角田啓

アートを通じて普遍的ななにかを探究する。

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    何気ないメモ書きを読み返してなんかよかったところ

  • ポートフォリオエッセイ

    作品紹介をエッセイ形式で投稿しています。

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境界線上のマリア ("現代"の脱構築)

≪ プロローグ - 邂逅 - ≫ 物事には表と裏がある。 内と外がある。 家の外へ出て、浜辺を歩く。 ここには陸と海がある。 足元で海と陸が入り混じって揺らぐ。 吸っては吐き、また吸う。 浜辺を歩く身体。 良いとか悪いとか、どこにでも付きまとう。 二元性は自然の摂理なのだろうか。 摂理というのは、自然を思う前にあるのか、後にあるのか。 後ろ前を間違えても服は着れる。 未来と過去の違いを説明するのは案外難しい。 有耶無耶(うやむや)な中で、 寄せては返す波が、砂浜に

    • 先輩

      センパイ、 センパイはなんでセンパイなんですか? 私はセンパイではありません。 私はあなたと同じです。 えっ 先輩はセンパイじゃないんすか じゃあ、何なんすか? 私は猫とラーメンが好きです。 あなたと同じです。 俺はカレー派っす。 ほぼ同じです。 ラップが好き。 俺もっす。 やらないけど。 俺もっす。 え、 先輩は僕と同じなんですか? 強いて言うなら少し後輩です。 え、 センパイが少しコーハイ? はい、私もカレー派です。 けど、今さら言われても セン

      • もはやアートではない

        アートに立ち合ってると、 これは、様々、色々な価値があって、 ん、 これはもはや アートではないのでは? と思うこともある。 どっちなんだろう。

        • 私のアートの始め方(前衛芸術へのアプローチ)

          はじめに アーティストが作品を発表するとき 「なにを表現しているか」の説明を求められることがあります。 しかし、 「どのように作られたか」を伝えた方がわかりやすい場合があります。 特に、アートに抵抗がある人は 「なにを表現しているかわからない」 「なにを表現したらいいかわからない」 といった、"なにか"とぶつかっています。 答えのない世界に身を委ねるには、 そのプロセスを追っていくことで見えてくるものがあります。 当時実践していた3つのプロセスを紹介するとともに、 初個展時

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          子育てしながら芸術を探究することは可能か

          子育てしながら芸術を探究することは可能だ

          子育てしながら芸術を探究することは可能か

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          カテゴリー :ライフスタイル これが映画だったらもう終わり "CUT!" But I am. これからどうする? まあ酒でも飲んで。 じゃなくてさ。 これからどうする? なぜ我々は再現しなければならないのか。 私こそ映画の友。 カメラ。 私はカメラの後ろ。 つまりカメラの前に。 "EXIST!" 落ち葉を踏んで 木の葉と蜘蛛の巣が頭にかかる。 いつもね! 矢印と 赤 青黄色 そして矢印! そこに蜘蛛の巣がかかる もしくは今夜は