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私のアートの始め方(前衛芸術へのアプローチ)




2009 初個展「角田啓展」@gallery k(京橋)


はじめに


アーティストが作品を発表するとき
「なにを表現しているか」の説明を求められることがあります。
しかし、
「どのように作られたか」を伝えた方がわかりやすい場合があります。
特に、アートに抵抗がある人は
「なにを表現しているかわからない」
「なにを表現したらいいかわからない」
といった、"なにか"とぶつかっています。
答えのない世界に身を委ねるには、
そのプロセスを追っていくことで見えてくるものがあります。

当時実践していた3つのプロセスを紹介するとともに、
初個展時のものを中心とした作品写真を掲載します。

あらためて今の自分に投げかけると同時に、
読者のあなたにとって参考になれば幸いです。

(最後に初心者にむけた具体的なコツを2点紹介します。)

掲載写真
2009 初個展「角田啓展」@gallery k(京橋)
2010 個展「破水、沸騰。」@gallery k(京橋)
補足
2015 個展「YabernModern-波音-」@NaoNakamura(高円寺)


アート入門


私が初めて個展をしたのは20才の時です。
10代の学校生活の延長で人生を過ごすのはうんざりだったので、
高校卒業とともに出会ったアーティストのもとで修行を積みました。

それは当時の自分にとっては、
重力を振り切って大気圏を脱出するロケットぐらい思い切ったことでした。
なぜなら、自分はアートをやってはいけないと思い込んでいたからです。
宇宙に旅立つのと同じぐらい無謀なことだと思っていました。
なので、アートの道に入門するのは生きるか死ぬかの覚悟でした。

真面目すぎますね。笑

"アートは絶対むり!"
"アートをやるしかない!"
も、
同じくらい真面目な選択です。
やりたいならやればいいだけなのに。
なんでこんなに真面目なんでしょうか。

それは、経験してきた社会がやはり真面目だったからでしょう。
特に学校教育の中にいる内は社会の性格を引き受けがちです。
個人の性格と社会の性格はシンクロします。

しかし、逆手にとれば自分の内面に立ち向かうことが
そのまま社会に向けた表現になるのではないでしょうか。
真面目であることをそのまま表現の爆発力に生かしましょう。
なんてことない若者が自分を解放するプロセスで作品を生み出していきます。


☆1 個人的なことを突き詰めて社会を変える


社会を変えるというのは、景気がよくなるとか、戦争がなくなるとか、
そういう大きな話ではありません。
社会というと多くの人が一つのものを共有しているように錯覚しますが、
一人一人が体験している社会は異なります。
あなたが好んで着ている服装のようなものが社会で、
ある程度似たもの同士が集まります。制服になると社会性が強要されます。
個人的なことを突き詰めるとはどういうことでしょうか。
その服は本当に好きで着けていますか?という問いかけです。
好きっていうのは本当にあなたの感覚ですか?
あなたの選択はまわりからどれほどの影響を受けていますか?
人は自分のことを見るときに内側からではなく外側から見がちです。
好き嫌いを脱ぎ捨てた自分を想像してみてください。
その人が絵を描くのです。
裸になることで感覚が研ぎ澄まされます。
研ぎ澄まされた感覚は目に写る風景を変えていきます。

2010 個展「破水、沸騰。」@gallery k(京橋)

実際に裸になって見えてくるものもあります。特に気位の高そうな場所で脱ぐのは効果的です。

まずは自分のコンプレックスと向き合ってみるといいでしょう。
そもそも根本的には良いも悪いも幻想なので、コンプレックスとはあなたの社会にとっては一般的でないというだけです。
コンプレックスを自覚することはあなたの対面している社会を解き明かす鍵になります。


☆2 個人的なものの奥底に普遍的なことがある



社会性を脱ぎ捨てて内面に向かう過程であなたは自分の記憶に直面します。
記憶は現在の自分の姿を裏付ける物語です。
自己認識はこの物語の感想です。
自分はつまらない人間だと思うのは、物語の感想です。
しかし、ほとんど決まった箇所だけを何度も見かえしたりして、
大部分を見逃しています。
物語のどこを重要視するのか、それも社会性に決定されるので、
自分の感覚を発掘するためには眠っている記憶を解き明かす必要があります。

目をつぶり今まで気にしてなかった記憶に集中してみると、
脈絡のない情景が一つや二つ浮かぶと思います。
これは自分を知るヒントになるので言葉でメモをするか、絵が描ければそれも作品になり得ます。
さらにゆっくり記憶の海を潜ると、抽象的な情景、不思議な感情や手触りに出会います。
次第にそれが現実か夢か曖昧に思えます。
記憶は物語で、そもそも現実ではないので、割り切ってイメージを膨らませましょう。
こうして描くものを見つけていきます。
深いところのイメージは体の感覚が後押しするので、意外とすんなり描き始めることができるでしょう。



原始的な絵を見ると幼児期の感覚が蘇ったり、生まれる前や死んだ後の感覚のように錯覚することがあります。
記憶を探ると個人的な物語を越えて生き物の普遍性のようなものを感じることがあります。


☆3 もはや誰が描いているのか、私はだれ?



記憶を探索するプロセスから絵を描き始めますが、
描く行為が更にイメージを深めます。
内部のイメージを画面に再現するだけでなく、
描くことが内部のイメージを動かすことになります。

過去のイメージが現在の体験となり、未知の未来に向けて筆を運びます。
手が画面に触れている接点では全ての時間が同時に動いています。
この時、画面のどこにどんな色や形を置くのかは予定していませんし、
好き嫌いで決めているわけでもありません。
まるでそうでしかあり得ないという選択で、初めからそうなると決まっていたかのように描きます。
いわゆるトランスとか、無我の境地に向かっていきます。

photo by Haruya NAKAJIMA @南相馬市 2015


つまり、予定調和ではなく限りなく即興的であろうとする試みです。
無意識に描く自分を俯瞰して見ている自分がいて、目の前で生み出されていく色彩に感動します。
達人の領域の話をしているようですが、最初から謙遜せずに達人を目指すべきです。
出来ると思って訓練したほうが具体的な技術も身に付いていきます。
例えば即興性を重視するときに画材のことであたふたしていられません。
自分がスムーズに表現できる材料をよく知っている必要があります。
必要性のあることが上達するので、おのずと色々な画材の扱いを心得ていくでしょう。


2010 個展「破水、沸騰。」@gallery k(京橋)


そして無意識にフォーカスすることを意識しすぎないで下さい。
今回の目的は"悟る"ことではなく、"描く"ことです。
絵の完成とともに自分と社会は再構築されます。
あらためて☆1に立ち返りましょう。


☆1' 個人的なことを突き詰めて社会を変える


今までの受け身の社会と、
"描くことで再構築した社会"とでは生きている臨場感が違います。
描くことに慣れてくると目に見える風景が変わっていきます。
視点が変わるだけでなく質が変わります。
光や色が変わります。
あなたが現在進行形で見ている風景があなたに最も影響を与えます。

最近は野外デッサンにはまってる


作品の見せ方にフォーカスしてしまうと自分を外側から見てしまいますので抑圧されます。
最初は自分の絵がどう思われるかを気にせずに、作ることを楽しみましょう。
見せる機会があると作るモチベーションになるので、是非展示してください。
見に来た人には
「なんかやってみたんだよね、どう?」ぐらいな態度をしておけば大丈夫です。

どう?


初期衝動は不思議と相手に伝わります。
この時の手ごたえをよく噛みしめて、
"相手に伝えること"の感覚を学んでください。
ここから次のステップに移行するので、また別の記事で書こうと思います。

職業アーティストを目指す必要はありませんから、
ライフスタイルとしてアーティストを生きてみてください。
続けるための資金や諸生活との折り合いも生きる上では普遍的な課題なので楽しんで取り組みましょう。
まあ難しいですよね。笑

私は始めから極端に振り切ってしまったので、なかなか厳しいです。
アートに入門するとともに自分に約束したのは、
「この先10年間の人生を棒に振る」ことでした。
わざわざ堕落する必要はないのですが。笑
真面目だったのでそういう風に逆に振ってみました。
とにかく成功を度外視して経験を積むことだけを意識し、
その先にようやく得られるものに期待しました。
精神的にかなりの辺境まで行きましたが、
子供が出来たことをキッカケに普遍性のド真ん中まで引き戻されました。
これがちょうど10年目です。
20代で辞めてしまう人が大勢いる中、
10年間を棒に振った私はむしろこれからって感じで生き生きしてます。
ウイルス騒動や戦争などで不安定な社会ですが、
私はアートを通じて自分の社会を描いているところです。


☆初心者にむけた具体的なコツ

1.暗い下地から始めるのがいい


いきなり白い紙に描くのは緊張感があります。
手についた絵の具が余白についたら汚れだと感じてしまいますが、下地が暗いと汚れも絵に見えます。
宇宙の誕生も始まりは黒をイメージすると思いますので、なにもないところから生み出すには暗い下地を作っておくのがオススメです。



2.大きい絵の方が描きやすい


小さい絵が描けたら大きくしていこうと思っているかもしれませんが、逆です。
小さい絵は手先を使いますが、大きい絵なら腕を使えます。もっと大きい絵は身体全体を使えます。
子供も身体全体の運動に慣れながら徐々に末端の動きをコントロールできるようになります。
手話を勉強するのは大変ですが、ボディランゲージはなぜか誰にでも出来て誰にでも伝わりやすいです。
まずは大まかなボディランゲージから表現を始めましょう。







あとがき
「前衛芸術の残り香」

"石井満隆" photo by yanmer


初個展を終えてからは特に舞踏ともの派の勉強をしました。
どちらも60〜70年代の日本で盛んに行われた前衛的な芸術表現です。
どちらもオリジナリティのある表現方法として世界的な美術史に位置づけられます。
幸いにも当時活躍していたアーティストや、その弟子世代のアーティストと交流する機会に恵まれたために革命的な時代の残り香を感じていました。
公演や展示の手伝いをし、終わってから一緒に酒を呑むのがなによりも楽しみでした。
彼らはまるで現代の空気とマッチしていないザラついた熱波を纏っていたり、異常なほど穏やかで吸い込まれそうな目をしていました。

2012「肉舞-shishimai-」@中野テルプシコール


酒を呑みながら聞く話は、哲学的で深く、こんな深いことまで考えていいのか、と不安になるほどです。
深過ぎるという罪があるなら全員指名手配級でした。
その頃から10年以上経ちました。
そもそも高齢だった彼らの訃報を聞くたびに、舞台の明かりが落とされ、緞帳(どんちょう)が無慈悲に降りていく光景を思い浮かべます。

2012「肉舞-shishimai-」@中野テルプシコール


私は奇跡的に舞台の最期に間に合いました。
それどころか、ある最高齢の舞踏家の公演を若輩者の私がプロデュースし、その次の公演、それが彼の最期の公演で、私の立体作品が舞台で使われたことはとても名誉なことでした。
現代のアートシーンには刻まれがたい名誉ですが、彼らと呑んだ酒の味は忘れません。
後世に伝わるものは先達の生き様。
いろはうつろいゆく浮世。

”Smooth Criminal”


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