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あいつ教員辞めたってよ#4 教員の『燃え尽き』を考えてみる

大好きだった教員の仕事をなぜ離れることになったのか,やっぱりもう少し自分なりに考えていきたい,という思いが湧いています。

最近読んだ文章の中に
その答えの一端があるような気がするので記録しておこうと思います。

バーンアウト(=燃え尽き)というものがありますが
この”燃え尽き”を構成する要素は3つあるそうです。

燃えつきは
①疲労困憊
②不毛感
③距離あるいは離人症的感覚(どうでもいい,というような感覚)

の3つの要素から構成される。

私たち仲間のウェルビーイングを増進する‐コロナ禍におけるグループ・ワーク‐
Molyn Leszcz ,訳柴田応介
※読みやすくするために文脈を損なわない範囲で多少文章を再構成しています。
以下,今回の記事の引用はすべて同じです。

私はこの文章を読んでハッとしました。
私が教員を辞めることを決意する数か月前に悩まされていたのは,まさしくこの3つでしたし,
何よりも
③距離あるいは離人症的感覚”に襲われて
「ああ,もうこの環境の中で教員を続けることは難しいかもしれない」
と感じていた
ことをまざまざと思い出したからです。

私は当時これまでのように仕事に「コミットできない感じ」に悩まされていました。
「どーでもいい」という感覚が抜けないのです。
これまでだったら一所懸命できていたようなことに対して
「どーでもいい」と感じてしまうことにとても戸惑っていました。

年齢のせいかなとも思ったし
仕事との距離はこのくらいでちょうど良いのかなとも思ったし
いろいろと自分なりに落としどころを見つけようとしたのですが
難しかったことを覚えていますし,当時の感覚はまだ今も少し残っています。

では,なぜこのような状態に陥るのか。
先ほどの文章では以下のように説明されています。

それは個人が体験するものだけれども
〇システムと組織の問題
〇個人の完璧を目指す傾向
〇疑い・罪責感・責任の感情

が作り出し,そして増幅させるものである。

先ほどの引用と同じ

つまり,ひとつは学校という組織やそれを取り巻くシステムが原因だし,
もうひとつには私個人の完璧主義的な傾向があったと言えそうです。

さらに

燃えつきは,
〇つながりの感覚
〇有効性の感覚
〇主体性の感覚

が持てない時に現れる。

とも書かれています。

これも,私自身の経験ではどれも当てはまります。
困ったことがあったとき,対応に迷う時,周囲の先生たちと相談し話し合いながら進めていたのが,忙しさと周囲の教員の意識の変化で難しくなりました。
子どもの心の支援をみんなで考えたくても,実際に時間的な余裕も心の余裕もない。責任を負いたくないというのも見え隠れしていました。

教員同士のつながりが一気に希薄になったことは,ひとつにはコロナの影響もあると思いますし,外で飲んで自由に愚痴を言うことが難しくなった環境もあると思います。

それから,自分がやっていることが本当に生徒たちのためになっているのか,根本から社会や価値観が揺らいでいる中,真剣に考えるとわからなくなってしまって,昔のように自信をもって授業や行事ができなくなった私がいました。

それに,主体性がない,というのは,学校システムが”外”の目ばかりを気にしているために教員を過度に抑制し管理するようになったことが大きな原因だと思います。

外部の目ばかりを気にするあまり,中にいる人たちが置いてけぼりになっているように感じられていました。


そのような環境の中で
疑いの感情が湧いたり
自分を責める気持ちが湧いたり
責任感を捨てられなかったりして

このままだと
鬱になってしまうのではないか
と感じていました。

幸いなことに
私はメンタルヘルスへの対応を自分である程度アセスメントすることができました。
なので,最初は学校内の環境の調整ができないか,と動いたりもしていました。
ただ,教員はどこも人手不足で休職される先生が多く,環境調整は難しいのも現状です。


距離を置いて今改めて振り返ると
そういった”環境調整もがんばってみた”ことも含めて
まさしく
”燃え尽き”の状態だったのだなと感じます。


燃え尽きないために

大事なのは
コミュニケーション
自分である程度コントロールできる仕事の環境

それと
適当に手を抜く
ことなのかなと感じます。


そんなことを思いながら,今日は金曜日。
夕食は手を抜き
おいしいビールを飲んで
好きな映画でも見ようと思います。








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