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加奈の影に取り憑かれるように、環は真相を追いかけ、田園調布へ。そこで見つけるトパーズの符号。或いは、『フワつく身体』第十七回。


※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第十七回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:加奈の中に溜まっている見えない傷。二十年後に振り返れば、傷ついていない、〈たましい〉などなかったことが分かる。或いは『フワつく身体』第十六回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?

八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。

本文:ここから

■二〇一七年(平成二十九年) 十月十日

 駅の見回りをしてもどこかで、加奈のことを考えている。

 もはや、環自身の執着なのかもしれない。

 私は、この件に取り憑かれ初めているのかもしれない。不気味な符丁の連続に。

 ホームに。

 柱の影に。

 改札の側に。

 今も東京のどこかにいるかもしれない加奈のことを。

 殆ど治ったが、江崎に襲われて頬に傷を作ってしまったのも、どこか弛んでいたのかもしれない。

 加奈のことを考えると、日常はあまりにも変わり映えがしない退屈なものに思えた。

 加奈の姿を追い続けるうちに、季節は進み、環が身に包んでいる制服のシャツも、水色の夏服から、冬服用の白に変わっていた。

 昨晩も終電の後も赤城と一緒に駅構内の警らをして回ったが、あの巨漢のロッカー屋の背中を見かけたぐらいで、弛緩した退屈なものを感じた。

 ロッカー屋の男は、折りたたみ式のスマホケースを開いて、ロッカーの写真を撮っていた。ケースのポケットには青と黄色に塗られたポイントカードらしきものが入っていて、その上には、飲料会社のポイントシールがベタベタと貼られているのを見ながら、どうしょうもなく、しみったれた日常を感じた。

 気配に気づいて、振り返ったロッカー屋と赤城が話をしているのを、環は横で聞いていた。

 渋谷駅の改修工事に伴って、年末には今あるロッカーを撤去するので、資料のために撮影をしていたのだと言った。

 ああ、ここでも渋谷は増殖をやめない。

 やめてくれないのだ。

 永遠とも思われるような増殖を続ける渋谷、迷宮が積み重なる街の中で、二十年前にいなくなった少女など、見つかる訳もないのだろうか。

 赤城とロッカー屋は、あれからピンクチラシは張られていない、なんていうことを話していたが、環はどこか上の空で聞いていたように思う。

 環の目の焦点はぼんやりと、ロッカー屋が下げている、穏田拓実と入ったネームプレートに合っていた。位置が上過ぎて、どうにもバランスがおかしかったからだろう。

「タマ姉、仕事に身が入っていないんじゃないですか」

 赤城に言われて環は、はっとした。


 ■二〇一七年(平成二十九年) 十月十一日

 夜勤が終わると、眠らないで、環は踏切事故の遺族を訪ねてみることにした。
四年前の二〇一三年に、巻紙と同じように神泉の踏切で自殺を図った、服部高広の妻の元だった。

 服部は大手広告代理店の取締役で、事故当時は七十歳だった。

 家は田園調布の一等地にあった。

 現在、渋谷駅の東急東横線のホームは地下五階にある。そこに至るまでの構造は複雑で、あたかも蟻の巣のようだ。最深部にあるホームはあたかも女王蟻の巣とでも言うべきか。

 地下要塞のようなホームを発車した電車は、僅か十一分で目的地に着いた。田園調布駅の駅舎は打って変わって、赤い屋根とレンガ造り風の柱の、おとぎ話に出てくる家のような可愛らしい雰囲気だった。台風が近づいてきているという空の雲が、綿菓子のように浮いている。

 パリの凱旋門広場を参考に作られたと言う、放射状の道に沿って瀟洒な家が続く。だが、高齢化が進み、空き家も多いと言う。

 環たちが通っていた高校は田園とつかない方の調布と揶揄されたが、いつの間にか田園のついている調布も時の流れに埋もれ始めていた。

 服部高広の広い家も、今は七十二歳になる妻の芳子が一人で暮らしているだけだった。

 芳子は背中が曲がっているものの、身のこなしも話し方も上品で、育ちの良さがにじみ出ていた。

 四年前の自殺について調べていると言うと、初めこそ怪訝な顔をされたものの、家の中に通され、紅茶とお菓子まで頂いてしまった。

 孤独で話し相手が欲しかったのだろう。

「お菓子はね、自由が丘の蜂の家に限りますの」

 と言っていたが、出されたものはブルボンのアソートだったし、同じ話の繰り返しが多く、認知症が始まっているのかもしれなかった。無理もない。

 同じ話の繰り返しが多かったが、彼女の表情はくるくると良く動く。歳を重ねても天真爛漫な魅力が残っていた。

 芳子の話を繋ぐと、やはり自殺に繋がるような動機は見当たらなかったと言う。

 退職後は夫婦二人で海外旅行に行くことが多かったと言う。

 イタリア、ドイツ、イタリア、タイ、韓国、ニュージーランド。

 服部の妻は、次から次へアルバムを取り出しては見せた。広告代理店の取締役をしていただけあって、写真の中の服部の服装は洒落ていた。今目の前にいる上品な妻と笑顔を見せている。上背が高く、四角張った顔は常に笑顔で、自慢の夫だったのだろう。

 服部が死んだのは二〇一三年の十一月三日だが、年明けに二人でタヒチに行く予定だったと言う。自殺をするとは思えない。

「ああ、そうだわ、夫は死ぬ直前、書き物をしていたんでしたっけ」

「書き物ですか?」

「ええ、大学のOB会報向けにエッセイのようなものを」

「その原稿って、今拝見することできますか」

「いえ、遺稿として、大学にお送りしまして、私の手元には残っておりません」

「そうでしたか」

「ですけれども、中身は他愛もない旅行の思い出で、この後すぐに踏切に入るとは思えないものでしたわ」

 OB会の会報ということだったら、服部の出身大学に行けば、見ることができるだろう。服部の家を後にした環は、東急東横線をさらに横浜方面へ下って日吉のキャンパスの図書館で、その原稿の載っている会報を探した。

 OB会報の発行は年三回。連載と呼べるのかは分からないが、OB会の副会長になった二〇一〇年から服部は毎号、エッセイを載せていたようだった。死の直前に書いていたという原稿はすぐに見つかった。服部の死から、二ヶ月後、一月に出たOB会の会報に原稿に弔辞と共に、原稿が載っていた。

**

「今年、妻と二人、ニュージーランドを訪れることになったのは、以前、ドイツを旅行した時に知り合った夫婦が、明るい陽射しを求めてニュージーランドに移住したためであった。『タカヒロ、一度、遊びに来い』と言う訳である。

 かつてよりはましになったとは言え、空気の澱んだ東京に暮らす者としては、彼が暮らしていたミュンヘンも充分過ぎるほどに魅力的な場所だった。彼はニュージーランドの首都であるオークランドの中心部から、車を三十分ほど走らせた海沿いで新しい暮らしを始めていた。

 なるほど、このような海はミュンヘンにはない。現役で活動しているものは少ないとは言え、北島には幾つもの火山がある。彼の新しい家のテラスからは、溶岩流が作った岩礁が見えるが、海は遠浅で、岩の間を滑らかな砂浜が満たしている。

 『どうだい、とてもスピリチュアルな場所だろう』と彼は言った。私は大袈裟なと思ったが、もう少し経てばそのことが分かると彼は自信満々に言った。夕方近くになり、彼はビールを用意した。ニュージーランドで手に入るビールは薄いと言って、手に入れるのに大分苦労したというミュンヘンのドゥンケルだった。陽は徐々に傾いて来る。辺りをオレンジから濃紺までのグラデーションが染め上げて行く。荒々しい岩の間の凪いだ海は、鏡面のように、その景色を映し出した。静と動が一つの景色の中にたゆたっている。

 グラスを掲げて太陽に透かすと、トパーズ色の液体の中に、一足先に夜が訪れていた。『素晴らしいだろう、この海岸はマオリたちが神々を呼び出した場所なんだ』

『本当かい?』

『遺跡も文献も残っちゃいないさ、だけど僕がそう思うんだ』

 と彼は適当なことを言ったが、不思議と私はそうなのかもしれない、と思った。歳をとると感動が薄くなるというのは思い込みで、自分の中の若さを信じれば情動はそこにある。ああ、しばらくまだ生きていけそうだ、と私は思った。そして、彼は『明日、一緒にマオリショーをオークランドまで見に行こう』と言った」

**

 服部の書いたエッセイはそこで終わっていた。段組みの真ん中から、著者が撮影した写真として、ニュージーランドの夕景が不鮮明なモノクロ写真で入っている。もしかしたら本来は続きがあり、余った部分を写真で埋めたのではないだろうか。

 このエッセイが書きかけだったとするならば、そこで死を選択するだろうか。

 その上、彼は「しばらくまだ生きていけそうだ」とも書いている。この直後に死を決断するとは思い難い。

 ところどころ言及されるニュージーランドの原住民である、マオリの名前。ポリネシアとは、ハワイ、イースター島、そして、ニュージーランドを結んだ南太平洋地域である。死と闇を司る女神、鷺沼が言ったようにヒネ・ヌイ・デポはマオリ族の呼び名だ。

 さらに、文章の中に出てくる、トパーズという比喩。これは偶然だろうか。

本文:ここまで

続きはこちら:第十八回。

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読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。



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