【映画✖️心理学】窮鼠はチーズの夢を見る
恋する相手にジェンダーは関係ない。
身体は「男性」どうしだけれど、
描かれているのは「人」どうしの恋愛だった。
【窮鼠はチーズの夢を見る】
セクシュアリティ ★★★★★
寂しさ ★★★★☆
親密感への怖れ ★★★★☆
こんなにあきらかにセクシュアリティの才能を持った2人が、
それを抑圧して生きていたら、
そりゃあ、生きづらいし、恋愛も苦しくなっていくよね、と、思ってしまった。
まだまだこの世の中には、性別は「男」「女」とうい意識が根強い。
映画の中では、恋愛対象は「異性であるべき」ということが当たり前のようにセリフにあり、その世論と自分の恋愛のギャップにも振り回せれる様子が描かれている。
堂々と恋愛を選択しているようでも、どこかで「自分は受け入れられない」「普通と違う」という思いは、なかなか拭いきれないのかもしれない。
世の中の目から感じる「不自由さ」が「不安」や「寂しさ」を生む。
そんな自分の中にずっとある感情が、
「受け入れられている」やことを「愛されている」疑い、関係を自ら壊してしまう。
この感情の流れに、性別は全く関係ない。
自分自身の自信の無さや不安が「親密になることへの怖れ」をつくり
相手に嫌われる言動をさせてしまうのです。
「愛すること」で自分を満たそうとする今ヶ瀬渉、「愛してくれる人」を愛そうとする大伴恭一。
その二人の中にある共通の感情は「寂しさ」なんじゃないかと思った。
他人の目や評価、一般論が「自由」であることを「不自由」にさせ、
恋愛すらも自分の思うようにできない。
その「不自由さ」が「寂しさ」を生むこともあるのでは無いかと、私は思っている。
恋愛は寂しさから始まることは大いにあるけれど、
自分の心に「自由」であることを許して
世の中の「あたりまえ」からも解放され、
「自分は、ただ自分である」ということを受け入れられれば、その「寂しさ」は薄まっていくのではないかと、思った。
【こんな人におすすめ】
◯好きになる人は、いつも思いが叶わない人だ。
◯恋愛でいい感じになると、何もないのに急に不安になって、関係を壊してしまう。
◯自分が無い、自分らしさが分からない。
◯誰かを好きになる、恋する気持ちが分からない。
◯なぜ寂しいのかわからないけれど、その寂しさから、人を求めてしまう。
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こんにちは、心理カウンセラーのスズキチサです。
感情を抑圧することは、本来のセクシュアリティも抑圧します。
他人の目を気にして、抑圧された感情をもう一度とりもどして、セクシュアリティの解放ができれば、
恋愛だけでなく、生き方も楽になると、私は考えています。
あなたのセクシュアリティを解放をさせるお手伝いを、ぜひスズキにさせてください^ - ^
セクシュアリティ解放を目指すカウンセリングの詳細はこちらから。
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