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環は捜査本部と共に、真相を追う。世相はまた、あの頃の匂いを漂わせていた。或いは、『フワつく身体』第二十六回。

※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第二十六回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:捜査会議。新たなる事件のあらまし。そして、環が今まで追いかけてきたことがつながり始める。或いは『フワつく身体』第二十五回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?

八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。

本文:ここから

■二〇一七年(平成二十九年) 十一月一日(承前)

 環は、八王子みなみ野駅近くのマンションの玄関ホールにいた。

 捜査応援を続けるように言われて、環に言い渡されたのは、現在は加藤になっているが、サトメグこと、旧姓佐藤恵への聞き込みだった。確かに適任と言えるだろう。

 隣には、スーツ姿の赤城。分駐所に置きっぱなしになっていたものを着ていた。出勤時も、痴漢やスリの逮捕のために私服で鉄道警備を行う時も、赤城は殆どスーツを着ないので、見慣れない。

「やっぱ、小隊長が言うように、七五三だよねえ。それか、いいとこの私立の小学生か」

「放っといて下さい」

 童顔の赤城がスーツを着ると、小隊長がそうやってからかうので、赤城はあまりスーツを着ないらしい。

「悪い、赤城っちイジって、ちょっと緊張をほぐしただけだからさ」

 少し離れたところに、警視庁一課の刑事が二人いる。

 朝、環を取調べた若い刑事奥山と、再雇用の強面の老刑事、近田だ。

 環は、オートロックの操作盤で部屋番号を押してインターフォンを呼んだ。緊張で指先の動きがぎこちない。

「はい」

 恵の声だった。在宅していたようだ。

「こんばんわ、警視庁の深川と申します、奥様の恵さんに伺いたいことがあります」

「……こちらにいらっしゃるのでしょうか、それとも私が降りて行けばいいのでしょうか」

 恵の声は硬かった。

「どちらでも構いません」

「では、近所の目もありますし、私が降りて行きます」

「できれば、ご自分のスマートフォン持ってきていただけますか」

 しばらくすると、部屋着にすっぴんの恵が、玄関ホールに降りてきた。顔色が悪いのは、化粧をしていないせいだけではないだろう。恵の丸い頬にはツヤがなく、この間会った時よりも弛んで老けて見た。

 恵美は、環以外にスーツを着た男が三人いるのを見て、怯えたのを見て取れた。

「新川さんのことは聞いた?」

 環がそう言うと、恵は頷いた。

「グループLINEで回ってきた。それから、テレビのニュースも神奈川の気持ち悪い事件ばっかりだけど、合間にちょっとやってたのを見た。信じられない。なんで、なんで梢子は殺されたの?」

 恵の話し方からは先日会った時のような、芝居がかって感じるほどの明るさは微塵も見えない。当たり前か。

「それを今、調べてる。だからサトメグにこうやって話を聞きに来た」

「なんで? なんで私に聞きに来るの?」

「新川さんが殺された後、新川さんのスマホを使って、犯人と思われる人物から私にメッセージが来たんだ。新川さんと私のこと、両方知っている人間は限られると思って」

「そうなの? なんて?」

 恵は、目を見開いて驚いていた。

「まあ、なんて言うか、警察に対する挑発みたいな」

「どう言う?」

 とそこで、環は少し離れたところで見ている老刑事の近田を見た。近田は鬼瓦のような厳しい顔をそのままにして、首を小さく横へ振った。

「ごめん、これ以上は捜査上の秘密、みたいなんだ。ところで、昨日の夜、サトメグは何してた?」

「え? まさか、私のこと疑ってるの」

「ううん。聞かなきゃいけないから、聞いただけだよ」

「なんで? なんで私が梢子を殺さなきゃなんないの? 深川さん!」

 環の言い訳は通じなかった。

 恵は環のことを、タマちゃんとさえ呼ばなかった。環は同級生としてではなく、警察の人間として、恵には映っているのだと分かる。

「本当にごめん。でも教えて」

「そんなの、どこにも行ってないよ。昨日は仕事終わって、八時過ぎに帰ってきて、家族でハロウィンだから、かぼちゃシチュー食べて、それだけ」

「分かった、ありがとう」

 すると、そのやり取りを聞いていた近田が、離れたところから一歩前に出て、口を挟んできた。

「すみません、ここに、防犯カメラついていますな」

 と言って、玄関ホールの天井を指さした。丸いドーム型の防犯カメラが中央に張り付いている。

「この録画を確認すれば、昨日あなたが映っているのが、午後八時過ぎに一度、ということを確認できますが、お間違いないですかね」

「そうですよ! どうぞ録画でも何でも見ればいいじゃないですか」

 恵は近田に対して語気を荒らげた。

「私が聞いたまでですから、どうか同級生のことは嫌わないであげて下さい」

 近田はそう言って、また下がった。恵は嫌悪感のこもった眼差しで近田を見ていた。

 その表情に怯みつつも、環は恵美に聞かなければならないことを聞く。

「最近の新川さんについて、何か知っていたことは」

「高校の時、仲良かった子たちとグループLINE持ってて、そこでちょっと話して、それから、深川さんに連絡先教えるのに許可とったのが最後。旦那と別れて、コルセンで働いてるって。シングルマザー、大変だけど頑張ってるって、それだけだよ」

「新川さんのスマホって見つかってなくて、誰と何を連絡とっていたのか、正直分かりかねているんだけど、LINEのタイムライン見せてもらうことってできる?」

 恵は少し戸惑いを見せながらも、隠したら疑われると思ったのか、スマホを操作して環に差し出した。

「これが、深川さんに連絡先を教えた時のもの」

 目を落とすと、環のことを覚えているかどうかから始まって、環が加奈を探していること、そのことについて梢子と連絡先を聞きたいことが、やり取りされていた。

 特に梢子から恵への返信は簡潔で、スタンプのみのものも多い。

 予想通りのやり取りだった。

「で、これが、グループLINE。でもあんまり梢子は参加してないし、私も夏に機種変したばっかだから、それ以前のやつはないよ」

 と言いながら、恵はスマホを操作する。

「梢子のはこれだけかな」

 と言って、恵が見せたのは、

『あーもう、クレームオヤジ、ムカつく! つっても子供抱えて、派遣でも残業がなくてで一番割がいいのってコルセンだからなあ。がんばんなきゃ』

 というメッセージだった。

 それに、他の参加者が『偉い』とか、『がんばり過ぎないでね』と書かれたキャラクターのスタンプを返信している。

「美頼、あ、いや、世良田美頼さんが死んだ時は?」

「いえ、何も。その件は同じグループLINEに流れて来たけれど、梢子は何も」

 先月の終わり頃のやりとりを見せてもらう。「世良田さんが死んだらしい」という伝聞が書き込まれていて、それに対して「うそ」「まじで」という主にスタンプを使った返答がされているが、その中に梢子のものは無かった。

「他に新川さんの連絡先で何か知ってるものはない? 例えば、ツイッターのアカウントだとか」

「ツイッターは聞いたことがないなあ」

「本当に? ツイッター以外でもいいから、何か他に」

「ねえ、なんなの? 逆に警察は何か知っているの? それ以外の梢子を」

 環は胸が締め付けられるのを感じる。

 黙って、首を横に振った。梢子が金に困って、援助交際に手を出していた姿を知らないのなら、言えない。

「それから、昔、新川さんが立花さんがああなったのは私のせいだって言ったこと、その理由をサトメグは本当に知らないの?」

「何それ? なんでそのことと、梢子が殺されたことが関係あるの?」

 それについても、環は何も言えなかった。

「教えて、知らないの? それとも言えないの?」

 恵は何かを言いかけて、飲み込んだように見えた。

「知らない。知らないよ! ていうか、なんなの? 警察は何を知っているの? ねえ?こっちから聞いてばっかで、何も教えてくれないの。どうして梢子は殺されたの?」

 梢は環の二の腕を掴んで揺すった。

「ごめん。どうして殺されたのかは今調べてるところ。それ以外のところは捜査上の秘密だから」

「教えてよ! 逆に! どうしたら梢子は殺されないで済んだの? そのために私ができることはあったの? 教えてよ! ねえ!」

 恵の目からは涙が溢れていた。流れる涙を玄関ホールのオレンジがかったLEDライトが照らしていたが、それを環は直視できずに、視線を外した。

「ありゃ、本当に何も知らねえな」

 捜査本部に戻る車の中で、近田が言った。

「ていうか、遠くなかったんですね、耳」

 環は後部座席のシートにもたれながら、中央道の流れて行く景色を見ていた。夜に浮かび上がる、高速道路の際に接した家々は、環の実家にも美頼の実家にも似ていた。

 運転は奥山がして、助手席には近田。後部座席には環と赤城が乗っていた。

「団塊を馬鹿にすんなよ。まだまだ元気だ。取調べの時、聞こえないふりすんのは、相手を苛立たせる手段だ」

 そう言って、近田はガハハと笑った。

「やっぱり、分かるものなんですね、相手が嘘ついているかどうか」

 と言ったのは赤城だった。

「まあ、一課一筋で長年やってりゃな」

 と得意気に返した後、近田は声を少し落として、赤城の方を振り返って言った。

「俺のことおだてるのもいいけどな。捕まえとけよ、隣の図体のでっかい姉ちゃんがぶっ壊れねえように」

「はい、そうですね」

 外を眺めていた環は、こちらを見た赤城の視線を感じた。

「私は大丈夫だよ」

 環がそっけなくそうつぶやく。

「本当ですか?」

 と赤城が心配げに言った後、しばらく車内には沈黙が流れた。

 車は中央道から首都高に入る。

 新宿の高層ビル群の夜景を窓に写しながら、龍の背骨のように巨大で曲がりくねった西新宿ジャンクションを走行していた頃、近田が再び口を開いた。

「姉ちゃん、あんたは戻ったら少し休みな」

「えっ?」

「別に姉ちゃんが、鉄警隊からの応援だから言ってる訳でも、ましてや、女だから言ってる訳でもねえ。同級生が殺されて、別の同級生に聞き込みに行って責められる。ましてやあんたは朝から俺たちに聴取も受けてる、誰だって参るさ。あんた自身が大丈夫だと言ってても、自分じゃ把握してねえ場所が参ってるはずだ」

 見透かされていた気がした。

 そこで、鉄警隊だから、あるいは女だから、と言われていたら、環は間違いなく反発していただろう。

 だが、このような言い方をされて、「いえ、大丈夫です!」と言えないほどには、環は大人になっていた。

 渋谷署に戻ると、環は捜査本部の置かれた会議室の椅子に腰掛けた。重たい物が肩にのしかかるようだ。

「赤城っちは?」

 隣に立っていた赤城に聞くと、

「僕は近田さんたちと一緒に、殺害現場付近の聞き込みに回ります」

「そう」

 と言って環は机に両肘をついてその上に顎を乗せた。

「タマ姉が壊れないように捕まえとけって、どうしたら良いんでしょうね。アレですかね、」

 と赤城は胸を張って、自身の左の脇の下の前を右手でくるくると回しながら、

「赤城のこの辺、空いてますよ、とか言えばいいんですかね」

「馬っ鹿。キモいし、何よりそのネタ古いし」

 と言って環は笑った。

「絶妙に古かったですよね」

 赤城も一緒に笑った後、表情を戻して、環から少し視線を反らして言った。

「でも、本当に壊れないで下さい。……自分の心だけは、本当に……心だけは大事にして下さい」

 赤城の言葉は彼の中から、必死で絞り出してそれだけ、虚飾のない言葉を言おうとしたらそれだけ、といった感じがあった。

「……分かった。ありがとう」

 環は目頭が少し熱くなるのを感じた。

「恵まれてんな、本当恵まれてんなあ、私。申し訳なくなるぐらい」
 環はそう言って、赤くなった目頭を人差し指でそっと押さえた。

 赤城が去った後、環は会議室の窓辺に佇んだ。

 ちょうど、国道二四六号線を挟んで渋谷警察署の真向かいが、東急と大成建設が再開発をしているビルに当たる。緑色のシートで覆われた建設中の高層ビルを夜の明かりが照らし出している。

 現状は完成形の三分の二ぐらいだろうか。出来上がった部分の一番上にはタワークレーンが乗っている。夜なので、クレーンは可動していないが、クレーンの先端につけられた赤い航空常夜灯が、夜行性の獣の目のように光っていた。

 渋谷という生き物は動きを止めているが、眠ってはいない、

 環はそう感じた。

「どうだ、刑事の真似事をしてみた気分は?」

 声をかけられて振り向くと、羽黒だった。

「どうって、自分が半分当事者になって、同級生のところに聞き込みに行ってって、レアケース過ぎでしょ。ああ、八王子に行くのに京王線でも中央線でもなく、車使うのってなんか新鮮だなって、中央道、久々に乗ったし」

 恵への聞き込みを命じたこの男に、愚痴の一つでも言おうかとも思ったが、それ以上に弱みを見せたくなかった。

「さすがに鉄警隊だな」

「ていうかさ、羽黒、いや羽黒警部様はなんでこっちの指揮とることになったの? 昨日は神奈川のヤバい事件の方にいたんでしょ」

「警部様って、茶化すなよ」

「本当、お偉くおなりで」

 羽黒は環の冷やかしを無視して、窓辺に並ぶと言った。

「あの事件は分からなくてな、俺からこっちに回させてもらった」

「分からない?」

「ああ、分からない。人間関係のトラブルによる恨みつらみ、金を盗みに入って見られたから殺した、そういうのと違って分からない、被害者は死にたくて加害者の元に会いに行った。そして、望み通り殺された」

「うん」

 加害者の男は、自殺を仄めかす十代の女性を中心に「死なせてあげる」とツイッターで近づいた。そして、次々に少女たちを殺すと、自宅アパートで解体して、その死体はクーラーボックスやコンテナに入れたまま放置した。

 そう言えば、ハロウィンの警備をしている間、群衆の間から、臓器売買という言葉が溢れたのを耳にしたが、そういう噂も立っているのかもしれない。だが、警察からしてみれば、素人が捌いた臓器が使い物にならないということはすぐに分かる。

「正直、昔の俺なら、死にたい奴を殺して何が悪いって思っただろうと思ってな。中学とか高校ん時、そういう本が流行ったしな。『完全自殺マニュアル』とか。アレを読むと死体の描写がグロ過ぎて死にたくなくなるなんて声もあったが、それは読み手が恣意的に好意的な解釈をしただけであって、あれは少なくとも、人生の選択の一つとして死を提案していた。あの頃の俺も、死にたい奴は死ねばいいと思っていた」

「今は違うの?」

「違う、と思う。神奈川の事件は、あの時代の雰囲気を思い出して、正直、胸がざわつく。けど違和感の正体をまだ言葉にできていないかもしれないな」

「だから、こっちを選んだ?」
「そう、ラブホテル街に三十代の女性の死体が一つ。分かりやすいと思ってな」

 環は頭を掻いた。洗っていないので少し痒い。

「分かってないなあ。分かってないよ、警部様は。人の心はその人が発している言葉のままとは限らないんだよ。死にたいは大体、助けて。鉄警にいるとさ、ホームに飛び込もうとしてた人が、駅員とか他の乗客に止められて保護されたりする。私たち自身もホームにいるヤバそうな人に声かけたりする。そういう人は、死のうとなんてしてなかったって言い訳するか、逆に死なせてくれと懇願されるか」

 そこで、環は少し間を置いて、向かいのビルの工事現場に目を向けてから続けた。

「だけどね、生きるのが辛い、死なせてくれ、という人間に、だったら勝手に死ね! ってキレたらいけないんだ。本当は生きたいという気持ちを汲み取って、でもそれに気づいていないふりをして諭さなきゃなんない。めんどくさいよね、人間て」

「なるほどな」

 そう言って、羽黒は胸ポケットからミントタブレットを取り出して、一つ口に放り込んだ。彼も寝ていないのだろう。

「あ、それ大粒の高い奴じゃん。さっすが金持ち! 一個ちょうだい」

 羽黒は長くて厚みのある指で、ミントタブレットを渡した。

 環も口の中に放り込む。

「くぅー、効くう。辛いねこれ。こっちにはね、偉い人には見えていない景色があるんですよ。ああ、そう言えば、うちの兄貴が絶賛引きこもり中だった頃、良く言ってたな。希望者が安楽死できる施設ができるようになったら送ってくれって、最近は言わなくなったけど」

「ああ、深川には俺と同い年の兄貴がいるんだっけか」

 羽黒は大学卒業後、民間企業で働いてから警察に入った。就職氷河期で不本意な就職先だったから、改めて警察を目指したのだと警察学校の時に聞いた。

 後に捜一のエース、ノンキャリの出世頭になる羽黒でさえ、あの頃は不本意なところに就職しなければならなかったのだ。それはうちの兄貴なんか挫折するはずだ、と環は思う。

「うん、捜一のエースの羽黒が、あの高層ビルを組み立てるタワークレーンだとするじゃん」

 と言って、航空常夜灯のともる向かいのクレーンを指さした。

「うちの兄貴は、引きこもりからやっとフリーターで、梱包材のプチプチの一粒みたいな奴。梱包材のプチプチの一つってこないだ兄貴が自分で言ってたんだけどさ。プチプチはプチプチなりに、生きる答えを見つけたってことなんだろうな。プチっとしたやつを」

「言ってるうちに、プチプチ言いたくなって来たろ?」

「あ、バレた? 口にすると気持ちいいよね、プチプチって、プチプチ、プチプチ」

 と環はミントタブレットの冷涼感の残る口元を尖らせた。

「もういいよ。じゃあさ、死んではならない理由、逆に言えば生きなければ理由って何だと深川は思う?」

「ド直球に、哲学的なこと聞いてくるな、警部様は」

「俺が若かった頃、みんな分からなくなってたなって。『完全自殺マニュアル』が出て、死んではならない理由を、神戸の連続児童殺傷事件があって、人を殺してはならない理由をみんな探してたことを、昨日から思い出してた」

「そうだったね。そう言えば、こないだ二十年ぐらい前の本を読む機会があって、曰くイデオロギーが崩壊したから、日本は一神教の国じゃないから、悪いことを悪いと言える根拠はない、とか書いてあった。その理屈で言えば、死んではいけない理由も、殺してはいけない理由もないことになる。でもさ、人が生きる理由ってそんな大袈裟なものかな。思想とか、宗教とか、国家とか。そんな大きなものが背景に必要かな」

「家族とか?」

「ううん。そしたらさ、ウチらの世代って独身多いじゃん。私も両親が死んで、兄貴も先に死んじゃったら、理由を失うことになるじゃん」

「じゃあ、友達とか?」

「人付き合い下手な人っているじゃん。そういう人は死んでいいことになっちゃうよ」

「じゃあ、何だと思うんだ?」

「そうじゃなくて、大きな怪我とか病気とかが不本意に奪わない限り、後はすごい歳をとって、老衰で身体がもう動かなくなっちゃわない限り、人間って生きるようにできてるからなんじゃないかな。だってさ、頭では死にたい死にたいって考えてたとしても、口では息を吸って、心臓は動いている訳じゃん。そんなの、脳味噌の勝手じゃん」

 とそこまで環が言うと、羽黒は吹き出した。

「深川は強ええな、やっぱ。正直、こっちの事件を引き受けた段階では、深川がコソコソ追ってたこっちはこっちで気味の悪い話が絡んで来るとは思ってなかったからな。まあ、あの鉄道事故のオカルトめいた話が立件できるとは思わないが、繋がっているんだろう。深川を巻き込んで大丈夫かなとは、思ってたんだけどな。安心したよ」

 本当にそうだろうか。

 赤城の「壊れないで下さいね」という言葉を思い出していた。

 環は破顔したままの羽黒の整った横顔を眺めた。窓の下の二四六を通る車のライトが僅かに羽黒の彫りの深い陰影を動かして行った。

 羽黒の名前は、正一郎だったな、そうか、こいつもショウか。

 関係はないだろうが。

「なんかさー、本当、羽黒って今までモテてそうだよね」

「何だよ、突然」

「あれだよねえ、学生時代、千人斬り伝説とかありそう。千人斬太郎とかあだ名ついてなかった?」

「ついてねえよ。お前、男女逆だから気づいてないかもしんないけど、それセクハラだぞ」

「そっか」


本文:ここまで

続きはこちら:第二十六回。

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読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。



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