「子育て」という、ぼうけんのしょ
子どもの頃の食生活はとても重要なものらしい。
科学的根拠とか栄養学とか理由なんてものに詳しくはないけれど、人間が成長するには“栄養たっぷりのバランスの良い食生活”が大事だと、様々な文献に記されている。
それをふまえて毎日の食事を用意する人は本当にすごい。献立を考えて、買い物に行き、そして買ってきた食材を「晩ごはん」に変えるのだ。すごい。すごすぎる。錬金術師か何かかな?わたしはすっかりお惣菜やレトルトという恩恵に与ってしまっている。わたし個人の意見としては、お惣菜をお皿に盛るだけですごい。うちの食器はもはや、お惣菜のパックとなっている。ちなみにこの食器は使い捨てなので、洗い物という苦行からも解放してくれる。本当にお惣菜は偉大だ。
しかしこの世界には「お惣菜」や「レトルト」を良しとしない敵対勢力が潜んでいるらしい。ちなみにわたしもつい最近エンカウントした。
わたしが出会った敵は、実父母だ。
実はこれ、なかなかの強敵である。
わたしは夫が帰宅する週末以外は、フルタイムで働きながら日々ワンオペ育児をしている。その中でたまに親から電話がかかってくるのだが、その大半は「ごはん食べに来ない?」だ。
行きます。行くにきまってるだろ。
日々ワンオペ育児、フルタイム勤務、家事嫌い。
そんなアラサー女の好きな言葉をここで発表したいと思います。
「上げ膳据え膳」。
クゥ~~~~~~~~~~ッ!!!
何度聞いても心に響く素敵な言葉だな・・・。
毎日耳にしたいし体感したい。
そんなわけで「ご飯食べに来ない?」なんて言われたら、二段飛ばしで駆けていく。親も働いているので機会はそれほど多いわけではない。こんなチャンスをわたしが逃すはずがないのだ。
特に「祝杯だ」とか「今日はいい肉が入った」とか狩人みたいな理由があるわけではないので、メニューは子どもの頃から食べ慣れた“お母さんのごはん”だ。
社会人になって、一人暮らしを経て、結婚し子どもを持ち、自分が「作る側」に立って初めて知るこの“お母さんのごはん”のすごさ。
それは「味」的にも「上げ膳据え膳」的にも効果が期待され、わたしのパラメーターを爆上げするアイテムなのだ。
食べ終えてテレビを見ている子どもたちを横目に、今夜の晩餐に舌鼓を打っているとふと父親がわたしに声をかけた。
「たまにはちゃんとご飯作らないとだめだぞ。」
・・・ズガン。
きゅうしょに あたった!こうかは ばつぐんだ!
多分、この父の言葉に悪気はない。父の性格上、わたしや子どもたちを心配してかけてくれた言葉だろう。しかしその言葉はいまのわたしを“ひんし”状態にするには十分すぎるほどの必殺技だった。
わたしはすかさず笑いながら
「ちょっと~!そういう言葉は働いてるママに軽率に言わない方がいいよ!」
と言った。
それを聞いて父はフフフと笑っていた。
よかった。そこで追い打ちをかけるように「手作りごはんの大切さ」なんかを説かれた日には、昭和の漫画みたいなちゃぶ台返しならぬダイニングテーブル返しをお見舞いしなければならないところだった。
わたしの両親も共働きだった。
しかし祖父母と同居していたので、核家族だったりワンオペ育児をする家庭の苦労やつらさを理解するのは難しいみたいだ。
そういう面では家に来れば「家が汚い!」とか時短家電などを買えば「無駄遣いして」などと母親からのヤジが飛んでくる。
まさかラスボスがわたしを産み、育ててくれた“両親”だなんて。もはや使い尽くされたテンプレにも程がある。
もちろん両親の言葉には悪意はなく、あくまで“アドバイス”として発言しているので、そこはもう無理に分かり合おうとはしないことにした。
わたしが“お母さんのごはん”の味を覚えているように、大人になった我が子もその味を覚えているのだろうか。
・・・・・休みの日で、体力が残ってたら。
久しぶりに子どもと一緒にカレーでも作ろうかな。子どもたちに餡を包ませて、ホットプレートで餃子を焼くのもいいかも。
平日はやっぱり、レトルトだったりお惣菜に頼らざるを得ないんだけど。
便利なアイテムはたくさん使った方が、体力ゲージの消耗が少なくて済む。
【さくせん】
ガンガンいこうぜ
みんながんばれ
いのちだいじに
じゅもんつかうな
▶いろいろやろうぜ
めいれいさせろ
我が家のパーティは現在このコマンドを選択している。
わたしが将来、子どものラスボスにならないように。
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