見出し画像

日蝕をキーワードに浮かび上がる九つの死体。事態は新たな様相を見せ始める。或いは『フワつく身体』第九回。

※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第九回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:カナとミヨリ、どっちがどっちでも構わない取り替え可能な存在になればいい、とあの時、加奈は言った。或いは、『フワつく身体』第八回

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?

八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。

本文:ここから

■二〇一七年(平成二十九年) 九月六日

 日蝕……。

 環は渋谷署の資料室の端末の前にいた。

 今からもう七、八年前になるだろうか。奄美大島や硫黄島などで、皆既日蝕の見れた日、東京でも部分日蝕の見れた日に、同じように踏切事故の処理をしたことがあった。

 あの頃まだ、環は鉄道警察隊の配属ではなく、渋谷署の生活安全課にいた。同じように中年男性が踏切の中央でしゃがみ込み、電車に撥ねられた。薄曇りの日だったが、処理中に急に辺りが暗くなった。

 すると、手足がバラバラになって、胴体と首だけになった男の開き切った瞳孔に、三日月のように欠けた太陽の形が映っていた。

 その光景が今も、目に焼き付いている。

 だが、あれは巻紙と同じ京王の神泉の踏切ではなく、東急東横線が地下化される前の代官山の踏切だったろうか。それ以降も思い返せば、代官山や神泉の踏切で似たような人身事故は起きている。とは言えターミナル駅周辺での人身事故など珍しいことではない。

 巻紙の自殺も、日本では見れなかったが、皆既日蝕の日に起きた。

 普通に考えれば偶然だろう。だが、環は何か胸騒ぎのようなものを感じていた。

 過去二十年間の渋谷駅周辺の人身事故の記録を当たる。その中から踏切事故に絞って行く。

 二〇〇二年十二月四日 城ヶ崎満 三十歳 職業不詳 死亡 
 於 代官山一号踏切
 
 二〇〇三年十一月二十三日 成田芳樹 二十六歳 職業不詳 死亡
 於 神泉一号踏切
 
 二〇〇六年三月二十九日 田端文蔵 七十二歳 元会社役員 死亡
 於 代官山一号踏切

 二〇〇八年八月一日 新井勤 五十八歳 公務員 死亡
 於 神泉一号踏切

 二〇〇九年七月二十二日 松田正太郎 六十八歳 会社役員 死亡
 於 代官山一号踏切

 二〇一〇年七月十一日 早瀬健 四十五歳 ミュージシャン 死亡
 於 神泉一号踏切

 二〇一三年十一月三日 服部高弘 七十歳 元会社役員 死亡
 於 神泉一号踏切

 二〇一五年三月二十日 高木将男 七十二歳 元官僚 死亡
 於 神泉一号踏切

 そして、
 二〇一七年八月二十二日 巻紙亮二 五十七歳 大学教授 死亡
 於 神泉一号踏切

 全て車両の下敷きになって轢断されていて、胴が真っ二つになったり、手足がバラバラになって車輪に巻き込まれたり、首がちぎれたりしている。

「うげぇぇ」

 と小声で吐き出しながら、環は顔をしかめる。

 いずれの資料にも、現場写真が添付されていたが、凄惨を極めるものだった。

「勘弁してよー、また肉食べらんなくなるじゃん。炭水化物でお腹満たすと、太っちゃうじゃんかー」

 と独り言を言いながら、環は手元の支給品のスマートフォンで日蝕のあった日を調べる。

 目を見開いた環はスマートフォンと、今調べた情報をメモした紙を何度も往復する。

「マジで? 何これ……」

……以上の九件の死亡事故の全てが地球上のどこかで皆既日蝕のあった日に起こっていた。


 それ以外にも、踏切内の人立ち入りによる遅延などは発生していたが、死亡事故は以上の九件のみだった。

 日蝕には太陽が月にすっぽりと覆い隠される皆既日蝕と、月から太陽がはみ出てリングのようになる金環蝕、途中までしか欠けない部分蝕があるが、金環蝕、部分蝕の日には事故は起きていない。

 また、最初の二人は若く職業も分からないが、三人目からは中年以上の社会的地位のある人物に変化している。

 事故は代官山の踏切と神泉の踏切で交互に起きていた。だが、二〇一〇年からは神泉のみになっている。これは、二〇一〇年の事故の後、二〇一三年の三月に東急東横線が地下化されそれまでのホームを使用しなくなったためだと思われる。この時に旧ホームに繋がっていた踏切も廃止になり、渋谷駅周辺の踏切が神泉のみになった。

 事故記録のあらましは巻紙と同じだ。警笛の鳴る中、踏切の中に入り、線路の上でしゃがんでいたところを、列車に撥ねられる。

 鉄道自殺はありふれている。やや変動はあるが、毎年確実に五百件は発生している。そのうちの約七割が関東に集中している。つまり、関東地方では毎日一人のペースで発生していることになる。

 ありふれ過ぎているために、殆ど捜査されない。

 その上、全員が自分から踏切に入っている。自殺と断定されて終わりだろう。

 実際、もし自殺ではないとしたら、どう捜査すればいいと言うのだろう。現時点では、オカルトめいた気色悪い話でしかない。

 環は、自分が捕まえた竹谷の痴漢が揉み消されたことのやりきれなさを、この日蝕と人身事故の相関について考えることでやり過ごそうとした。

 ヒラの私一人が騒いだところで、上は覆らないだろう。

 腹立たしい、悔しくてたまらない。だが、飲み込まなくてはならないのかもしれない。

 記録をプリントアウトし、分駐所のデスクでにらめっこしていた。分駐所にいるのは隣のパーティションの第一部隊だけだ。他の連中は警らに出ているのだろう。

 しばらくすると、警らから戻ってきたと思われる赤城の声がした。

「タマ姉、俺みっともないですよね」

 環は書類に向けたまま返した。

「うん、みっともない。超みっともない。赤城っちいつも、一人称、『僕』じゃん。何? 『俺』とか言っちゃって、カッコつけてんの? 超ダサい」

「え? そこ?」

「うん、そこ。今ね、なんかゾワっ! ってした。赤城っちは『俺』とか言わない。何その解釈違いの雑な二次創作? みたいな」

「……何言ってるんですか、僕が僕の二次創作って意味分かんないし」

 赤城がそう返した後、妙に長く感じる数秒の沈黙が流れた。

「その他はさ、確かに赤城っちは私とは違うんだなあって。誰もが掴める訳でもなくなった、普通の幸せという重荷のために、もがき続けなきゃなんない。うちにさ、四つ上の兄貴がいるの、知ってるでしょ。頭も良かったし、理系のそこそこいい大学行ってんのよ。姿勢は悪いけど背は高いし、身内が言うのもなんだけど顔も悪くない。性格にも大きな難はない。ただね、まあ声がちっちゃい。近くに行かなきゃ何言ってんのか分かんない。子供の頃はね、優秀な兄貴はそこそこいい会社に就職して、結婚して、子供こさえる未来が待ってるんだと思ってた。それがさ、就職氷河期にぶつかって、覇気がない故に面接落ちまくって、心を病んで引きこもりで気がつけば十年選手。やっとバイトできるまで回復したけど、時既に遅し。兄貴と赤城っちの間にある明確な線は、兄貴の声の小ささぐらいしかない。思った以上に得難い普通の幸せを掴んだなら、しがみついて当然かな、とね」

「すみません」

 赤城は絞り出すように謝って続けた。
「小隊長は、しばらくタマ姉の好きなようにやらせとけって。小隊長も負い目があるんでしょうね。せっかく上げたホシを上から揉み消されて」

「そっか。返って好都合かもね。じゃさ、これ見て」

 と環は言って、環が見ていたコピー用紙の束を渡した。
「なんですか、これ? 自殺者の一覧?」

「あと、これ」

「二十一世紀の日蝕一覧? 天体観測のためのサイトかなんかですか?」

「巻紙が死んだ日って、アメリカで皆既日蝕があった日だったでしょう? そう言えば前に同じように、東京でも部分日蝕が見れた日に踏切自殺の処理をしたことがあるなあって思ってさ。調べてみたら、毎回世界のどこかで、皆既日蝕が起きた日に、渋谷周辺の踏切、代官山か神泉で同じような鉄道自殺が起きてる。もちろん鉄道の死亡事故はありふれているけれど、この二つの踏切に関して言えば過去二十年間で死亡事故が起きているのはこれだけ」

「ホントだ。うわ、何これ気味悪い」

 赤城は資料の束に目を落としながら言う。

「とは言え、気味が悪いだけで、事件性は立証できない。事故は巻紙と同じく自分から踏切に入って電車に撥ねられている」

「うーん、でも、二、三件ならともかく九件ですからね。偶然と言うにはあまりにも多い」

「でしょう? だけど、なぜなんだって話じゃない? 催眠術でも使ったの?」

「いやあ、それはないでしょう。僕も専門家じゃないですけど、『自殺しろ』とか『人を殺せ』なんて言う暗示はかけられないって聞いたことがありますよ」

「だよねー。そんなB級じみた殺人トリックが本当に使えるなら、もっと類似犯いるだろって話だし」

「で、この中で最も近い事故である巻紙の元に、タマ姉の行方不明になった同級生のアカウントで連絡が来ていたと。なんか関係あったりするんですかね」

「分かんないよ。そんなもん。分かったら苦労しないよ」

「ですよね」

 赤城は資料の束を机に置いて腕を組んだ。

「でさ、『タチバナカナ』のアカウントの件なんだけど、@hine19800815、最後の数字の部分は行方不明になった立花加奈の生年月日だったってことは前にも言ったと思うけど、アルファベットの部分、ここが分かんないんだよ」

 環はメモ用紙に@hine19800815と書いてhineの部分をペンで指した。

「ハイン?」

 腕組みをしたまま赤城が言った。

「そう、ハインっていう読みでイギリスのコニャックのブランドがググると出て来る。でも加奈とコニャックってなんの関係があるんだか」

「うーん、じゃあハインじゃなくて、ハイネ? ほら詩人の」

「それも考えたんだけど、ドイツの詩人のハイネのスペルはhiene、真ん中にいっこeが入るんだよ」

「うーん、ハイネのつもりなんだけど間違えて登録しちゃったとか」

「それダサいけどね。ドラマなら、『ハイネにあやかるなら間違えるなどありえないはずです』とか言うんだろうけど、実際はそんなもんかもしれないよね。ローレライとか、確かになんかそういう感じがするんだけど」
「ああ、ローレライの人魚か。あの、船乗りを惑わすって言う」
「そう、ライン川の岩山にものすごく美しい乙女が髪を梳いていて、船乗りがその歌声に魅入られると難破するって伝説をハイネが詩にして歌にもなってる。日本でも明治時代に文語体で訳した歌詞がある。そそ、さっき一応、プリントしてみた」

 と言って環は赤城に新たにもう一枚コピー用紙を渡した。

 ネットで拾ったと思われるローレライの歌詞が印刷してあった。

『なじかは知らねど 心わびて
 昔の伝説(つたえ)は そぞろ身にしむ
 寥(さび)しく暮れゆく ラインの流(ながれ)
 入日に山々 あかく映ゆる

 美し少女(おとめ)の 巖頭(いわお)に立ちて
 黄金(こがね)の櫛とり 髪のみだれを
 梳きつつ口(くち)吟(ずさ)む 歌の声の
 神怪(くすし)き魔力(ちから)に 魂(たま)もまよう

 漕ぎゆく舟びと 歌に憧れ
 岩根も見やらず 仰げばやがて
 浪間に沈むる ひとも舟も
 神怪(くすし)き魔歌(まがうた) 謡うローレライ』

「言い回し難しいけど、美しい乙女の歌に魅入られて、難破するという伝説をまんま歌ったものですね」

 とざっと目を通した赤城が言う。

「加奈って結構な美少女だったから、それっぽいっちゃぽいんだよね」

「で、このハイネだか、ハインだかと、タチバナカナというアカウント名がくっついていた。そのアカウントと踏切に入る前の巻紙が連絡をとっていた。巻紙の死んだ日はアメリカで皆既日蝕があった。ここ二十年ほど、皆既日蝕の日には、渋谷周辺で自殺として処理されていた踏切の死亡事故が起きている、と、まとめるとそういうことですね」

「そうなるね」

「まず、この連続した死亡事故にそもそも事件性があるとは現時点では、言い難いですし、それと巻紙が連絡をとっていたタチバナカナのアカウントと関わりがあるのかも分からない」

「そうなんだよ。事件性がおぼろげなのに、連続性とか、日蝕とか、ハインだかハイネだか分かんないのとか、奇っ怪なものがまとわりついてる感じ」

「オカルト的で気味が悪いだけ…」

 そう指摘した赤城に

「ほら、話が一周したー! 結局そうなっちゃうんだよ」

 と環が赤城の方を指差しながら言った。

 船乗りを惑わすという人魚の歌に加奈の姿が重なる。

……カナは生きている……

 二十年前に失踪した後、どこか地方に逃れたのではなく、ずっと東京周辺にいたと言うのだろうか。

 ……でも、どこに?

本文:ここまで

 続きはこちら:第十回

 続きが早く読みたい!という人はぜひ、通販もご利用くださいね。コロナ禍によって暇を持て余した作者によって、迅速対応いたします。

BOOTH通販『フワつく身体』

読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?