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私が占い師になったワケ(闘病記㉜ぶどう膜炎の検査とステロイド性白内障VS先天性白内障 2009年~2011年)

2009.02.16 最近はなんだかすっかりと右足の調子が悪く、再び杖をつくようになってしまった。採血の結果、MMP-3(滑膜の炎症反を示す)の数値が、正常値の倍以上も超えてしまっているのだから仕方がない。

杖をついて歩く私を見て、甥っ子(7歳)が一言。

「僕が車いすを買ってやるよ!」と言ってお財布の中から、1円玉と10円玉を掻き集め、私に差し出した。

今、エキサイトブログを見て、こんなエピソードもあったのね、と。もうすっかりと忘れていた出来事に(基本的に私は書いたブログ記事を見直さないので)感動する。

あれから15年もの歳月が経ち、甥っ子君は立派な社会人として会社で働いているが。

あの頃はみんな小さかったな、と思い出す。

2009.06.07 クリスタルボウルの演奏会で生まれて初めて好転反応を体験する。演奏が終わると右ひじと膝の関節に水が溜まるときの痛みを感じた。

確かこのときイベント会場にいた茨城県の霊能者さんに改名の相談をしたところ、「あなたはただでさえご病気でちょっと仕事をすると疲れてしまう姿が見えるから、鳴かず飛ばずかもしれないけど、改名はおやめなさい」と言われる。

そのため「鈴木アロハ」ではなく「鈴木あろは」のまま現在も仕事を続けている。

ちなみにこの頃の私はまだワンコインで鑑定をしていたようだ。

2010.07.21 今日は3回も眼科へ行ってしまった。

どうやらコンタクトレンズが原因で、角膜のど真ん中に傷ができてしまったらしい。

とにかくあまりにも激しい痛みだったので、オフテクターと言うニューキノロン系抗生物質(点眼薬)をすぐに処方してもらったのだが、これがまた私の眼には合わず。

1滴垂らした瞬間から先程よりももっと激しい痛みに襲われた。

そこで今度は違う目薬を処方してもらう為、再び病院へ足を運ぶ。

今度は『ベストロン』と言って抗生物質の中では副作用の少ないと言われているセフェム系の抗生物質を処方してもらうことに。

すると、どうだろう。

確かに角膜のど真ん中に傷がついているのだから、目薬をさす際に多少なりとも痛みを感じるものの、先程とは違い、我慢できる痛みに治まって来たではないか。

そこで今度はコンタクトレンズの傷を見てもらう為、かかりつけの病院へ。

もちろん年数も経っていたので即購入を考えていたのだが、どうにもこうにもテストレンズさえ目に入れることがで話にならず。

こちらはまた日を改めることにした。

そこで今回はせっかくなのでベーチェット病から来る『ぶどう膜炎』の検査もしてもらおうと思い、診察を試みたのだが。

ナント!!!

『ぶどう膜炎』の症状は一切出ていないものの右目は白内障であることが判明。

ステロイドによる副作用だろうか。

と瞬時に思ったが、主治医曰く、「右目のみにしかあらわれていないことを見るとステロイド性ではなく先天性の白内障じゃないかな」とのこと。

どちらにしても現段階で手術をする必要はないので、暫くの間は経過観察が必要らしい。

やれやれである。

とにかく最近はよくどこにもぶつけていないのに体中(四肢中心)にアザができるのだが、これはきっとベーチェット病から来る「皮下血栓性静脈炎」なのかもしれない。

今度、リウマチ内科に行ったら聞いてみよう。

尚、今年の夏は、難病のステージがⅠからⅡへ上ってしまった。

2010.07.30 昨日は久しぶりのリウマチ内科を受診した。採血の結果、RF(リウマチ因子)の数値が上昇していることが判明し、本日より「コルヒチン」を服用することになった。

前回の眼科医は「もしかすると先天性白内障かも」と言っていたが、都内から来ているリウマチ内科の主治医にこのことを告げると「どう考えてもステロイド性白内障の可能性が高いと思うよ」とのことだった。

実はこの記事を書いている2024年現在も先天性によるものなのか、ステロイド性によるものかと言うことは判明していない。

副作用が出ているのにも関わらず、ステロイドを飲み続けなくてはならないのは残念だが、リウマチ内科の医師曰く「白内障は日帰りでも手術できる時代になったので、若くて白内障を患っているだけで、膠原病の治療をやめるわけにはいかない」とのこと。

頭の痛い話である。

2010.09.09 リウマチ内科を受診する。

2011.02.24 季節の変わり目と言うこともあり、暫くの間、足が痛く座薬を入れて生活する。

そのため、今度はどうやら体力の低下に伴い「ものもらい」が出来てしまった。

ここ数日ほど、パソコンの画面を見るのが辛く、メール鑑定のお仕事は休止する。

2011.04.01 ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生とエミールシェラザード先生より「鈴木マリン」と占名を受ける。この頃は「鈴木あろは」とのダブルネームで活動を開始するが、病状が悪化するにつれて、なかなか思うように東京へ足を運べなくなったため、時空心理学協会退会に伴い、名前をお返しする。

2011.04.07 リウマチ内科を受診する。

2011.04.19 この間のイベントで生まれて初めてディクシャを受ける。クリスタルボウルの演奏会と同様、その日の夜に好転反応(左肘の滑膜に水が溜まるような炎症反応あり)があらわれる。

一時的かもしれないが、左肩から首にかけての痛みがやや和らいでいる。

座薬を使わずに痛みが取れる生活は、本当に久しぶりだ。

2011.05.08 今日は朝から右足の調子が悪く、ボルタレンサポ50㎎で痛みを飛ばしながら自宅でメール鑑定のお仕事をする。

2011.05.17 今日は1番下の姪の誕生日だ。ついこの間まで哺乳瓶にミルクを作り離乳食を与え、足の骨が溶ける痛みを和らげる為、座薬を使いながら
おんぶ紐で背負ってあげていたかと思ったら、なんだかあっという間に「だっこ」もできないくらい大きなこどもへと成長していた。

歳月が過ぎるのは本当に早い。

2011.05.19 朝からリウマチ内科で採血をする。思いのほかCRPやMMP-3の数値は、安定していた。

しかし、IgGは、かなり低く、リウマトレックスを常用していた時と
ほぼ変わらない。

どおりで最近疲れやすいと思った。

これでは、両耳の奥にある毛細血管がわけもなく炎症を起こすのも無理はない。

ちなみにわたしが今通っている病院は、今年の7月1日に新しい病院を建てたのでお引っ越しとなる。

今まで通い続けていた古い病院には、沢山の思い出があるので、ちょっと寂しい気もした。

それと同時に嫌でも新しい病院には一生通い続けることになるのだろう。

2011.05.20 右足のハンマートゥが酷く、最近では親指しか地面につくことはできない。

2011.06.02 ベーチェット病特有のアフタ性潰瘍(口内炎)に悩まされる。

2011.06.08 今年のゴールデンウィークより軽井沢で占いコーナーを開始し、今年の夏はあしかがフラワーパークでの占いコーナーも担当することになったので、難病にも負けず。

夕方まではコムファーストアピタ足利店での占いコーナーに立ち、夕方からはあしかがフラワーパークの占いコーナーを担当する。

2011.06.24 占いを通して出会った沢山のお客様から誕生日のお祝いメッセージを頂いた。とても嬉しかった。

特に来月の1日は蟹座の日食ですが、わたしは今から3年前の蟹座の新月にプロの占い師としてデビューしたので、今年で4年目に突入するのが。

なんだか、あっという間だったような、そうでもなかったような気がする。

不思議な気持ちで胸がいっぱいだ。

確かプロの占い師になった頃は、右も左もわからずにデビューした初日に占い会社の担当者に電話し「もう辞めたいです」と告げ、関係者を困らせたことがあった。

わたしが占い師になったきっかけは、自分が人生のどん底にいたとき。

街中の占い師さんに救われたと言う、どこにでもよくありそうなエピソードがきっかけなので、それでもなんとかまがりなりにもこうして自分がなりたかった職業に就けたと言うことは、本当に感謝している。

病状が悪化すればもう2度と表舞台に立つことはできないと思っているが、それでも生涯現役でありたいと思う。

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