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二十年越しに環によって暴かれる加奈の秘密。そして、犯人は言う。「加奈は生きている」と。或いは『フワつく身体』第三十二回。


※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第三十二回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:防犯カメラに映っていた女は、黙秘しつづける。なぜ、彼女は環の行動を掴んでいたのか。或いは『フワつく身体』第三十一回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?


■二〇一七年(平成二十九年)十一月五日(承前)

「まず、私が九月にあなたに会いに行った時、加奈さんに対する思い出が曖昧であっさりしたものだったこと。『加奈はしっかりした子だったから本人に任せていた、当時加奈と喧嘩をしたりしたことは覚えていない』あなたはそう言いました」

 環は、夕子の反応を見る。だが、先程と変わらない。

「それから、中学時代は仲が良かったけれど、高校に入ってからは疎遠になったという被害者の新川梢子さん、援助交際の噂が流れた時に、『加奈がああなったのは私のせい』と言っていた、と同級生の加藤恵さんから証言がありました。……あなた、私が恵さんに会った翌日、恵さんがいる南大沢の大型スーパーの美容カウンターに現れて色々聞いて行きましたね。」

 環は、夕子の目をさらに強く見つめる。だが、視線は逸らされたままだった。

「で、私が梢子さんに連絡をとると、梢子さんは『話すまでに心の整理が必要』と言いました。それから、梢子さんはシングルマザーになってから昼の仕事の収入で足りない分は援助交際をして稼いでいました。相手の男性から『これは少女時代の自分に対する罰なのだ』と言っていたという証言を得ました」

 環は夕子から視線を外さずに息継ぎをした。

「また、そもそも、恵さんに、梢子さんと加奈さんの間に何があったのか、聞くと『知らない』しか言わないのに、少し動揺するんですよね。恐らくその一端を知っていて、言えないでいる。一見さんのあなたに、私と会っていたことをベラベラと喋ってしまうような口の軽い人が、それでも口に出せないこと」

 環は少し、間を置く。

「中学時代の加奈さんに何があったのか。そして、高校に入ってからの加奈さんが、先日亡くなった世良田美頼さんと一緒に渋谷で援助交際をしていたこと。一般に大きな性的トラウマのある人物が、一種の自傷行為として性的逸脱に走ることが多いとされています」

 夕子は明らかに少し動揺してきていた。環に合わせていない眼差しが不安定になっているのを見て取った。

「で、まず、加奈さんが中学生だった二十二年前から二十四年前、調布警察署に何らかの被害届が出ていないか、確認しました。ですが、こちらは何もありませんでした。でしたので、方法を変えて、調布市内の産婦人科をカルテを当たると、

 一九九五年の十月に、中学三年だった加奈さんが妊娠中絶の手術をしていることが分かりました。

 相手は分かりません。性的暴行の被害に遭っても、周囲からの目を恐れて、被害届を出さないことは現在でも良くあることです。ましてや二十年以上前ならなおさらでしょう。加奈さんが通っていた、学習塾の講師だった人に話を聞くことができましたが、何かがあったことの裏付けとして、この頃、第一志望で充分合格圏内だった渋谷区の私立のS女子高校の志望をとりやめ、私たちが通っていた調布の都立高校を第一志望に変えたそうです。現在は皮肉なもので、渋谷にあるということで九十年代後半以降の風紀の乱れや、いじめ自殺事件があったことで、私たちの出身の都立高校の方が偏差値が大分高くなっていますし、今では高校からの編入試験もやめたそうですが」

 中学時代の加奈が中絶手術を受けていた、という事実を突きつけられた夕子の動揺の色が濃くなっていた。

「恐らく、この中絶に関わる出来事を、加奈さんは梢子さんに打ち明けた。だけれども、まだ中学生だった梢子さんは、その事実を受け止めきれなかった。故に、加奈さんと梢子さんは疎遠になった、そのことに対して梢子さんは負い目があった、だから、離婚後シングルマザーになって金に困り、援助交際をする自分に『罰』と言った。そう考えると辻褄が合います。

 では、加奈さんを妊娠させた相手が誰だったのか、もちろん、通り魔的な犯行に遭って、被害届を出さなかった、そう考えることも可能です。ですが、もちろん全てがそうであると言うのは誤解を与える表現にもなりかねませんが、そのような目に遭ったならば、無理矢理襲われることによる打撲や擦過傷などが伴うことが多い。そういったものを見た記憶はない、と当時の塾講師は言っていました。二十年も前のことなので、曖昧な可能性もあります。ですが、その後の関係に罅(ひび)が入るほど、打ち明けられた梢子さんが受け入れ難かったこと、あれだけ口の軽い恵さんでさえ言えないこと、それに、」

 ここで、環はゆっくり呼吸をした。

「タチバナカナという名前は、なぜか九月に薬物所持などで逮捕された江崎翔太からの口からも出てきています。彼が所持していた薬物の名前は通称、ヒネ。それから、八月に神泉駅の踏切で死んだ、巻紙亮二が連絡をとっていた相手のアカウント名もタチバナカナ。そこで、使われていたアカウントが@hine19800815。ヒネというのは、ポリネシアの闇と死を司る女神から来ていると思われます。ではなぜ、ヒネは闇と死の世界の女神となったのか。

 元々、彼女は人々と同じ、光と生命の世界にいたとされています。その裏側に下ることになった理由は、

 間に子まで成した夫が、自分の実の父親であることを知り、それを恥じたためなんです。

 つまり、

 加奈さんは、実の父親であり、あなたの夫でもあった立花純一郎さんに、日常的に性的虐待を受けていたのではありませんか?」

 デスクの上に置いた夕子の指が震えている。

 顔色も青ざめている。

「もちろん、証拠はどこにもありません。あるのは、中三の加奈さんが中絶手術を受けたという記録だけです。ですから大変な無礼を承知で言っています。子供に対する性的虐待と言うと、継父や母親の恋人といったイメージがありますが、実際に最も多いのは、実の父親である、というデータがあります。加奈さんが失踪した二年後、純一郎さんが亡くなって、自殺として処理されたことの原因もここにあったのではないでしょうか」

 夕子の指は震えたままだった。

「あなたは、高校へ入ってから、加奈さんが街へ浮遊して行くのを止めなかった。それは、夫との間に子をなして中絶をした、自分の娘を持て余していたから、ではなかったのでしょうか。家に寄り付かなくなったことを安堵してさえ、いたのかもしれない。援助交際の事実に気づいても、見てみぬふりをするしかなかった、違いますか」

 夕子の顔を見る、指だけではなく、唇も震えている。

「ですが、今さら、あなたを責めても仕方がないとは思っています。思い返せば、あの頃の女子高生、いや、若者全てに投げかけれた言葉の多くは間違っていたんだと思います。援助交際をするような未成年に対して、それも選択肢のうちの一つだと認めるような態度をとるのでも、父性や、秩序、道徳や国家を持ち出して来て叱るのでもなかった。この国の大人たちが、若者に言うべきだった言葉、そして、今も、大人になった我々がまたその下に伝えるべき言葉は、きっと、

 誰かの欲望や幻想に自分の魂を売り飛ばしてはいけない。

 と言うことだったんだと思います。違いますでしょうか。だから、あなたもあの時、あなたの夫の欲望の餌食になった加奈さんを全力で守らなければならなかった。……ごめんなさい、結局責めてしまっていますね」

 夕子は、指先と唇を震わせながら、青ざめた顔で環を見ていた。だが、言葉が登ってくることはない。

「ですから、加奈さんが失踪してからの二十年、何があったのでしょうか。そしてなぜ、それが、直接的な形であれ、間接的な形であれ、新川梢子さんの殺害にあなたが関与するようになったのか、教えていただけませんか」

 環は言い終えた、と思った。

 だが、夕子の青ざめた顔はそのままで、長く沈黙が流れた。

「何か、おっしゃることはありませんか」

 何度かそうつっついたが、夕子が何かを返すことはなかった。

 しばらくすると、

「深川、時間だ」

 そう言って、羽黒が入ってきた。

「お疲れ」

 取調室の扉を閉めた環に羽黒がそう声をかけた。

「これで、良かったのかな?」

 夕子は結局何も言わなかった。

「明らかに動揺していた。もう少し揺すれば供述を始めるかもしれない。後はこっちでやる、まあ、また頼むかもしれないけどな」

 と軽く背中を叩かれた。

 本当にこれで良かったのだろうか。確かに夕子は動揺していた。いや、動揺させ過ぎたのではないだろうか。

……嫌な予感がした。


 ▼参考文献より引用

 身も蓋もない結論を言ってしまうようだが、首吊り以上に安楽で確実で、そして手軽に自殺できる手段はない。他の方法なんか考える必要はない。「なーんだ」と思うかもしれないが、いくら調べたところでこれ以上の手段は見つからないんだからしかたがない。以下に詳しく書くが、それくらい首吊りは優れている。人類が考え出した芸術品と言ってもいい。だからこそ毎年日本の自殺者の半数以上がこの手段を選び、古今東西を問わず広く用いられてきたのだ。

 首吊りの最大の長所は未遂率が極端に低いことだ。紐が切れたり、紐をかけた木の枝が折れたり、あるいは決行直後、10数分以内に発見されたりしないかぎり、成功する確率は100%だと言っていい。服毒したうえ、切腹したが死にきれず、線路で電車を待ったがこれもダメで、仕方なく崖から飛び降りたがそれでも死ねず、ついに崖から飛び降りたが、それでも死ねず、ついに崖を這い上がって松の木で首吊り自殺した人がいた。首吊りの確実さを物語っているケースだ。自殺するなら首吊り。志願者はこれをまず念頭に置いておくべきだろう。

  ※鶴見済(1993)『完全自殺マニュアル』太田出版pp.56-57


■二〇一七年(平成二十九年)十一月六日

 

 嫌な予感は的中した。

 夕子が自殺未遂をしたという一報が入ったのは、環が取調室を出て三時間ほどしてからだった。

 あくまでも任意聴取の形を崩していなかった捜査本部は、夕子を笹塚のウィークリーマンションに返した。

 ウィークリーマンションには、妻は沖縄に旅行に出ていると信じていた今の夕子の夫が栃木から出てきて待っていた。

 だが、夫がコンビニに買い物に出ている隙に、外へ抜け出し、近くの公園の遊具にカーディガンをかけ、首を吊ろうとしていたところを、張っていた地元の警官に見つかった。

 陽が落ちていたとは言え、住宅街の間にある児童公園で自殺を試みるなど、突発的な行動と思われた。

 遊具にかけたカーディガンに首を置くか置かないかの時点で見つかったため、ほぼ外傷はなかったが、夕子はそのまま近くの病院に搬送された。

 環の中には深い後悔が生まれた。おぞましい事実をいきなり突きつけ過ぎたのだ。

 無論、環が突き止めた、加奈の妊娠中絶の事実を夕子にぶつけろ、あるいはその相手が父親であった可能性を突きつけても構わない、と指示をしたのは羽黒である。

 やはり羽黒は有能だが、生存者バイアスと言うか、努力が実ってきた人間特有の傲慢さがある。人の弱さが見えないところがある。

 現状では梢子の殺害にどう関わったのかは見えないにしろ、娘の妊娠中絶とその後の失踪、そして、断定はできないがその相手が自分の夫であったことは、この二十年間、彼女を苛んで来たに違いない。

 突きつけられるなら、少しづつ、娘の同級生ではない人間から、教えられた方良かったのではないだろうか。

 検査を終えた夕子に、環が赤城と共に会いに行った頃、日付は既に変わり始めていた。

 普通の入院患者なら、面会が可能な時間ではなかった。

 だが、少なくとも次の取調べが行われる前に、環は夕子に会わなくてはならないと思った。

 夕子の病室には、新たに自殺を試みられないように、男性看護師数名と私服警官の姿があった。

 そして、ベッドの脇に座る編み込みのセーターを着た、顔の長い男が今の夕子の夫のようだった。

 環は夕子の今の夫に少し席を外して欲しいことを伝えると、彼は文句を言いながらも渋々出て行った。

「申し訳ありませんでした。傷つけてしまったことを謝ります」

 そう言って、環は深々と頭を下げた。

「言え、深川さんが悪いのではありません。深川さんがあそこでおっしゃったこと、あれは全て事実です」

 夕子の声を聞いたのは、足利の鑁阿寺で別れて以来だった。

 夕子はようやく口を利く気になったのか。

「警察の方って、怖いですよね。私が二十年以上、秘密にしてきたことが分かってしまうんですからね」

「お話する気になっていただけましたか」

 夕子は答えない。環は続けた。

「お話する気になっていただけたのでしたら、他の捜査員にお願い致します。私は夕子さんを自殺を試みるほど、傷つけてしまった。そのことの責任をとらなくてはいけない。それに、ただの鉄道警察隊に過ぎないのに、出しゃばり過ぎました。私が梢子さんに接触を試みようとしなければ、彼女は殺されなかったのかもしれない」

 夕子は静かに首を振った。

 環が梢子に会おうとしたことは殺害には関係ないということなのろうか。

 夕子は、唇から漏らすように、環に言った。

「お願いがあります。……私を死なせて下さい」

「え?」

「死なせて下さい」

 夕子の目からは涙が溢れ始めた。もう一度、嗚咽にまみれながら、

「お願いです。……死なせて、死なせて下さい」

 と、切れ切れに言った。

「それは、ダメです。あなたには、いえ、人には生きる権利はあっても死ぬ自由なんてないんです。梢子さんには子供が二人いました。あなたは彼らから母親を奪うことに関わったことの責任を負っています。だから、死ぬのは許せれません。癌が再発しているとは聞きましたが、生きている限り、そこには向き合わなくてはなりません。そこは履き違えないで下さい」

 環はそう言い放った。夕子には冷淡に見えたかもしれない。

 それでも、夕子は「死なせて下さい」と言いながら、嗚咽を続けていた。

「私を、私を死なせて下さい、私が死ぬのはあの子の意志なんです」

 環は夕子の目を見る。

「私が死ぬこと、それは加奈の望みなんです。あの子は……

 ……あの子は、加奈は生きているんです」


「タマ姉、もう関わらないって、それでいいんですか」

 病院から戻る途中、赤城が聞いてきた。

 十一月の深夜の風からは、冬の足音がしてくる。環の前髪を冷たい風が撫でた。

「うん、だって、自分の同級生の関わってる事件だからって首突っ込んでやらかしまくりじゃん、私。やっぱりね。所詮は鉄警隊だよ。一課じゃない、それだけの人間じゃなかったんだよ」

 環は空を見上げた。ビルの間に満月からやや欠けた月が出ていた。

「それでいいんですか。本当に」

「いいんだよ、羽黒には私から言っとく。ということで、刑事の真似事は終わり。赤城っちも付き合わせちゃって悪かったね。夜が明けたら、七五三みたいな格好じゃなくて、いつもの制服に戻るよ」

「タマ姉は大丈夫なんですか、ずっと気を張ってるように見えるけど」

「大丈夫だよ、私は」

 環は笑って見せた。

「別に、辛かったり悔しかったりしたら、泣いたりしてもいいんですよ」

「馬っ鹿、赤城っちの胸なんか借りないよ」

「そういう訳じゃなくて、僕は、タマ姉、……あなたが心配だから」

 赤城は目を反らして、絞り出すように言った。

「恵まれてんなあ。やっぱり私は恵まれているんだよ。そうやって心配してくれる同僚、オヤジ臭いけど、なんだかんだ目をかけてくれる上司、キャラクターマニアで有能な後輩、能力を買ってくれた出世頭の同期、それから、比較的体力のある身体に生まれついたこと。どれか一つが欠けても、たぶん私はここに残っていなかったかもしれない。運が良かったんだ。だから、私は泣いちゃダメなんだ。梢子にも、美頼にも、他の同世代の人に対しても申し訳ない」

「でも、そうやって、無理を重ねるといつか……」

 そう言った赤城の言葉を遮って、環は赤城の頭を撫でた。赤城の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。

「ちょっ、ちょっと、僕、三十過ぎた成人男性ですよ、何やってるんですか」

「へへ、いいじゃん、次は制帽乗っけちゃうんだし」

 と言いながら、赤城の頭を撫で続けた後、環は手を離して自分の鼻で嗅いだ。

「臭っさ! ヤバ、赤城っち、風呂入って無かったでしょ」

「そりゃ、忙しかったから、……ていうかそれ酷くないですか」

 環はもう一度手を嗅いで、

「汗の臭いだけじゃなくて、なんか違うのが混ざってる。学生時代に嗅いだ胴着の臭いとは違う。隠しきれない三十代の臭いがする。ヤバい」

 環は笑った。赤城も笑っていた。

 そして、やはり、自分は恵まれていたのだと思った。

本文:ここまで

続きはこちら:第三十三回

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読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。

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