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9月1日というタイトル-すずころ日和 本-


こんにちは。皐月です。

先日久しぶりに古本屋さんに行ってきました。ブックオフです。

以前書いたようにお目当てを探しに行きました。

以前と結構レイアウトが変わっていてびっくり。
まず漫画はセット売りがとても多くなっていること。なんでだろう。
メルカリとかの台頭となんか関係があるのかな?と思ったり。

お目当ての文庫本コーナーも本屋さんのように「話題の本」が棚に表紙をみせてずらっと飾ってあったり。見やすくなっている感じを受けました。
あと、110〜220円の本が増えたような。意外とブックオフってわたしの中でお高いイメージなので、これは嬉しい。

しかし、古本屋さんはかなり減りましたね。昔は数件ハシゴしてお小遣いをやりくりして漫画を集めたりしたけれど、今はスマホで漫画も読めるし、個人間売買も盛んだし。
ブックオフしか近くにはもうない。

さて、前置きが長くなってしまいましたが写真にあるように今日は
「9月1日 母からのバトン」(ポプラ社)
樹木希林 内田也哉子
を読んで。

これまた帯を見て目が止まりました。
「どうか、生きて。」

言葉に込めた想い、とは

なんて言うのでしょうか。息が一瞬、フッととまるような。
ゾッとする、とはちがう、ぞわっとした。そんなざわぞわした感じ。

どうか、生きて。

こちらの本は著者というのは存在しません。
背表紙には「母からのバトン」とだけ。

内田也哉子さんが四人の方と対談したものをまとめたものです。
樹木希林さんが亡くなった約一年後の2019年に出版されています。

実は、わたしあまり対談物って読みません。
見ても雑誌の対談コーナーくらいでしょうか。
理由は、対談ってなんというか「旬」があると思うんです。生き物のような。

なので気になって手に取って、パラパラと見た時に「対談ものかあ」とちょっと迷いました。

でも。

本って引力あると思うこの頃。
読まずにおれる?と。
いや、否。

そうして古本屋で十冊ほど手に入れた中で、帰宅後一番に開いたこちら。


手の空いた時に読み進めていたのですが、机に置いたこちらの本をみた下の子が、本の帯を声にだして読んでおどろきの声を上げました。
小学3年生。

「えー?なんで?9月1日って子どもが自殺するの??」

読んでいい?というので、いいよ。というとパラパラと見ていました。
「いつでも読んでいいよ」というと
「うーん、でも難しそうだからいいや」

そして、なぜ9月1日に子どもが自殺してしまうのか。
そう疑問を口にする下の子に、できるだけ簡単に、わかりやすくわたしなりに彼女に話しました。

そうなんだ。
でもね。わたしはね、死なないよ。

うん。そうだね。

そして彼女はピアノで遊び始めました。
その数日後、何回かは本を手に取っている姿。

こちらの本。
樹木希林さんがもう余命いくばくもない時に窓の外につぶやいた「死なないでね、死なないでね…」という言葉を聞いた也哉子さん。その時にその理由となる「9月1日に自殺する子どもが多い」ということを初めて知った、という出来事からスタートしています。

也哉子さんが樹木さんの想いの解釈として、

若い命が、まだまだ生きることができる尊い命が、学校という場に行かない、という理由で自ら死を選ぶことになっている現実を
「こんな理不尽な、もったいないことはない」と述べている部分があります。
その現実と、樹木さんが死を間際にして切に願うその姿に衝撃を受け、その種を受け継いでいかなければ。と思い、行動に移していって出来上がったのがこちらの本です。

著者がいない本。
そこにしっかり大きく刻まれた「樹木希林」の名。
そして、それを背負う同じ大きさで記された内田也哉子の名。

樹木希林さん亡き後は、それこそすごい数の本の出版依頼があったそうです。
商業的な意味も大きく。

それを全て拒んだ也哉子さんが、この本に大きく刻んだ2つの名。

その意味。
わたしはこの本気さに、ひたむきさに圧倒される感覚を持ちました。

樹木希林の名を遠慮なく使いなさい。
そうすることで、みんなに知ってもらえるならそんな有難いことはない。

きっと、樹木さんならそう言うだろうな。
読後、そう思えてなりません。

ちなみに、わたしは
・9月1日に子どもの自殺が多いこと。(長期休み明けに多くなる)
小学生でも自殺する子がいること。
このことは知っていました。

だからこそ、自分の子どもが、
上の子が学校に行けなくなったとき
涙をためて、身体を丸くしてソファで動けなくなったとき


とても怖くなった。
とても怖かった。


震えて、一人が怖い。という彼女から目を離してはダメだと。
今の優先事項は、間違いなく子どもなんだと。

死を選ぶ子どもがいる。
それがわずかなパーセントだと知っていても、ゼロでない現実。

もしも。

わずかであっても、もしそうなったら。

あの時、決してわたしは言葉には出さなかったけれど。

信頼している小児科の先生も明確には言わなかったけれど、こう声をかけてくれた。
「子どもが学校に行かない、という時は見守ること。傾聴すること。手を出しすぎないこと。でもね、一つだけは気をつけて。
子どもが発する言葉で、あれっ…と思うものがあったら聞き逃してはだめ。それはダメ。それだけは気にして、そして気をつけて


也哉子さんが言うように「9月1日の出来事を知らない」人がまだまだいるのだとしたら、彼女が樹木さんの想いを受け取ってこのように行動することが
どれだけ大きい意味をもつだろう。

魅力的な女優、樹木希林。

全国紙にカラー見開き一面で「死ぬ時くらい好きにさせてよ」と美しい絵画のような一枚で世間をあっと言わせた彼女。とても印象に残っている。

絵画のような美しさと衝撃的な言葉 宝島社

全身ガンを公表していた彼女が、穏やかな笑みで美しく浮かぶ姿は衝撃だった。
達観?受け入れる。抗わない。そういう姿なのだろうか。


死は特別なものでない、必ずやっていくもの。

でもだからこそ「もったいない」と若い命が生きることを本気で望んでいるのだと、本書を通して樹木さんの一本筋がピーンと通ったものを感じた。

そして。
その想いを受け取って、学びながら真摯に向き合って発せられる也哉子さんの言葉に「美しい」ものを感じた。凛とした、美しく、飾らない。そしてやわらかな優しさ。

どうか、もし本書を見る機会があれば手に取って欲しい。
不登校がキーワードに語られていく本書ではあるけれど、その中には「こうあるべき」「こうしなきゃ」があふれる世の中で、

自らの命が生きていていい。

とただただ肯定してもらえる柔らかでしなやかな世界があるから。
もし我が子が…という恐怖ではなく、ノウハウや教育論でなくて、

あ、そっか。これでいいんだ。大丈夫なんだ。

素直にそう思える、広いやさしい世界。


今日も読んでいただきありがとうございました。
本書との出会いと読んでくれた貴方に感謝して。

皐月




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