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人類の永遠の問い"Well-being"(前編)~サステナブルタウンを目指して~

ウェルビーイングを基軸とするまちづくりは、既にグローバル・スタンダードとなりつつあります。
2030年に達成期限を迎えるSDGsの次なるグローバル・ゴールとも言われています。
実際に、2010年代後半から2020年代前半にかけて、「ウェルビーイング」という言葉をとても多く聞くようになってきたと思いませんか?

ただ、残念ながら、「サステナビリティ」や「ダイバーシティ」と同様、ウェルビーイングの深いところはなかなか理解が広がっていません。
人類が問い続けてきた意味をお伝えしていきたく、特にまちづくりの視点からnoteにまとめたいと思います。

本noteは長くなるため前編・中編・後編に分けます。ウェルビーイングの話がより深くなるよう、最初にこんな話から始めたいと思います。

「まちに住んでいる」「まちで暮らしている」「まちを生きている」

私はまちづくりの専門家として、この3つの言葉に深い意味を持たせて使用しています。
あなたは、あなたのまちにおいて、どんな状態、どんな存在、どんな生活をしていますか?

まちにいる(being)3つの段階

イメージが湧きやすいよう、定年まで企業でバリバリ働いていた木村さん(男性)が、東京都A市にある大規模なマンションに引っ越してきたと仮定しましょう。3つの段階が明確に分かりやすいよう、かなり大げさに書きます。ぜひ、軽く読んでください。

まちに住んでいる木村さん

木村さんは、長年バリバリ働いてきた大手民間企業にて定年退職を迎え、ゆっくりした生活を送りたいと考え、東京都A市にある大規模なマンションに引っ越してきました。彼の日常は、働いていた頃とは真逆に、単調でありふれたものとなりました。

毎朝、木村さんは同じ時間に目覚めます。窓から見える景色は、庭の向こうにある隣のマンションの壁。小学生が列をつくって学校へ向かう光景を眺めます。彼は一人で朝食をとり、新聞を読みますが、その内容はいつも同じ政治の話題や経済の数字ばかりです。

午前中は、図書館に通います。自身の年齢と大差がなさそうな古い建物です。静かに本を読んだり、別の新聞をめくったりしますが、誰かと話すことはありません。木村さんはいつも同じ席に座り、同じ種類の本を読むことが多いです。

少し遅めの昼食は、近くのファミリーレストランで一人で食べます。彼はメニューを一通り見ながら時間をかけて注文しますが、いつも日替わり定食を頼みます。ドリンクバーで緑茶と深煎りのホットコーヒーを数回飲み、ゆっくりとした午後を過ごします。少ししてから、自然豊かな緑道を散歩するのが一番充実しているひと時です。「ようやく平和な時間を手に入れられたんだ」と、昔を懐かしみながら、日々の色やにおいの違いを楽しんで歩きます。

夕方には、スーパーマーケットに行って食材を買います。レジの人とも、必要以上の会話はありません。木村さんはだいたい同じ商品を選び、同じ道を歩いて帰ります。

夜は、一人で晩酌をしながらテレビを見ます。ドラマやニュースを観ても、感情は動かないようです。彼の人生は、だんたんと静かで予測可能なものとなりました。

(木村さんの日常は、つまらなさ単調さに包まれています。彼は何か新しいことを探すことなく、ただ時を過ごしているようです。この物語は、木村さんが予想外の出会い小さな変化を通じて、新たな意味を見つける過程を描いていきます。)

まちで暮らしている木村拓三さん

しかし、ある日、彼はマンションのエレベーターで老婦人と出会いました。明るく元気な笑顔で挨拶してきました。彼女は、木村さんと同じ階に住んでいると言いました。
少し年上の彼女の名前は田中ナミさん
「田中はいっぱいいるので、ナミさんと呼んでください。木村さんは下の名前は?」
「拓三といいます」
「木村もいっぱいいるので、拓三さんね。よろしくお願いしますね。」

田中さんは、木村さんに近所のおすすめスポットを教えてくれました。彼女は、よく行くコミュニティカフェに木村さんを案内しました。木村さんは、初めて新しい場所に足を運び、いきいきしたシニアとの交流を始めました。

知り合ったシニアの一人が勧めてくれた写真集を手に取りました。いつも歩いている緑道やこのまちの色々な表情が切り取られていました。それは自作の写真集だったのです。
木村さんは新しい趣味を見つけました。彼は写真撮影に興味を持ちました。カメラを手に取り、まちを歩きながら、美しい風景や日常の瞬間を切り取り始めました。

(木村さんの人生は、予想外の出会い小さな変化を通じて、新たな意味を見つける過程へと進んでいきます。彼は自分自身を再発見し、新しい章へと向かっていきます。)

まちを生きているキムタクさん

木村さんは田中さんに写真を見せました。
「ナミさん、このまちが段々好きになってきました。コミュニティカフェでも友人が少しできました。ほら、この写真!見てください。すてきな風景が撮れました!」
「センスがありますね!拓三さんは。そうだ!また、おすすめがあるから、紹介させてください。今度の土曜日ね。」

木村さんは田中さんと一緒に公民館に行きました。
公民館に足を運ぶのは小学生以来です。
「フォトクラブっていうサークルがあってね・・・ちょうど、サークル体験会をやっているから気軽に見に行けますよ。」
気持ちが進みませんでしたが、木村さんは田中さんに半ば強引に連れられて、サークル体験の場に来ました。

気さくな会員が声をかけてくれました。
「ようこそ!フォトクラブへ!鈴木っていいます。みんなからはスズケンって呼ばれてます。お名前は?」
「木村卓三と申します。初めて来ました。よろしくお願いいたします。」
「なら、キムタクさんですね!よろしくお願いします!名札作っておきますね。キムタクっと(笑)」
「ありがとうございます(笑)」
「さっそくですけど、説明すると、うちでは写真撮影の技術だけでなくて、フォト五七五っていう写真に合わせた俳句を作ってみたり、みんなで展示会も年4回やってたり、中でも楽しいのが小学校の放課後子ども教室!子どもと写真教室をやってるんです。」

あれよあれよと、木村さんは小学校の放課後子ども教室へ。
サークル会員のみんなが小学生の児童たちとカメラや写真を通して楽しく交流して笑顔が溢れている光景を木村さんは目にしました。
最初はよく分かりませんでしたが、小学生から「キムタクさん!教えて!」と言ってきてくれて、いつのまにか小学生の輪ができていました。
サークルの中でも、写真以外のことも話し合えるたくさんの仲間ができてきました。

「まちに住んでいる」「まちで暮らしている」「まちを生きている」とは?

まちの中に住まいを持ち、まちと関りを持たずにただ住んでいるだけの場合を「まちに住んでいる」と表現しました。このような状態にある人は「まちで暮らしている」とは思えないはずです。

上の例で、木村卓三さんは、田中ナミさんとの出会いを通じて、コミュニティカフェや公民館で知り合いや友人、仲間をつくることができました。
「今までA市に住んでいたけど、A市で暮らしていなかった」ということに木村さんは気付いたかもしれません。
確かに、木村さんが望んだ「平穏な暮らし」として、家の中では暮らしていましたが、まちの中で暮らしているわけではなかったと思われます。なぜなら、まち=住民との関りがなかったからです。ですが、住民との関りを通じて、A市での暮らしがもっと楽しくなってきたはずです。

木村さんにとって、まちは自分とは違う外部のものでした。しかし、たくさんの人と交流したり、誰かに必要とされたり、一緒に楽しみを共有したりする中で、木村さんとまちは一体化していきます。しだいに自分事化していきます。ちょっと前までは「地域貢献」だなんてかっこつく言葉を使って小学校の放課後子ども教室にボランティア活動へ行っていましたが、いつのまにか「貢献」という言葉は使わなくなってきました。

それは、まちと自分が一体化したからです。まちのことが自分事化したからです。
たとえば、夫婦で子育てしているのに、夫が「子育てに貢献している」なんて言ったらどうでしょうか?「子育てはあなたのことではないの?」と怒りや悲しみの感情を抱きますよね。

貢献という言葉は、自分の外側にある外部の存在に対して使う言葉です。

「まちを生きている」とは、このようにまちと自分が一体化した状態をいいます。まちのことが自分事化したマインドをいいます。

私は、その中心にある概念がWell-being(よく生きる)だと考えています。

次回の目次(中編)

SDGsが示す世界観:5つのキーワード
Well-beingの系譜
SDGsとウェルビーイング
OECDが挙げた3つのウェルビーイング
心理学によるウェルビーイングの考察“PERMA”
X(トランスフォーム=変革)の時代


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