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配属先は島。初めての就職-すずころ日和 仕事-

社会人一年目のスタートは「島」だった。
海に浮かぶ、島。
残念ながら地名に「島」がついていました、のオチではなかった。

昨日、定年退職をする元上司へお祝いを送る。
そして、昨年末に退職されていた元同僚へも。

初めての上司、初めての同僚。
私を含めてたった3人の元職場。
初めての就職先、島にある郵便局


大学を卒業する時、同じゼミに11人。
内、内定者はわずか4人。
氷河期に超がついて数年たったもう末期。
やっと滑り込みで決まった内定、四年の秋。

あの頃の空気感はどう形容したらよいだろう。
「時代」
という渦に、かも自分の努力というものは左右され否定されるのか。

形容し難い、虚しさ。そして諦め。
卒業するタイミングの社会情勢に、一生を決める就職が左右される現実。

その「タイミングが最悪」な時代。
企業も考えられないくらい厚顔だった。

通っていたのは県内では一番の地方国立大学。
地元の上場企業の入社式は、まさかの大学の卒業式同日。3月の半ばの土曜日。
そこの内定をやっとの思いでもらっていた同級生は、泣きながら卒業式を諦めた。
今でも、その企業のことは軽蔑している。

そんな時代。

小泉民営化。その大旗にゆられ郵政民営化が決まった郵政公社一期生。
それが社会人としての私の第一歩。郵便局員。

当時はまだ準公務員で、試験を受けれる資格は「高卒以上」。
高卒を想定しての採用枠が、内勤100人程の中に純粋な高卒はだれもいなかった。(内勤は郵便局内で働く配達ではない人)
大卒、大学院卒、公務員浪人、予備校卒。
氷河期末期、本来は高校卒業者を想定した枠に大卒が流れ込む悪循環。

先輩方には「本当に大学出ている子が入ってくるんだ」と言われた。

しかも県庁所在地のような市内は、郵便局で臨時で働いたコネがある2人のみ。
そのほかはわかりやすく僻地ばかり。
バスもないような山奥、過疎地、そして島。
イヤ、とは言えない就職難民を都合良く徹底的に使う。世の黒さばかりを知る。

そしてわたしが配属された先は、島。
1次試験は自己採点でかなり高得点であったが、わずかな期待も裏切られた。

配属先を知らされたのは3月あたま。
配属先から電話があり、場所がわからず地図を開いた。何度見ても、まぎれもなく島。

しかし「行きたくない」は口に出せなかった。
親からは「就職浪人は絶対に許されない」と再三言われていたし、新卒のカードがないとさらに就職は厳しい。選択肢はもうなかった。


こうして社会人生活はスタートした。
局長と私だけの二名局。
どちらかがいない時にくるアルバイトが一人。


結局、郵便局生活は約2年で幕をおろす。

もし最初の配属先がそこそこ市内であれば「やめる」となったかはわからない。
ただ、その二年間はわたしの中のプライドを傷つけるには十分すぎる時間だった。


いいとこだね〜でも、こんな田舎はマジ無理。と遊びに来た友人には言われ、給料は入った途端に人事院勧告で額面15万を切った。


手元には10万以下しか振り込まれない。
薄給の中、1万ほどの簡保保険に当然と入れられて、政治運動が盛んな組合に毎月五千円。

そこから物件がないため県庁所在地よりも高いアパートの家賃、保険、毎月のゆうパック、カモめーるに年賀状の自爆買い。

強制的な支出。手元はわずかなお金。

当時の食費は1万円。
極めていた時は8千円の極貧生活。


人口1000人程の島。
どうしろっていうんだ。

お金はない、友人も知り合いもいない。恋人どころか出会いすらない。
職場に人もいない。初めての一人暮らし。
心がどんどんすさんでいった。


進学校を目指して頑張った中学、国立をめざして必死だった高校時代。
過去の自分の努力を否定したくなかった。


でも、頑張った結果。

今、こんな若者もいない田舎で海を一人でみている自分。

ただただ、虚しかった。惨めだった。


しかし、局長もアルバイトの方もとても良い人だった。それだけが救いだった。
子どもが中高生という二人はまだ40前半だったが、若干22歳のわたしを子どものような感覚で見守ってくれた。
いま思い出しても、ほんとうに恥ずかしいほど世間知らずだったと思う。
でも、最後まで優しかった。
「もう、辞めます」とうつむいて退職を伝えた時も、ただ受け入れてくれた。

固辞する中「門出として」局長と奥様、アルバイトさんと私の四人で食事会をしてくれた。
自分の不甲斐なさと申し訳なさと、みなさんの優しさ。泣いてしまった私とともに、奥様もアルバイトさんも「大丈夫よ、若いんだから」と一緒に泣いてくれた。
迷惑をかけていることを誰も責めなかった。お選別までくれた。

せめてできることをとしたのは、とにかくトイレや台所や休憩室など隅々まで掃除をすることだけ。これが当時社会人2年目の私の精一杯だった。
局長にとって、初めての新卒の部下。彼の経歴に傷をつけてしまった申し訳なさは今も疼いている。

退職を決めたのは「異動はない」と入社して1年後に言われたからだ。
わたしの地元は県庁所在地のある地方の市。そこは、空きはないからもう諦めてくれと。
「こっちで結婚して家庭を持てばいい」
「10年こっちで頑張れば、中心部にいけないこともないかも」
話がちがう。最終面談で「2〜3年頑張れば戻れる」と言っていたではないか。

騙された

田舎は就職先もなく、高校卒業を機にどんどん若者が外に出る。反対にやってきた私。

若い女性。

嫁の貰い手はたくさんあると、実際にそう言われた。毎日来局する島の男性もいた。

悔しくて、どうにか会社に一矢報いたくて、偉い人が説得にきたが譲らずに2月末に退職。
ただ、局長には本当に悪いことをした。

1年と11ヶ月の郵便局員生活。
島には通いだったので純粋には島で暮らしたわけではない。
ただ、毎日の船での通勤。なんども良いところを探してはみたけれど、このまま何もしなければずっとこの地にいることになる。
それは耐えられなかった。

苦い社会人のスタート。


「働かざるもの食うべからず」の我が家。
退職を伝えると同時に転職活動をし、再就職先を確保して辞めた。

これが振り返ればとても最悪の転職だった。

今であれば「自分のスキルが上がるところ」を正社員に拘らず転職先を捜す。特に20代ならばなおさら学びを重視すればよかった。

当時24歳。もう年だ、と思い込んでいた浅はかな自分。転職先は百貨店での高級服の販売。

ここでは反対に「大学卒」というだけで出社1日目から理不尽な罵詈雑言を浴び、学歴、容姿はては血液型や家族の仕事まででいわれて、とことんいじめられた。女だけの世界。

当時はまだ「パワハラ」という言葉もなく、知らない世界でもあったため自分がいじめられているという認識に至ることができなかった。
就職歴が短いことが後の転職でも不利になると思い込んでいて、3年は頑張ろう。と決めていたことも、当時は結局若くてよくわからなかったことも、なんだかんだで頑張らなければ、自分がいけないんだ。そう刷り込まれる巧妙な狭い世界。

就職して1年後には出勤や退勤時に電車に乗れない、動悸が止まらない、歩けなくなるなど身体に異変を起こしていた。そのことも気づけないほど思考が停止していた暗黒時代。

ここを決めていた3年勤め、貯金をため退職。
最後に全部ぶちまけてやれば良かった。
もうかなり経つのに、未だに夢に出てくるトラウマ級のキズは悔しいけれど残っている。

前回の失敗を生かし、無職期間を設けて焦らないよう気をつけた。
PC資格等勉強をして取得、そして元々志望していた職種、現在の職場への就職に至る。30歳手前のリクルートスーツ。奮起した当時。

現在の仕事も決して楽ではない。しかし産休も、しかも今こうして病気での休職も認めてくれる有難い職場。
お客様や様々な職や立場の方とも多く接する。学びも刺激もある。
仕事の継続は、今後は現在未知数だけれど。


3回目の就職後に結婚し、家庭を持つ。
結婚した時、バイトさんは花を贈ってくれた。
せめてものお返しに、子どもが生まれた時に学資保険は局長に連絡。下の子がお腹にいるときには、菓子折りをもって当時のお詫びにと長年のお礼を言いに船に揺られて子どもと会いに行った。

二人とも、とても喜んでくれた。


退職してからも、ゆるく繋がっていた。

そして、今年。元旦の年賀状に「今年退職します。23年前を懐かしく思い出します」との局長の文字。ジーンとした。
アルバイトさんからは「昨年末で退職したよ。またいつでも遊びに来てね!」と届いた。

ん?23年はちょっといい過ぎだぞ。
もう少し短いですw


当時の二人と同じ年頃になった自分。
見える景色も少しずつ変わり、若い子が不憫だな…当時そう思ってくれていたのだと気づく。

20年前の濃い2年間。人に優しく救われたことはいまも覚えている。
その後地獄の3年間に会ったさらに年上のイジメ抜いてきた店長も当時40後半。
若い子をこれでもかと攻撃する醜さを今思う。
若さや学歴、嫉妬からの嫌がらせだと気付く。

人生折り返し。


私も若い人と働き、若いお母さんとも話す。

どう自分がありたいか。

過去の出来事から学ぶとき。
素敵だと思うのは、やはり優しく寛容さを持った大人であった方々。

若いからこその悩みや未熟さ。
そこに手を添えることのできる人でありたい。

局長には大好きなお酒を。
バイトの方には貴女のような可愛いお菓子を。

今も優しい記憶をありがとうございます。
当時の新卒だった私から、最大の感謝をこめて。


長文、最後までお付き合い頂きありがとうございました。


皐月


※一月かな?テーマ「私の転職記」に向けて書いていたものを加筆修正しました。
暗黒期が酷すぎて筆が止まる…。
ただ、今のこのタイミングで書くと新卒当時の感謝に目を向けることができました。
有難い機会となりました。



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