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ハロウィンの夜に起こったもう一つの事件。その姿を追うと、被害者の「罰」という言葉が明らかになる。或いは、『フワつく身体』第二十九回。


※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第二十九回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:花屋の防犯カメラに映った女。そして、踏切事故の現場にも映り込んだ女。或いは『フワつく身体』第二十八回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?


本文:ここから

■二〇一七年(平成二十九年)十一月二日(承前)

その後、環は赤城と一緒に、殺害現場付近での聞き込みを続けた。

 円山町は坂の稜線に従って複雑な道が続く。どの道がどこに繋がっているのか分かり難い迷宮めいた構造をしている。

 だが、特に有益な情報は得られなかった。

 近隣の人々がハロウィンの夜に見たものとして覚えているのは、特に派手なコスプレをしていた人か、騒いでいた若者の姿ばかりで、大きな帽子をかぶってキャリーを引いていた女性の姿などは覚えていないと言う。無理もない。あの帽子も遠目には魔女のコスプレに見えただろう。

 その間に無線で知った情報としては、梢子の別れた夫は熊本にいることが分かったこと。今の内縁の女性が暴力を振るわれていると、地元の警察に相談に来ていた。梢子と別れた原因もDVだったが、懲りない男だ。

 ハロウィンの当日は、熊本県警の巡回中に姿を確認しており、これで元夫は犯行に関わっていることはありえないと証明された。

 午後を回ってから、環の元に電話で連絡が来た。梢子が使っていたツイッターの鍵アカウントと、直近に連絡をとっていた人物が判明したようだった。

 渋谷署に戻ると、サイバーとの連絡係の増村が待っていた。
「割に判明早かったですよ。ツイッター社も、神奈川の事件を増長させた負い目のせいでこっちも協力的でした。新川梢子のアカウントは、タイムラインは殆ど可動していないです」

 と増村が手元のタブレット端末を見せた。最後の投稿は昨年で止まっているし、犬の動画のリツイートが最後だった。アイコンは後ろ斜め右から撮った写真。頬と鼻のラインしか分からないが、梢子本人のものだろう。

「主にメインで可動していたのはこちら」

 と言って、増村はタブレットをスワイプしてダイレクトメッセージの画面を開く。

「最後に連絡をとっていたのは、このKという男です」

 と言いながら、上から二つ目のアイコンとのメッセージのやり取りを開く。アカウント名は本当にKだけだった。アカウントは@fsgnamp2pt 恐らくランダム生成だろう。

 アイコンの写真は子パンダだった。今年生まれて、先月名前が公開されたシャンシャンだろうか。

「アイコンは動物園のサイトからの無断転載です。出会い系アプリである程度話をつけてから、新川梢子は、サクラではないことの証明にツイッターの鍵アカウントに誘導していたようです」

 環がタブレットに目を落とすと、メッセージにはこう書いてあった。
『サイトでもお話したように、こちらはもうあんまり若くはありません。G有でTUというのは本当でしょうか』

 G有というのは、ゴム有りの略。TUはトリプル諭吉の略。つまりコンドームをつけて、三万円ということだろう。

『僕はあんまり若い子が好きじゃありません。本当です。渋谷までの高速代も別途出します』

 三十を過ぎると一~二万円が相場というのは職務の中で聞いたことがあった。その上、高速代までつけるとは。

 梢子は条件が良すぎることを訝しみながらも、金に困っていたのか相手と会うことを決めていた。

『夜十一時に道玄坂上のファミマ前にお願い致します』

『ハロウィンの渋谷は大変混雑すると聞きます。渋谷は元々不慣れですし、別の街にして頂くことはできないでしょうか』

『いえ、渋谷でなければお会いいたしません。遅れても構いませんからよろしくお願いします』

 Kはなぜか渋谷で会うことにこだわっていた。渋谷で勤務している人間なのか。例えば、やはり警察内部にいるとか? いや、ハロウィンの雑踏を警備する警察の人間が持ち場を離れるのは無理があるだろう。

 それからしばらくして、やり取りがある。

『混んでいて少し遅れましたが、指定の場所に到着しました』

『自分も少し遅れます。ナビはありますか』

『はい、少し古いものですがついています』

『いつも使っているホテルの住所を送ります。円山町は複雑で分かり難いかも知れませんが、ナビに従って先に向かっていてくれませんか。駐車場がありますから、中に入らないでそこで待っていて下さい。〒150-0044 渋谷区円山町●-●-●』

 一連のやり取りは、午後十一時十八分~二十一分の間に行われていた。

 それは間違いなく、殺害現場のラブホテルの住所だった。そこでやり取りは終わっている。文面から、この後で梢子は殺されたのだという生々しさが伝わってくる。

「で、このアカウントの正体も分かったってさっき言ってましたよね」

 環がタブレットから顔を上げて、増村に聞く。

「はい。このアカウントが犯人だとすると、横須賀から深川巡査長宛てにLINEを送った人物と同じということになる。つまり、深川さんが警察官であることを知っている人物ということになる」

「に、なりますね」

「で、この人なんですけど、心当たりあります?」

 と増村はプリントアウトした資料を環に見せた。

 金沢和昭 五十二歳

 住所は、埼玉県さいたま市大宮区。

「ばっちり警察のデータベースに入っていました。五年前まで暴力団の組長をやってました。これは十年前に銃刀法違反で捕まった時の写真です」

 次のページをめくる。写真が入っている。髪型をオールバックにした、いかにも強面な男の顔写真だった。

 環は首を捻る。思い出そうと良く考えてみるが、やはり首を捻る。

「知らないなあ。大宮に住んでる元ヤクザなんて、心当たりないなあ、年齢も十五歳違いでしょう。きょうだいの世代でもないし、かと言って両親の世代でもないし。この人捕まえたのってどこです?」

「埼玉県警です」

「じゃあ、私が過去に逮捕してるってこともない訳か」

 すると隣で話を聞いていた赤城が資料を覗き込んで、

「この人の住所なんですけど、欅コーポ一〇二ってなんか、元ヤクザの組長の家にしてはずいぶん、貧乏くさいですね」

 すると増村が、

「そうです。このアカウントが主に使っていた電話回線なんですが、契約は今年の八月末なんですが、キャリアに問い合わせると、契約した後、どこにも電話として発信した形跡がないんです。普通、五十二歳の男性なら、そんな使い方はしないと思うんですよね。ツイッターアカウントの登録は十月二十八日。事件の僅か三日前です。それも、殆どダミーのように面白ネタや動物ネタのバズってるやつをリツートしてるだけで、被害者の新川梢子以外とのダイレクトメッセージのやり取りもありません。元暴力団関係者は、偏見もキツイので再就職もままならないことが多いんですよね。恐らく金に困って回線を売ったのかと」

「巻紙が連絡を撮っていたLINEアカウントのスマホの契約者が、笹原という元派遣社員の無職の男性だったのと同じパターンか」

 環は腕組みをしながら答えた。

「羽黒さん曰く、念のため、深川巡査長に見覚えがないか確認しておけと」

「なるほど。じゃあ、私は次はこの元組長のオッサンの聞き込みに行けばいいってことです? 電話を売った相手が誰か」

「いえ、それは一課の誰かと、面識があるであろう埼玉県警の四課に協力をお願いします。深川巡査長はこっち」

 と言って、増村はもう一度タブレットを差し出した。Kとのやり取りを表示したページから戻って、その上のアカウントとのやり取りを表示する。

「この人、頻繁に新川梢子と会っているんですよね。パパ活と言うか、愛人契約と言うか、定期的に被害者と会ってホテルに行っていたようです。メッセージのやり取りは今年の一月から。最初の方に遡ると、メッセージの方に自身の携帯番号も載せていますし、タイムラインをたどれば、冬に雪が降った日に自宅から撮った写真があったりと、こちらの人物の特定はツイッター社に開示要求をするまでもない感じでした。連動はしていないですが、フェイスブックにもアカウントを持っていて、同じ写真を載せているので間違いないでしょう」

 と言って、プリントアウトした資料を環に差し出した。日焼けした健康そうな初老の男の写真が添付されていた。

「岡北弘行、六十八歳。元商社勤務ですが、現在は退職して無職。写真はフェイスブックから。住所は杉並の永福町です。彼が犯人という線は薄いと思いますが、被害者の近況を知る上で聞き込みをして欲しいとのことでした」

「六十八かあ。良く勃つなあ」

 とぼやくように言った赤城の脇腹を、環は肘で小突いた。

 増村は赤城を無視して、ダブレットをスクロールする。

『ねえ、ニュースで狛江に住む、良く似た名前の女性が殺されたって書いてあったんだけど、ショウコちゃんじゃないよね?』

『返事が来ないから心配だよ』

『お願い、忙しくても、返事して』

 一方的に送られたこの三通で終わっていた。

 悲痛さの漂う文面だった。ただのアリバイ作りなら、時間を置いて三通も送ったりもしないだろう。あのカサブランカを買った女性の協力者という印象はない。

「分かりました。それから、犯人が待ち合わせ場所として渋谷にこだわったことについて、渋谷が持ち場で離れられない人間ではないかってことで、私が犯人かもしれないっていう説が再浮上するかもしれないし、そうやって幕引き図りたがる奴が出るかもしれないけど、言うこと聞かない末端の女一人排除することと、警視庁から殺人者を出すこと、後者の方が世間的な悪印象は強いからって、羽黒警部には伝えといてください。組織の方ばっかり見ていると目が曇るからって」

 環がそう言うと、増村は「はぁ」と怪訝な顔をしながら頷いた。

 鉄道警察隊の環は車を使うと迷いそうなので、京王井の頭線を使うことにした。

 環が一人暮らしをする明大前の隣の駅だ。住所を見ただけでも、大体あの辺りかと想像できた。

 岡本太郎が描いた壁画、明日の神話が掲げられたマークシティーのコンコースを抜ける。

 今朝だって見たはずだが、ひときわ原色の鮮やかな色彩が目に刺さる気がした。

 途中、職務用に支給されている方のスマートフォンから、岡北のアカウントを眺める。特に鍵アカウントではないので、そのまま見ることができた。

 トレッキングが趣味だったようで、その話題が多い。

「いろんな意味で、年齢の割に下半身が強いんですね」

 と赤城が言ったので、環はもう一度、脇腹を小突いた。

 恵の元に一緒に行った、近田と奥山はもう少し現場付近の地取りをし続けるということだったので、岡北への聞き込みは環と赤城の二人だけだった。

 確かに、犯人と思われる人物は、大宮の元組長の金沢が契約した電話からメッセージを送っており、岡北が直接関わっている可能性は低いだろう。

 自宅のインターフォンを押すと、岡北の妻から近くの和田堀公園までウォーキングに出ていると言われた。

 そのまま待とうかとも思ったが、事情は妻のいないところで聞いた方がいいだろうと、公園まで歩いて行くことにした。会えなければまた自宅で聞けばいい。

 紅葉の始まりかけた公園の池の畔で張っていると、岡北と思しき人物はすぐに見つかった。

 初老の男は、ウィンドブレーカーも、ショートパンツもタイツも、全て黒のアンダーアーマーで揃えていた。年齢よりも十歳ほど若く見えた。

「すみません、警視庁です」

 警察手帳を見せながら声をかけると、岡北はたじろいだがすぐに状況は察したようだった。

「新川梢子さんが殺された件で、伺いたいことがありまして」

「すごいですね。彼女が僕と交際していること、誰にも言っていなかったはずなのに、警察は突き止めてしまうんですね」

「そりゃまあ」

 梢子のアカウントさえ分かれば、後は個人情報がダダ漏れに近い岡北のことなど、素人でも調べられるだろう。

「新川さんが殺されたことは知っていました?」

「はい。昨日、ニュースで見ました。信じ切ってはいませんでしたが、警察が来たとなると本当なんだなあと思います。彼女はショウコとしか名乗っていなかったんですが、何度か名字を目にする機会もありましたし、同姓同名かと思って何度もメッセージを送ってみたのですが、返事がありませんでしたし」

「そうでしたか」

 何度もメッセージを送った画面は見ていたのに、そう答えるのは白々しい気がしたが、仕方がない。環は続けた。

「先程、交際しているとおっしゃってましたよね。岡北さんはそういう認識だったんです?」

「ええ、僕は少なくとも、恋愛の一つだと思っていました」

「そこに、金銭の授受があっても?」

 岡北の表情が曇る。

「何か問題でも? 現実にシングルマザーの彼女は金に困っていた。僕はそれを助けてあげていた。倫理的な問題はともかく、お互いに成人して、同意の上で行っていたことです。警察が何か言えるようなことはないはずです」

「確かにそうですね」

 環は胸の奥に支えがあるのを感じながらもそう返すしかなかった。

 あの安田といったスポーツ刈りの刑事の「自業自得」という言葉が蘇る。だが、梢子の罪とは何だ。シングルマザーになって、岡北のような男に頼らなくてはならなくなったことか。そもそも、遡れば、梢子が暴力を振るう男を愛し、その男との間に子供を作ってしまったことが罪なのか。

 暴力を振るう相手だとは、最初は分からなかったかもしれない。DVを行う人間は暴力を振るった後、優しくなるので逃げれなくなるのだと言う。

 母親が認知症になり、離婚後、実家に頼れなくなったのは梢子のせいではない。

 常に最良の選択を行えなければ、それが罪であり、自業自得なのか。

 だが、その選択ミスの僅かな隙間に、安田のような人間が入り込み、突き放し、マウントをとりたがるのが世の常だ。

 環は少し黙った後、質問を変えて口を開いた。

「事件当日、十月三十一日の深夜から十一月一日の未明にかけては何を?」

「もしかして、僕のことを疑っています?」

「いえ、形式的な質問です。お答えできますよね」

 環はあくまでも事務的に返した。岡北は梢子に対して、確かに情はあったのだろうし、梢子は梢子で金が必要だった。だが、この男から独善的な匂いを感じ取らずにはいられない。自分の中に湧いてくる複雑な何かを押し込めるためか、普段よりも事務的な話し方になっているように思った。

「あの夜は、今日と同じようにこの和田堀公園でウォーキングした後、家から出ていません。妻と二人だけですので、世間で言うハロウィンも関係ありませんし」

「床につかれたのは何時頃?」

「十一時半頃ですね。基本的に報道ステーションが終わったぐらいの時間に寝ます」

「奥様も同じぐらいに寝られます?」

「はい。大体同じぐらいです」

「ありがとうございます」

 永福町駅から、殺害現場の円山町の最寄りになる、渋谷の隣の神泉駅まで一本とは言え、十一時半過ぎに家を出たのでは、午前〇時から一時頃とみられる殺害時刻に間に合わないだろう。

 その前に家を出ていれば、妻に何か嘘をついたはずだ。後で岡北の妻の証言をとれば整合性がとれる。だが、彼の様子を見ていると梢子の殺害については何も噛んでいないと思った。

「殺害された新川梢子さんとは、どのくらいの頻度で会っておられました?」

「月に二回ぐらいです。僕は退職した後、暇なので、彼女の仕事終わりや、休みの日に、食事してホテルに行って、お小遣いを渡して」

「会うのはどうやって?」

「ツイッターのダイレクトメールで連絡を取り合って、それから車に乗って。車の方がホテルに行くのに都合がいいですから。僕の車に乗ることもありましたが、長い髪の毛が落ちていたことを妻が不審に思ったので、それからは彼女の車に乗るようになりました」

 あの、梢子が殺害された紺色のミニバンか。

「殺害現場となった被害者が所有する車の中からは、複数の男性のDNAが見つかりました。では、そのうちの一つがあなたのDNAであって間違いないと」

 岡北は黙って頷いた。

「では、髪の毛を一本頂いてもよろしいでしょうか」

 岡北は嫌がる表情を見せたが、

「協力していただけなければ、頂けないほど、疑われることになります」

 と言うと、やや薄くなった白髪頭から、髪を一本抜いた。

 環は鞄から、チャックつきポリ袋を取り出すとその中にしまった。

「ありがとうございます。で、被害者と会う時、奥様にはなんと?」

「トレッキングだと言って、いつも家を出ました。奥多摩の方に行くと電車に乗って、そこから新宿や下北沢、あるいは、二子玉川などで待ち合わせました。ホテルの場所は、あまり足がつかないところがいいと、町田や川崎の方まで行くこともありました」

 近所の噂にあったという、川崎のラブホテル街で見かけたという情報とも合致する。

「渋谷は?」

「円山町の辺りは道が狭くて複雑なので使いませんでした。対向車とこすったり、間違えて一通を逆走して捕まったりしてバレるのは嫌ですからね」

 Kと名乗るアカウントとのやり取りの中で、梢子が渋谷は不慣れと言っていたこととも合致する。
「岡北さんは、被害者との関係を恋愛の一つだと思っていたとおっしゃっていましたが、逆に被害者は岡北さんのことをどう思っていたと思われますか?」

「それは……、それは好かれていたと思いますよ。何度も会ってくれた訳ですから。向こうに事情があったにせよ。こんなもの、嫌われてしまったらもう二度と会ってくれはしないと思いますよ」

 だが、好かれていたの尺度が岡北と梢子では違うように思った。梢子の方の尺度は金払いがいいとか、暴力を振るわないとかそういった程度のものではなかったのか。実際、他にも相手を募っていたから、Kと名乗る人物とも出会っているのだ。

「被害者、新川梢子さんはあなたに何か自分のことを話していましたか」

「シングルマザーで大変だと、二人の子には少なくとも自分と同じレベルの教育は受けさせたい。だけど、自分の稼ぎだけではどうにもならない。それに、幾つも仕事を掛け持ちするだけの体力もないとね」

「そうでしたか」

 梢子は、正直に話して同情を買っていたようだった。

「だから僕はね、人助けだと思ってたところもあるんですよ」

 岡北は開き直るように言う。その対価にセックスしてたくせに。

「でも、例えば、水商売ではなく、コールセンターで働いてその上乗せとして援交をすることを選んでいた。そのことについて何か理由のようなものは聞いていますか」

 環は自分で言ってから、不自然な発言だなと思った。梢子の年齢で水商売で働くことがコールセンターで働くよりも稼げるとは断言できないだろう。キャバクラでは年齢的に難しいだろうし、銀座のクラブのようなところでも、それなりのキャリアがないとやはり、年齢的にダメだろう。

「さあ? そこまでは突っ込んで聞いたことはありません」

 岡北は、少し考えてから、

「ああ、でも、自分がDV男と結婚して離婚して、こういうことをする羽目になったのは、少女の頃の自分への罰なのだと、言っていたことがありました。不思議に思ってその先を聞こうとしたのですが、それは教えてくれませんでした」

 罰?

 環は岡北の家に戻って、インターフォン越しに、岡北の妻に就寝時刻の十月三十一日の午後十一時半よりも夫が前に外出していないことを確認すると、渋谷署に戻る。

 季節は進み、いつの間にか日没が早くなっていた。京王線の車窓から見える、マンションやアパートの隙間から見える空にはオレンジ色が残っていたが、辺りは暗くなり、澄んだ空気の中、冴え冴えとした光を放ち始めていた。

 そして、環は岡北の罰という言葉を反芻した。赤城とも何も話さなかった。

 環にはある予感がした。

 おぞましい予感が。

 ただ、現時点では予感でしかなかった。

 渋谷署に戻ると、若い刑事の奥山に声をかけられた。

「ちょうど良かった、例の黒い帽子の人物の顔が、はっきりと映っていた防犯カメラがありました」

「本当?」

「深川さんに確認してもらいたいと、ちょうど話していたところです」

 環は朝、花屋の防犯ビデオを確認したのと同じ部屋に入った。

「花屋でカサブランカを買った前後、同じようなの黒いワンピースの女が付近の防犯カメラに映っていました。この女は、キャリーケースを引っ張っていました。えっと、百合の花はここに入れてたのだと思います。かなり目立つ格好ではありますが、当日はハロウィンだったため、あまり怪しまれなかったのでしょう。大きな帽子のせいで、やはり顔が映っていないことが多かったんですが、一つだけ、神泉駅の改札付近につけられた防犯カメラだけが、彼女の顔を映していました」

 と、奥山はつっかえながらも報告した。

 部屋の中には沢山の刑事の姿がある。一斉に環の方を見る。

 奥山がパソコンを操作し、映像を流す。

 黒いキャリーケースを転がしながら改札を出てくる女がいる。

「えっと、このカメラの左側天井からは、北口と南口を表示する看板が下がっています。顔が映らないように帽子を被っていても、出口を確認する時だけ、意識が弛んだんだと思われます」

 立ち止まって一瞬上を見た。顔があらわになる。そこで動画は一時停止される。

 カナ?

 いや自分の予断がそう思わせるのだろうか。そもそもつばの部分が影になり、目の辺りが見え難い。

「で、これが俺が画像を明るくして、解像度を上げたやつだ」

 と、小太りの鑑識の三井がプリントアウトされた画像を環に見せた。

 加奈?

 いや、違う、この人物は……。

本文:ここまで

続きはこちら:第三十回。

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読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。


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