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花屋の防犯カメラに映った女。そして、踏切事故の現場にも映り込んだ女。或いは『フワつく身体』第二十八回。


※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第二十八回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:美頼に対する大人たちの答えはいつも、曖昧で矛盾に充ちている。そして加奈の中の闇が少しずつ露呈してくる。或いは、『フワつく身体』第二十七回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?

本文:ここから


■二〇一七年(平成二十九年)十一月二日


 昨晩、環は羽黒と話した後、一旦家に帰って、服を着替えてシャワーを浴びた。戻ってきて、渋谷署の会議室で環は机に突っ伏したまま眠ってしまった。

 嫌な夢を見たような気がするが、目が覚めると全く思い出せなかった。

 目覚めて、まだぼんやりとした頭でいると、誰かの話し声が耳に入ってきた。

「隠れて身体売ってたシングルマザーがラブホ街で殺されたってのは、わりとありがちな話として、なんなんだあの、鉄警隊の女の話は。自殺が連続するってなんだよ、催眠術でもかけたのかよ。やっぱ、あの燻ってる女隊員の自演とかだったりするんじゃねえの」

「聞こえてますけどー!」

 そう言って環が声の方を睨みつけると、声の主と思われた渋谷署の刑事は、逃げるように会議室を出て行った。

 ちくしょう、完全に目が覚めちゃったじゃんか。やはり、ここは本当にアウェイだ。

 声のした方を見続けていた環に背後から声がかかった。

「すみません、深川巡査長」

「なんでしょう?」

 昨日の捜査会議で、犯人が三浦半島まで出向いたのはスマホを捨てるためだったのではないか、と報告していた若い刑事だった。手にはタブレット端末を持っている。

 これと言って特徴のない顔のうち、口元のほくろが目に入る。

「あ、僕は警視庁一課の増村って言います。羽黒警部のとこの班にいます。昨日、取調べでもさんざん聞かれたかもしれないですけど、新川梢子の連絡先って、LINE以外は知らないですよね」

「はい、そのLINEだって最近知ったものだし」

「ですよね。例えば、何かフリーメールのアドレスとかで、動画とかやり取りしたとかそんなこともないですよね」

 恐らく、彼は一課とサイバーとの連絡係なのだろう。

「ないない。あれば話してますよ」

「ですよねー、今のところ新川梢子の連絡先で分かっているのは、携帯番号、携帯のメールアドレス、深川巡査長がやり取りしたLINEアカウント、それからインスタグラムぐらいで、LINEについては深川巡査長以外は、ここ数日は職場の同僚や娘の同級生の母親とやり取りがあった程度なんですよね。この辺の相手は、昨日聞き込みに行って確認したところ、本当に他愛のないもので、関係はなさそうと。後はもう八年も前に別れた旦那とも、携帯、メール、LINEともに連絡をとった形跡はないんですよね」

「私のスマホにあんなメッセージが来なきゃ、真っ先に疑われる相手ですよね。普通は」

「そうです。一応、元夫の居場所は確認中らしいです。あのホテルに向かう前に誰かと連絡を取り合っていた、と考えるのが普通でしょうけど、その手段が何なのか分からなくて、今のところ詰んでるんですよ。だから、フリーメールか、そのアドレスで登録したSNSサービスのうちのどれかなんでしょうけど。その代表のツイッター社は開示が遅いからなあ。さらに、出会い系アプリとかだと山ほどありますし」

 と言って、彼は頭を掻いた。

「なるほど。インスタっていうのは?」

「アカウントは同僚の女性から教えてもらったんですが、インスタについては、まったく関係はなさそうですね。一月に一度程度しか更新されていませんでした。内容も他愛もないものです、あ、見ます?」

 と言って、彼はタブレットを操作して、環の前に差し出した。

 画面を覗き込むと、一番最後に更新されたのは、先月アップされた夕焼けに染まる雲の写真。その前は、雨上がりに撮ったという虹の写真。

 その前はケーキの写真。顔は晒したくなかったのだろう、首から下だけ写った男の子がケーキを持って、ピースサインをしている。

「今日はお兄ちゃんの誕生日でした。レシピ動画を見てホットケーキミックスで誕生日ケーキを作りました」というキャプションが添えてある。乗っているフルーツはキウイフルーツと、缶詰めの黄桃だろうか。

 次はブレスレットの写真。梢子のものと思われる大人の腕と子供の柔らかい腕が並んでいる。

「今日は天気が良かったのでUVレジンのパーツを繋いでブレスレットを作りました。娘とおそろいにしました」

 ブレスレットには、中にラメの入った赤いハートのパーツがチェーンで繋がっている。キャプションの下には、「#キャンドゥ」「#セリア」とタグが入っていた。

 いわゆるインスタ映えする暮らしを虚飾したというよりも、慎ましやかな暮らしの中で幸せな瞬間だけ切り取ったように見えた。

 そして、画像の中には梢子と二人の子供の姿が確かにあった。首から下のピースサイン、あるいは柔らかな腕だけ。断片しか写っていなくても、そこには実在する彼らの体温のようなものを感じた。

 カナを名乗った犯人は、この二人から母親を奪ったのだ。

「ありがとう」

 どうしようもない苦さを噛み締めながら、タブレットを返した。

 なぜ、梢子は殺されたんだ。

「おはようございます」

 振り向くと赤城がいた。

「おはよ」

 赤城は、一リットルのペットボトルの無糖のアイスコーヒーを片手にラッパ飲みしていた。

「うわ、それ赤城っちの中で最終兵器だったよね」

「大丈夫です。高確率で腹下しますけど」

「大丈夫じゃないじゃん!」

 彼もハロウィンの警備からろくに寝ていないはずだ。

「ま、ともかくタマ姉も、防犯カメラの録画見ますよ、隣借りてありますから」

「え? 何か見つかったの」

「近田さんと奥山君と一緒に聞き込みに行って、あの日、カサブランカを売ったという深夜まで営業している花屋の証言を得ました。道玄坂の路地裏でキャバクラや風俗店向けに深夜まで営業している場所で、かなり昔からやってるところです。他の花屋から買った、あるいは渋谷以外の場所で買った可能性もありますけど、犯人の可能性は高いと。で、レジのジャーナルから販売した時刻の当たりはつけてありますから」

「すごいじゃん!」

「って言うか、あの店、ジャーナル電子化してないんだもんなあ。店主の証言があやふやで、先に録画確認しちゃった方が早かったですよ。レジの中に巻き取られているやつを奥山君と一個一個探して。カサブランカの花束みたいな大きいものなら、絶対に一緒にカメラに写るし」

 と言って、欠伸をした。

「で、売った相手って言うのはどんな人だったの?」

「黒い服を着て、黒い帽子を被った女性だったと。年齢は忙しかったから思い出せないみたいに言ってました。ただもう、七十過ぎた店主の証言が曖昧で。店主曰く、魔女のコスプレかと思ったら梶芽衣子かよ! と思ったって。奥山君と僕はポカーンとしてたんですが、団塊の近田さんだけが、めっちゃウケてたんですよ」

「はあ」

 黒い服に黒い帽子の女。

 ……巻紙が自殺した日の目撃証言にあった女と同じだ。

 隣の部屋に入ると奥山が

「正直、物心ついた時にはビデオじゃなかったから、いまいち扱いが分かってないところがあって」

 と若いアピールをしながら、ビデオデッキをいじっていた。

 赤城と環が、室内に入るのと同時ぐらいに、小太りの鑑識の男が、

「ねえ、レッドブル飲みすぎで、死んだ奴いるって言うじゃん」

 と文句を言いながら、入ってきた。

「やー、三井さん、神奈川の事件から、こっちに来てお疲れのところ、申し訳ない」

 と奥のパイプ椅子に座っていた近田が言うと、

「近田さんの頼みなら仕方ないっすよ。でも、やんなっちゃうなー、警察はブラックで。ていうか、逆に考えるとさ、他の業種ってさ、なんで、人が死んだ訳でもないのに長時間労働してんだろ。やべーよな日本人」

 と言いながら、部屋の隅に重ねてあったパイプ椅子を開いて、デッキの前に座った。小太りの鑑識、三井には、ぼやき癖がある。環も何度か面識があるので、軽く会釈した。

 室内には、他にも刑事が五、六人、ビデオの再生を待っていた。
奥にいるガタイのいいスポーツ刈りの四十絡みの刑事は先程、環の自演を仄めかしていた奴だった。

 隣のやや小柄なメガネの刑事に話しかけているのが聞こえた。

「こっちは早く片付けてえな。無能な神奈川県警とチーム組むのとどっちが良かったんだか。まあ、被害者の女も金に困ってウリやってたっていうし、自業自得なんじゃねえの」

 環はスポーツ刈りの方を睨みつけた。

「今のは、聞き捨てなんないですねえ。私のことはなんて言っても構わないけど、被害者のこと悪く言うのはやめてくれる?」

「お前、なんなんだよ。刑事でもなんでもねえ鉄警隊の女が何、出しゃばって来てんだよ」

「はあ? 刑事とか刑事じゃないとか、男とか女とかそういうの関係なくて、人としてやめろって言ってる訳。被害者の置かれた状況も鑑みずに、自業自得とか言っちゃうその神経をなんとかしろ、って言ってんの」

「なんだお前その口の利き方は」

「口は悪いのごめんなさい。このクズ野郎が!」

「まー、まー、まー、タマ姉落ち着きなさい。本当に喧嘩っぱやいんだからこの人は」

 赤城が割って入った。

「本当にすみません、僕がついていながら」

 スポーツ刈りに向かって、頭を下げる。

「なんなんだよ、本当、この女は」

「だから、悪いのはあんたじゃんか! 梢子が置かれてた状況とか考えらんない、想像力が全部、筋肉にとられているような虚弱な脳味噌のことじゃんか。人の心が分からない奴が警察名乗るんじゃねえ! ていうか、自己責任で済んだら警察も司法もいらねえよ、ボケが!」

「はい、そこまで」

 声の方を見やると羽黒だった。

「なんなんすか、警部。この女、人が足りないのは分かるけど、警部、女の趣味、マニアック過ぎやしないですかね」

「はい、安田は被害者への配慮を欠く言動を行った。深川の態度、言動も恫喝的。安田の女の趣味どうのという発言もまた性差別的。で、俺についてはノーコメント。政治的にはこれでいい?

「さすがに、警部、ソツがない」

 環は座った目のまま、棒読みでそう言った。

「えっとぉー、始めさせてもらっても、いいですかー」

 奥山が申し訳なさそうに言う。

 乱された空気感が残る中、皆、テレビ画面の方を向いた。

 奥山が、再生ボタンを押しながら言う。

「カサブランカの販売時刻は、十時五十八分。その手前、五分ぐらいから再生します」

 一応はカラーだが、テープを使っているぐらいなのでかなり古い型式なのだろう。画像の解像度はあまり良くない。

 レジの右斜め上から撮ったアングルのカメラだった。店主の老人と思われる頭頂部の薄くなった白髪頭の向こうに、薔薇と思しき赤い花を持った開襟シャツを来たスーツの男。

 ホストだろうか。

 ハロウィン当日ということもあり、夜十時過ぎだと言うのに、店内にはそれなりに人がいるようだった。次の客が買ったのも、カサブランカではない。

 環たちのいる室内に、何人か他の刑事が増えているのが分かった。

 次、レジに少し時間があって、つばの広い、黒い帽子を被った人物が白い三角形の花の映ったの花束を持ってやってくる。間違いなくカサブランカだろう。着ている服も黒い。

 カサブランカは店主がレジで束ねたのではなく、店頭で束ねた状態で売っていたのだろう。

 だが、カメラの位置からでは、広いつばに隠れて顔が全く見えない。

 上手く角度が変わらないものだろうか。

 その人物は、カサブランカの代金を払う。手元は店主の背中に隠れがちだが、手袋をしているようだ。

 そしてそのまま、釣り銭を受け取ると振り向いて去って行った。

「あー」

 誰からとでもなく、落胆の声が上がった。

 防犯カメラは黒い帽子の人物の顔を映すことはなかった。

「あー、ダメっすねえ。最近はAIの技術も上がってきて、こんだけ解像度が荒くても、口元の一つでも映っていれば、年齢ぐらいは推定できたりするんだけどなあ」

 と三井が残念そうに言った。

「ちなみに、今の映像で分かったのってどれぐらいかね?」

 と近田が聞くと、

「うーん、まず痩せ型の女性ってことでしょうね。身長はレジの高さから推定して、一六〇センチぐらいかな。ただヒールの高さがあれば、もっと低いかもしれない。レジに入る辺りに腰の辺りがちょっと映ってたので、小柄な男ってことはないでしょう。まああんな帽子、男は普通被らないしね。下半身はあんまり映っていないけど、スカートなんじゃないかな、ここは断定できないけど、そのぐらいかな。持ち帰って解像度上げる処理をしてもあんまり意味ないかと」

 その場に落胆の空気が広がった。

 環は脳裏にその人物の姿を改めて思い浮かべる。

 黒い服に黒い帽子の痩せ型の女。

 ヒールを履いた状態でも、一六〇センチほど。加奈の身長も一六〇センチはなかったはずだ。少なくともクラスで一番背の高かった環と、背の順に並んだ時に近くにいた記憶はない。

「まあ、この時間付近に似たような人物の目撃証言はないか、似たような人物が防犯カメラに写っていないか、当たればもう少し詳しい情報が見つかるだろう。各人捜査を続行すること」

 そう言った羽黒にその場にいた者が皆、口を揃えて「はい!」と言った。

 いつの間にか増えていた刑事たちも、バラバラと解散して次の捜査に向かう。安田と呼ばれた、スポーツ刈りの男は環の方を睨みつけるようにしながら、去って行った。

「だからもう、小隊長の言わんこっちゃない、僕らはただの応援なんですから。そんな簡単にキレないで下さいよ、もう」

 赤城が、困った顔をして話しかけてきた。

「ごめんね。昔から、堪忍袋の緒が素麺でできてるもんで。揖保乃糸で」

 平然と言う環に、赤城は頭を掻いた。

 羽黒が近づいてきた。

「深川、こないだは自分も大人になったとか言ってたのになあ。相変わらずだな」

「すみませんー。でもさ、あんなこと言われたら、梢子も浮かばれないじゃんか。そのままにしておけないじゃん」

 羽黒は眉間をつまみながら、ため息をついた。

「昔っからお前がブチ切れる時は、だいたいド正論なんだけどさ。正論をバーっと正面から言われると、逆に反省できないもんなんだよ。言われた方は、立場とか権威に逃げようとすんだよ」

「何それ」

「お前の言うように、人間てめんどくさいんだよ。組織っていうのは、そういう人間の微調整の上で、動かしてかなきゃなんないんだよ。アラフォーならお前も理解しろよ。て言うか、赤城君、君も大変だね」

 と、途中から羽黒は赤城の方を向いた。

「いえいえ、僕の方こそ、羽黒警部に止めて頂いて。小隊長からお守りって言われていたのに」

 赤城は照れていた。環は舌打ちして、頭を掻く。そして、思い出して話題を変えた。

「ねえ、羽黒警部。八月に巻紙が自殺した時の神泉の踏切の防犯カメラ映像って見れないかな」

「保管庫にあるなら、俺が山内さんに言えば出してもらえるかもな」

 と言って、羽黒が部屋を出て行った。

 赤城はその背中を見ながら、「やっぱ羽黒警部、カッコいいっすねえ。『赤城君、大変だね』とか言われちゃいましたよ」と言う。

「お前こそ、乙女か」

 環が腕組みをしながら、吐き捨てた時、後ろのドアから、音を立てずに出て行こうとしている人影を見た。

「三井さん!」

「なんか、俺、残らなきゃならない空気かなって思ったんだけど、ほら、言われたのは近田さんに言われたさっきのビデオの件だけだったしさ」

 ウエストから出ていたシャツをゴソゴソと直しながら、環に見つかった鑑識の三井は言った。

「察してるんなら、残って下さいよ。さっきのに似た人物が八月の神泉の踏切の防犯カメラにも映っているんです」

「えー、分かった、分かったし。ていうか、このお姉さん怖いし」

 三井はそうぼやいて、戻ってきた。

 しばらくすると、羽黒がSDカードを持って戻って来た。

「警部様をパシらせちゃってごめん」

「山内さんは、深川が行ったんじゃ、どうせゴネゴネと嫌味言ってなかなか出してくれないからだろ」

「そ、権威主義者には、権威のある奴をぶつけとけってね」

「ただ俺に対しても、大分年下で警部になってるから微妙だぞ。悔しいけど、ゴマもスリたいみたいなさ。しかし、山内さん、俺が来るの分かってたみたいにすぐ現れたんだけど」

「……あの人、特殊能力あるから」

 環はSDカードを受け取ると、ビデオデッキの隣にある、パソコンのスロットにいれた。

「これでいいの? 赤城っち」

 と言ったら、赤城はパイプ椅子に腰掛けたまま腕を組んで眠っていた。

「たぶん、オッケーです」

 代わりに、恐らく死にそうなぐらい飲んだというレッドブルが効いているのか、特に眠そうではない三井が言った。

 TVモニターの映像をパソコンからのものに切り替える。

「京王が持ってる映像のうち、事故の部分だけをコピーしたものなんで、すぐ始まるらしいぞ」

 と羽黒が言う。

 環は赤城を「起きろ」と言ってつつく。

 赤城は、目を覚まして「んあ、すみません」と目をこする。

 モニターの中で、遮断棒が降りて行く。先程の花屋のものより、大分画質がいい。

 音は入っていないので、聞くことはできないが、カンカンという警報が鳴り響いていただろう。遮断棒が降り切ってしばらくしてから、早朝のためやや暗いが、画質的に問題はなさそうだ。奥の遮断棒の向こうから走り込んでくる男がいる。巻紙だろう。

 白いシャツにベージュのズボンを穿いた男が、急いで遮断棒を潜る。何かに追い立てられているようだ。

 そして、踏切の端にしゃがみ込む。正確に言うと、左足を車が通る舗装された板の上に乗せ、右足を板の外の小石の上に置いて、しゃがみ込んだ。

 防犯カメラの位置からだと、映っているのは巻紙の右斜め後ろ側だ。

 巻紙は一度、顔を上げて入ってきた遮断棒の方を見る。

 遮断棒の向こうにスカートの腰から下だけが映っている。色は黒。

 だが、巻紙はそこから立ち去るでもなく、また下を向いてその場にしゃがみ続けた。

「うわぁぁぁ!」

 分かっていたのに環は声を上げる。

 画面の右端から入ってきた電車に一旦、跳ね上げられてから、車輪の中に巻き込まれる。はっきりと手が巻き込まれるところが分かった。

「わー、やばぁー」

 環は顔を手で覆っている。

「本当、タマ姉、こういうの苦手ですよね。いやもう、僕もなんか実際こういう瞬間見ちゃうとちょっと心臓がバクバクしてますけど。いや、さっきペットボトルでコーヒーがぶ飲みしたせいかな」

 と赤城が強がる。

 確かに黒いスカートが映っていた。踏切の中でしゃがみ込む巻紙は、その人物を見た。

「三井さん、どうです?」

 と、環が聞くと、三井は腕組みをしながら眉根を寄せて返した。

「あんまり良く分からなかったなあ。なんでこのオッサンしゃがんでんだろう、ばっかり考えちゃって。巻き戻していい?」

 そう言って、三井は立ち上がってパソコンを操作した。

 早戻しとは言え、腕が巻き込まれるところを見たくない環は目を反らした。

 もう一度、踏切の中でしゃがみ込む巻紙を見る。当該の人物は巻紙がしゃがみ始めた辺りで画面の左上に現れる。足元は黒いハイヒールのようだ。足首から甲の辺りは黒いパンストを履いているように見えた。だが、やはり腰までしか映っていない。

 巻紙が人物を見る。

 そこで三井が一時停止ボタンを押す。停止した画像を見ながら言う。

「うーん、こっちもさっきより解像度は高いとは言え、左上に映っているだけだし、遮断棒の位置からして、さっきの人物と同じぐらいの身長と体型だなあということぐらいは分かるか。でもさ、それは大体見れば分かるじゃん。誰でも。こっちも拡大して解像度上げても意味ないと思うなあ。口元と違って、スカートから出ている足首から足の甲にかけてで年齢特定すんのも難しいだろうなあ。個人差大きいし、その上、黒いストッキング履いてるし。俺、残った意味なかったような気がするよ」

 黒い服と黒い帽子の女性が、巻紙と梢子、両方の死に関わっている。でも、それが誰なのかは分からない、というのが結論になるだろう。

 加奈なのか。

 予断は良くない。

 なぜ巻紙は踏切に自ら入ったのだろう。今見たのは、本当に自殺だったのだろうか。もし、自殺を加奈が誘発できるとするならば、なぜ梢子は直接首を締められて殺されたのか。

 当該の人物は、踏切の人物と同一かどうかは分からないが、同様にハイヒールを履いていたとするならば、身長は一五五センチぐらいで、痩せ型だ。

 梢子のことを思い出す。昨日配られた捜査資料の中には身長一六五センチ程度とあったはずだ。高校の時も、梢子は背の順で並んだ時に環の近くにいたのを覚えている。クラスでは三~四番めに大きい方だったはずだ。

 ミニバンの中で横たわっていた梢子の死体。死後にむくんだ部分を差し引いても、子供を産んで、高校時代よりはややふっくらしていたのではないか。

 ヘッドレストの後ろからとは言え、この痩せ型で梢子よりも背の低い人物が、一人で首を締めて殺害することは可能だろうか。

本文:ここまで

続きはこちら:第二十九回。

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※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

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性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。

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