防犯カメラに映っていた女は、黙秘しつづける。なぜ、彼女は環の行動を掴んでいたのか。或いは『フワつく身体』第三十一回。
※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第三十一回です。(できるだけ毎日更新の予定)
初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」
前回分はこちら:あの時、加奈は美頼の知らない遠くへ行ってしまった。加奈の中にあるものを美頼はまだ知らない。或いは『フワつく身体』第三十回。
『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?
■二〇一七年(平成二十九年)十一月五日
環は渋谷署の取調室を小窓から覗いた。
「完全黙秘だ。何も喋らない」
背後から、羽黒の声がした。
環は、取調べを受けている女の華奢な姿を見つめる。環は、岡北から話を聞いた時は予感に過ぎなかった、おぞましい事実をこの人物に突きつけるために。
一課の刑事の向かいに座るのは、細川夕子。かつての名字は立花。
立花加奈の母親だ。
神泉駅の防犯カメラに写っていたのは紛れもなく、夕子だった。
重要参考人として栃木県警に応援を要請したが、足利の自宅には夕子はいなかった。行方を追って二日。夕子は十月の二十八日頃から、笹塚のウィークリーマンションにいたことが分かった。彼女は渋谷区内にいたのだ。
居場所を割り出したのが、今日の午前中。そこから重要参考人として任意で取調べをしていた。
捜査本部が夕子の居場所を追っている二日の間に、夕子と思しき姿が当日の深夜一時頃、JR品川駅、その三十分後には京急線横浜駅の防犯カメラに写っていたことが分かった。この時には既に、ハロウィンの喧騒を外れれば、単に目立つだけの帽子は被っていなかった。キャリーケースは品川駅では引いていることが確認できたが、横浜駅では持っていなかった。
夕子は品川でキャリーケースを捨てた後、横浜まで行った。そこで、電車が終わり、周辺で時間を潰して、早朝に三浦半島に出向いていた。
次の姿は京急久里浜駅の防犯カメラに写っていた。横浜で着替えたのか、もっとラフな格好に着替えていた。ベージュのチノパンに、カーキ色のアウトドアコート。環が足利で会った時よりもカジュアルだった。足元は分からなかったが、恐らくヒールではなくなっていただろう。
次に防犯カメラに写っていたのは、東京湾フェリーの乗り場。房総半島への旅行者に見られるようにラフな格好に着替えたのだろう。
「東京湾海底谷、東京湾の南側にある最大の深さ七百五十メートルの深海。東京湾フェリーはその北側の際を走って行きます。確かに航路の真ん中辺りで、スマホを捨てたなら二度と戻って来ないでしょうね」
支給品のスマホでWikipediaのページを見ながらそう言ったのは、航路の北側、横浜市金沢区の出身の赤城だ。
「でもさあ、なんだかんだでいくらSNSを主体で使っていたって言っても、スマホ本体を捨てても、足がついちゃった訳でしょ。神奈川の事件に人的リソースを奪われて、寄せ集めのウチらまでかき集められるような事態であったにもかかわらずさ。なんでこんなとこまで、捨てに言ったんだろ」
そもそも、白い百合の花など手向けなければ、花屋で防犯カメラに写ることもなかったし、周辺の防犯カメラに写る、似た格好をした人物を探されることもなかったのだ。
なぜ、いちいち環に犯行声明のような文章を送ったのか。
全てが演技的で過剰だった。
もし、合理的な理由を見つけたとしても、それは後付けに過ぎないと思わせるような、自己陶酔的な匂いが漂っていた。
フェリーに乗った夕子を、次に防犯カメラが捉えていたのは、下船場である金谷港。その後は恐らく内房線に乗って移動したと思われるが、周辺に人口が少ないため、防犯カメラがなかったのか、乗車駅の浜金谷駅周辺では確認できない。木更津など、内房から出ているアクアラインバスはハイジャック防止のため、運転席付近に防犯カメラがあるが、夕子が乗った形跡はなかった。
時間はかかるが、そのまま内房線を一周して東京まで戻ったのだろう。
それから、防犯カメラに夕子が映っていたと判明してすぐに、環はあまりにも間抜けな失態を犯していたことが判明した。
夕子から渡された、たれぱんだのお守り袋だ。
防犯カメラに写っていた人物が、細川夕子だと分かって、捜査本部がバタついていた時、お守り袋のことを思い出した環は、自分の財布を開けた。
夕子から持っておいてくれと言われたのを真に受けて、財布の中に入れておいたのだ。
「あー、何これ」
縫い付けてある部分を切って、袋を開けると、厚紙に挟まれた電子基板とボタン電池が出てきた。
「それ、小型GPSですね。電子工作の知識がなくても、迷子防止にペットの首輪につけるやつとかの中身を取り出せばそんな感じになるかと」
環の背後から、増村が入ってきた。
つまり、足利で夕子に会ってから、環がどこへ行ったのか筒抜けだったということか。
クソ、我ながら迂闊過ぎる。
環は悔しさに頭を掻きむしった。
「たれぱんだ、ですよね」
すると、さらに背後から女性の声がした。
「あれ、葉月っち、なんでいるの?」
「小隊長から差し入れ持ってけって。はい、カントリーマァム」
「お徳用袋で持ってくるか」
環は、レジ袋にずしりと入った、カントリーマァムの袋を受け取った。
「あと、風呂に入ってないかもしれないから臭うかもって、ファブリーズ」
「ど、どうも」
分駐所で瀧山が使っている私物だ。と言うか、ボトルに油性マジックで「瀧山春彦」と書いてある。乱雑に書かれた小隊長の名前を見ていた環に、
「これって、どう言って渡されたんです?」
葉月が、中身を取り出されたお守り袋を持って言った。
「加奈が高校受験の時、持ってたやつだからって言って渡されたんだけど」
「深川先輩たちが中学三年の時だから、一九九五年から一九九六年の三月までってことですか?」
「たぶん、そうかな」
「たれぱんだって、確かに一九九五年の発売なんですけど、その時はシールだけだったんですよ。ブームになるのは、一九九八年頃から。だから、お守り袋みたいなアイテムは深川先輩が中三の時にはなかったんですよ」
「いちいち、覚えてないよー、そんなことー」
環は頭を抱えた。
恐らく、加奈が持っていたというのは適当な嘘で、これは、リサイクルショップか、あるいはフリマアプリあたりで仕入れたのだろう。
「さすがに、サンリオマニアは違うね」
と隣で聞いていた赤城が葉月に言うと、
「いえ、たれぱんだは、リラックマと同じ、サンエックスです」
そうして、差し入れを持ってきた葉月は、キャラクターマニアっぷりを開陳して戻って言った。同期と行ったピューロランドでマニアック過ぎる知識を披露し続けて、ドン引きされたっていう噂は本当だったのか。
最後に言ったのは、
「ちなみに、ぐでたまは、サンエックスっぽいけど、サンリオです」
だった。
だが、GPSで掴むことができるのは、移動した場所だけだ。向こうが、田園調布やら川越やら八王子の南大沢やらに環が移動していたことは分かったとしても、梢子は環と会う前に殺されたのだ。
夕子は、恵との話の中で、梢子のことが出てきて、環が次は梢子に会いに行くことを知っていたのではあるまいか。
ならば、盗聴器でも仕掛けられていたのではないか。
だが、お守り袋についていたのは、GPSだけだった。
「例えばアキバとかでも売ってる発信型の盗聴器だと、遮蔽物の少ない平坦な場所で三百メートルぐらい。渋谷みたいな建物が多くて、高低差の激しいところだと数十メートルしか飛ばないと思うんですよね」
増村が教えてくれる。
「さすがに、そのぐらいの距離で尾行されてりゃ分かるか」
と環が言うと増村は頷いて、
「しかも、盗聴器って盗聴以外に使用する目的もないですから、バレるリスクも高いですよね。しかも我々は警察ですし。逆にGPSはスマホ、ガラケーを問わず搭載されていますし、アウトドア用の腕時計なんかにも載っています。それから、ペットだとか子供の迷子防止、簡易なものだと貴重品に貼り付けるタグなんかもあって、把握しきれないですからね。深川巡査長から支給品のスマホ以外のGPSの信号が出ていたことに気づけたとしても、そういう時計してるのかな、で終わりの可能性もありましたし」
環は頭を掻いた。
だが、翌日、環が梢子に会おうとしていたことをなぜ知っていたのかは、簡単に明らかになった。
何ということはない、恵に聞いた、のである。
GPSの動きで環が南大沢の駅前にいたことは筒抜けだったし、当時の同級生や加奈に関連する人物の中で南大沢で落ち合う人物は誰かと考えた中で浮かび上がったのが恵だったのだろう。
大型スーパーの美容カウンターで勤務中の恵に、夕子の写真を見せると、
「あー、この人! 先月会った日の次の日に、ここのカウンターに来て、お肌チェックしてった人だ」
環が現れた時は、近田たちと一緒にマンションの前に聞き込みに行った時のように、よそよそしい態度をとっていたが、夕子の写真を見せると俄然、食いついて来た。
「何話したの?」
環はカウンターの前の椅子に腰掛けた。
大手化粧品メーカーの美容部員の制服を着て、髪をアップにまとめ、真っ赤な口紅をした恵が答える。
「色々、こういうところでやってると、家族構成とか普段の生活習慣とか話したりするじゃん」
「そうだね」
「でさ、途中でこの人が『昨日の夕方、買い物帰りに見かけたんだけど、背の高い女の人とこの近くのカフェで話してませんでしたか、人違いだったらすみませんけど』みたいな感じで聞いて来たんだよね。だから、高校生の時、行方不明になった同級生がいて、それで、昨日会った人は警察官になった別の同級生で、その同級生を探してるみたい、ってさ」
「口が、軽いなあ」
環はカウンターの上に突っ伏した。『人違いだったらすみませんけど』と断りを入れたのは、環が会っていたのが恵ではなかった可能性も考えてのことだろう。
「え? 話しちゃダメだったの?」
環はカウンターから起き上がると、恵は素直に悪びれもなく驚いている。
「いやまあ、ダメな訳じゃなかったけど、そんな一見のお客さんにそんなベラベラ……」
「だってさあ、向こうも乗ってる風だったし、オバサンって基本的に詮索大好きなんだよ。だからさ、ワイドショーで芸能ネタやって、二時間サスペンスとかもなくなんない訳じゃん。で、この人、結構お金持ってそうな綺麗な身なりしてた訳。だから気に入られて太い客になって欲しかったのもあって」
「……そうなんだ。具体的にサトメグと私をどこの店で見たとか、サトメグがパンケーキ、パクパク食べてたこととかは、向こうから言ってきた?」
「いや、それは言って無かったかな」
お守り袋の中に入っていた、GPSの精度がどれほどのものかは分からない。誤差を考えて店舗を特定してこなかったのだろう。恵と話していた時間は一時間弱。雨の降る中、そのぐらいの時間同じところに留まっていれば、駅周辺の飲食店にいたと考えるのが妥当だろう。
しかもカフェという言い方はどこか曖昧は雰囲気を持つ。ファミレスだったり、ファストフード店だったりしても、「駅周辺で背の高い女の人と会っていた」という確定的な情報を与えれば、その程度の食い違いはあまり気にされないだろうし。
「サトメグが言うように、食いつきは良かった訳?」
「うんそう。ああ、これは噂話大好きパターンだな、と思って。で、行方不明になった同級生に援交の噂があったこととか、次は梢子に聞き込みに行くんじゃないかなとか、話したかな」
本当にずいぶん、ベラベラと。次は梢子のところに行くということは、ここで夕子の耳に入ってしまったということは確定した。
「……そ、そうなんだ。で、結局このお客さんはそれ以降、このカウンターに来たことはあった?」
「それがね、顧客カードに書いてあった住所がデタラメで、DM送ったけど返って来ちゃったんだよね。でも、お肌チェックするとサンプルもらえるから、サンプル欲しさにお肌チェックだけして、後は全部、嘘とか良くあるパターンだから、またかと思ってね。綺麗な格好してたのになあ」
夕子にとっては大事な聞き込みでも、恵にとっては、良くあることに過ぎなかったのだろう。微妙な沈黙が流れると、恵が口を開いた。
「タマちゃん、肌荒れてるし、ファンデもよれてるよ」
「あんま寝てないからね」
環はタマちゃんと呼ばれたことに少し安心した。
「で、この人、何なの? 誰なの?」
「それは、もうそろそろ、報道で出ると思うから、そこで確認して」
「えー、何なの? 何なの? 超気になるんだけど」
詮索大好きって、それ自己紹介じゃんか、と思った。
だが、報道が出れば、自分の迂闊な発言が梢子殺害の引き金を引いたことには思い至るだろう。色々抑圧して普段通りの感じに振る舞っているように見える恵は、また傷つくのだろう、と環は憂鬱になった。
そもそも、お守り袋にGPSが入っていたことを私が見抜いていれば良かったのだ。
環は後悔の中を、それでも立っていた。
だが、夕子が恵の元に現れたのは、環が恵に会いに行った翌日である。
そこから殺害まで少し時間がある。それがなぜなのかは分からない。
さらにここが最も重要な点だが、そもそも夕子一人で、梢子を殺害できるだろうか。防犯カメラの映像から分かっていた体格の差だけではない、年齢も梢子の方が二十歳も若い。
実行犯が別にいる可能性、あるいは、同じような体格の人物であったとしても二人がかりならば殺害が可能ではないか。
例えば、娘の加奈が一緒ならば……。
だが、そこはさらに捜査が進むことと、夕子本人の供述を待つしかない。
そして、捜査本部が夕子の行方を追っている間、環は羽黒に許可をとって、あのおぞましい予感の裏付けをとっていた。
羽黒は環が夕子にGPSをつけられていたことに対して、監察に上げるのはしばらく保留すると言っていた。
GPSに気づけたかどうかは、判断が難しい上に、羽黒はまだこの件に環を関わらせたいようだった。
「深川の功績を揉み消した上層部に、深川のミスを一つ隠匿する、これでイーブンだろう」
と羽黒は言ったが環は納得しかねるものを感じた。
だが、ともかく確証を掴むのが先決だった。
加奈の母親の夕子と、中学時代の加奈の友人であった梢子を結ぶ線を。
環は取調室で黙秘したままの夕子を見つめる。
横から羽黒が言った。
「まだ任意だ。しかも、長時間の取調べはやめるように向こうの弁護士から要望が出ている」
「なんで?」
「二年前に切除した乳癌が再発したことがこの夏に分かったらしい」
……癌か。
そう思うと、九月に会った時よりもさらに細くなったようにも思う。
環はパイプ椅子を持って、取調室に入った。椅子を開いて、一課の刑事の横に座る。
「どうも、お久しぶりです」
完黙の名の通り、夕子は何も返さなかった。だが、環を見て、少し顔色が変わったのを見て取った。
「間抜けですよね。GPSまでつけて、私の動きを監視してたくせに、馬鹿みたいに目立つ帽子被ってカメラに写らないようにしてたくせに、案内板を確認する時に顔が映っちゃうなんて。詳しくは分かんないですけど、今の防犯カメラって精度いいし、AIの技術も進んでて、解像度の荒い映像でも復元できるんですよ。それから、耳や鼻の位置から個人を特定することも。だから、品川駅や横浜駅の防犯カメラに写っていたのも、着替えていても、京急久里浜駅や東京湾フェリーの乗り場で映っていたのも、あなた、ということで、ほぼ間違いはないことは確認できるんです」
夕子は黙り続ける。似たようなことは他の捜査員からも言われて来たのだろう。様子に変化はなかった。
「ですが、警察で確認できるのは、あなたと思しき人物が事件当日、円山町周辺の防犯カメラに写っていて、白いカサブランカを買ったこと。その後、品川と横浜、京急久里浜駅、東京湾フェリーの乗り場と船着き場で、防犯カメラに写っていたこと。京急久里浜駅で映っていた時間から逆算して、私の私物のスマホ宛てに送って来たLINEメッセージが送られた電車に乗っていたと思われること、それから、GPSの仕込まれたお守り袋を私に渡したことです。新川梢子さんを殺した、という証拠は、現在のところ、一つもありません。花は買ったが、他は知らない、指示されてスマホを海に捨てるように言われた、そう言い訳することも可能です。実際、新川梢子さんとあなたの間には、年齢的にも体格的にも差があって、一人で殺害したと考えるのは難しい点があります。なぜ、黙秘したままなのでしょうか」
夕子の様子に変わりはなかった。
「まあ、仕方ありませんか。今までだって、他の捜査員から同じようなこと何度も聞かれた来たでしょうしね。私がわざわざやってきたのは、同じことを聞き直すためではありません。あなたと被害者の新川梢子さんを結ぶ繋がり、それは他でもなく、二十年前に行方不明になった娘さんの立花加奈さん、それ以外にないでしょう」
夕子の目が、立花加奈という名前を聞いた時に少し泳いだように思う。
「我々の方としても、加奈さんのお母さんであるあなたが、加奈さんの友達だった梢子さんを殺す理由は見つかっていません。ただ、私には何点か気になることがありました」
環は少し身を乗り出して夕子の目を見つめる。夕子は環から視線を外した。
本文:ここまで
続きはこちら。第三十二回。
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読者の皆様へ:
※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。
※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。
※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。
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