっこよくてハマりかけてるんだけど…」という内容だった。

それは素直に嬉しかった。初めて私の好きなものを好きだと言ってくれる人が現れたのだから。

早速、その子にV系のライブの何たるかを教えるために、私の好きな某バンド(以下、バンドAとする)のライブに連れて行った。元々ジャニーズが好きなその子は、ステージと客席の近さにキャーキャー言っていて、ジャニオタとバンギャの違いを感じた。

ライブの帰り道、すっかりV系のライブにハマったようで、「また行きたい」と行ってくれた。その日以来、私の好きなバンドAが地元に来る度に向こうから「一緒に行こう!」と連絡が来るようになった。

しかし、一緒にライブに行けば行くほど、その子の「好き」と私の「好き」は別物だということがどんどん浮き彫りになっていった。

LINEをしていても、話をしていても、その子の口からはいつも「顔が良い」「イケメン」という顔の評価や、「YouTubeの動画での振る舞いが良かった」などのメンバーの言動の話しか出てこなかった。元々ジャニーズなどのアイドルが好きな人なので、"顔>音楽"なのだろう。

しかしバンギャというものは昔から、"顔ファン"という「顔だけが好きなファン」を嫌う傾向がある。なぜなら彼らはあくまでもアイドルではなくバンドマンであり、自ら作詞作曲した音楽を自ら演奏しているのだから、音楽で評価して欲しいのだ。もちろん"ヴィジュアル系"というくらいだから見た目や衣装、メイクも楽しいポイントなのだが、「まずはとりあえず音楽で好きになって欲しい」と思うバンギャが多い気がする。

私もそのタイプである。冒頭で説明した通り、私はV系に命を救われている。私にとって、彼らの書く苦しくて重たい歌詞や、魂の叫びのようなシャウトが救いなのだから。

それなのに、「顔が良いから好き」だとか、「言動がおもしろいから好き」だとか、アイドル視されてしまうのが、なんだか嫌だった。何度かやんわりと、「彼らは一応バンドマンなんだから、顔ばかりじゃなくて音楽で好きになってあげてね」と言ってみたものの、彼女の反応は変わらなかった。

そのうち、私の大好きなバンドAのライブに一緒に行くのもだんだん嫌になってきた。いつも隣でキャーキャー言われるのもなんだか疲れるし、帰りの新幹線の中でも引き続きキャーキャー言いながらアクリルスタンドを並べているのを見ながら苦笑いするのも苦痛だった。曲の感想なんて一言も話さず、「顔が良かった」「ビジュが良かった」と言っているのを見れば見るほど気持ちが冷めた。

もちろん、V系にハマってくれた最初は嬉しかったのだが、その友達がV系を好きになることに対して「嫌だな」と思ってしまう理由がもう1つあった。

実を言うと、昔からその子のことが苦手だったのである。

その子とは小学生の頃に仲良くなり、よく遊んだ。家に遊びに来たこともある。しかし、幼少期のその子は性格にキツい部分があった。養護学級の生徒の悪口を言ったり(あっち行って、キモい等)、クラスで立場が弱い子にキツい物言いをしたりするのだ。別に"いじめっ子"という程ではないが、「性格が良い」とは言えなかった。

小学校卒業で離れたが、大学で偶然同じ学部だったことから再会した。正直、あまり再会したくはなかったのだが、他の友達が「同じ大学だよ」と教えてしまったことによって同じ学部なのがバレてしまい、友達作りや授業選択などの際にいつも隣に擦り寄られてしまって、なんとなく離れられなくなってしまった。

結局、大学4年間を共にすることになり、彼女の言動を見る機会が多かったのだが、やはり元々の苦手意識を抜きにしても、彼女の言動にはずっと違和感があった。

大学の授業はサボりまくり、私含む友達たちが「出席すれば単位取れるんだからちゃんと来なよ」と言っても来なかった。理由は「めんどくさいから」だとか「起きられなかったから」だとか、子供のようなものばかり。案の定、文系で雰囲気もゆるい学部で、司書や学芸員などの資格取得の授業を取っている訳でもないはずなのに、4年生になっても単位を取ることに必死になっていた。そうして卒業する頃に、「私も学芸員とか取れば良かったかも…」なんて言い出すのだ。私たちは4年間努力して司書や学芸員の資格を手に入れているのに。

車の免許についてもそうで、私と同じ自動車学校に同じ時期に入校したのに、だんだんと行かなくなり、最後には「もう行きたくない」と辞めてしまった。「高いお金払ってるんだから頑張ろうよ」「将来必要になるよ」と周りがどれだけ助言しても聞かなかった。そして数年後に、「私も取れば良かったかも…いや、でも良いんだ、行きたくなかったから」と自分を正当化するのだった。

そうして、就職活動もしなかった。最初は「〜になりたい」とかなんとか言っていたのに、就活もほとんどやらずに辞めてしまった。理由はもちろん「めんどくさいから」とか「嫌だから」とかである。幸い彼女のアルバイト先はアルバイトからそのまま準社員になることのできる制度があったのでそれで楽に済んでしまったのである。

だけどそれを横で見ている私は辛かった。私は1年かけて就職活動を必死にしたものの、どこにも内定が貰えなかった。挙句の果てに、高校時代の鬱が再発して躁鬱になり、卒業後も体調を崩したまま苦しむ羽目になった。そんな私には、大学生の間4年間ずっとありとあらゆるものから逃げ出して、投げ出して生きてきた癖に、最終的にまた逃げ出して、それで丸く収まってしまう彼女を見ているのが苦しかった。

躁鬱になると、またヴィジュアル系を聴くことがまた増えた。誰にも言えない辛い感情や、世の中への怒りや情けなさを、ヴィジュアル系の音楽は理解してくれた。私にとって、唯一の光だった。

それなのに、好きなバンドのライブのたびに彼女から「一緒に行こう」と連絡が来る。一緒に行くと苦しい。彼女の"好き"と私の"好き"は違うのに。一緒にされたくない。真面目に生きて、真面目すぎてぶつかって、壊れてしまった私と、全てのことから逃げて、それでも運良くうまくいって、平気な顔して生きていけちゃう彼女と、一緒になんてされたくない。私が高校生の頃からずっと大切にしてきた"好き"を、汚されたくない。そう思った。

現在私が主に追いかけているバンドは2つあって、バンドAとバンドBのライブに通っている。しかしバンドAの方は彼女も気に入ってしまい、ライブのたびに向こうから連絡が来てしまうので断りにくい。

そこで、バンドBだけは、自分1人でのびのびと通おうと思った。バンドBはバンドAと比べると曲調はハードで、歌詞も重たく過激で、死にたい気持ちをたくさん歌っていて、高校時代に好きだったR指定と似ている。憂鬱と絶望続きの私には刺さる音楽だが、逃げてばかりの彼女には刺さらないだろうと思って、バンドBを大事にしようと思った。

それなのに。

ご機嫌でバンドBのライブに行き、るんるん気分のままライブ終わりにインスタのストーリーを更新すると、彼女からメッセージが来たのだった。

「実は私も今日いたんだ!○○さんすごくカッコよかったし、○○さんかわいかった!」と。

それまでとても楽しかった気持ちが一気に沈んだ。それどころか、怒りにすら近い感情だった。

なんでこの人は私の好きなものをあれもこれも踏み荒らすんだろう。1番最初にハマったバンドにだけ通えばいいのに、なんでわざわざ私の好きなバンドたちにあれこれ手を出すんだろう。

しかもバンドBは、真面目すぎて不器用で、辛い思いをしてきた女の子のことをたくさん歌っているのだ。それを、小さい頃から他人の悪口を言ったり、全てのことから逃げ出したりしてきた彼女が「好き」だというのが許せなかった。

こんな感情、持ってはいけないのだと思う。別に私がバンドのファン層を決めていい立場ではないし、彼女の行動に口出ししていい立場でもない。それは頭ではちゃんと分かっている。

それでも許せなかった。いつも努力している私の隣でサボって、壁にぶつかっている私の隣で逃げて、そんな人にそのバンドのことを「好き」だなんて言って欲しくなかった。

やめて、やめてよ。私がずっとずっと大切にしてきたものを汚さないでよ。私が1人で守ってきた場所に土足で踏み込んで来ないでよ。

私は、あなたみたいな人に分かられたくないから、あなたみたいな人に分かられてたまるかと思って、この音楽にしがみついて生きてきたのに!

あなたみたいな人から自分を守るためにこの音楽を好きでいるのに!

そう思ったらもう、このままじゃいられなかった。このまま放っておいたら、バンドAと同様に、バンドBまで「一緒にライブ行こう!」と誘われるようになってしまうかもしれない。そうしたら、私が大切にしてきた自分の場所と時間が、全て彼女にドカドカと踏み込まれてしまう。それだけは絶対に避けたかった。

手元にあったハイボールをぐいと飲み、必死に文面を考えた。

「前からモヤモヤしてたんだけど、授業サボったり、自動車学校途中で辞めたり、就活も嫌になって辞めたり、全てのことから逃げ出すあなたを見ていて、全部頑張って向き合って心を潰されてきた私はいつも辛かったです。

前にも言った通り、私みたいな人間にとってはこの音楽が救いなんです。生きるための特効薬なんです。それなのに、私の好きな踏み荒らすように取っかえ引っ変えしていくあなたを見ているのも苦しかったです。

私にこんなこと言う権利がある訳じゃないけど、あなたと同じものを好きでいることは苦しいです。私の大切にしてきたものがどんどん塗り替えられていって、私の苦しみを知らないのに、私の"楽しい部分だけ"を都合良く持っていかれてしまうような気がしていました。

これは私のわがままだけど、しばらくあなたからは距離を置きたいです。ライブも1人で行きたいです。身勝手でごめんね。これは私のわがままなので、返信はいらないです。」

文章にするととても長くなった。だけど、ちゃんと1から10まで話さないと、この人には伝わらない気がした。

返信はいらないと言ったけれど、返信は来た。

文末には「またね」と書いてあったが、その3文字は取ってつけたようなそっけなさとバツの悪さを含んでいた。たぶんもう、会うことは無いのだと思う。

それ以来、彼女とは連絡を取っていない。彼女のインスタのストーリーも見えないようにしているので、今何をしているかも分からない。

だけどこれは私の予想なのだが、彼女はバンドBのライブに今でも来ている気がする。

先日、バンドBのライブに行った時、会場前で彼女にそっくりな人を見つけたのだ。見つけた瞬間血の気が引いて、その日のライブ中は彼女への怒りで頭がいっぱいだった。

なんでいるんだよ。来ないでって言ったのに。私の好きなものを踏み荒らさないでってちゃんと言ったのに。

その日以降もバンドBのライブは度々あったが、なんだかバンドBのライブがある日は、彼女が私のインスタのストーリーに既読を付けるのがやたらと早い気がする。それがとても不気味で、モヤモヤとした気分にさせる。「もしかしたら今日も来ていたのかも…」と思うと心が掻き乱される。

何度も言うが、私に彼女の言動を制御する権利なんて無いことはよく理解している。

だけど、いつも生きるのが下手くそな私が唯一見つけた音楽という光を、苦しみを知らない人に汚されるのは嫌なのだ。

こんな感情は初めてで、自分でもどうしたらいいのか分からない。こんなこと思ってしまうなんて、自分はとても心が狭いなと思う。そして、彼女がライブに来ているか来ていないかで心が掻き乱されてしまう自分が惨めで仕方ない。

いわゆる「同担拒否」とは違うのだ。今の私には、同じバンドや同じメンバーが好きな友達がいるくらいだし、これは同担拒否という感情ではない。

ただ、私が許せない人に、私が憎い人に、私が分かり合えない人に、同じものを「好き」と言われるのが気持ち悪いのだった。

こんな感情を持っているのは私だけだろうか。私は音楽に対して、重たいマインドを持ちすぎだろうか。だけどそれほどまでに音楽は私を救い、私を生かしているのだ。

好きで好きでたまらない。

だから、"お前だけには分ってたまるか"

自分の書いた言葉を本にするのがずっと夢です。