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深爪

一年前、わたしの世界が変わった。

今日はそんな、わたしのとある一日のお話を書いてみたい。


一年前の、8月某日—――。

うだるような暑さの中、不安と気恥ずかしさと、そして緊張と期待。それらを胸にわたしははじめてネイルサロンに行った。少々大げさに感じる人もいるかもしれないが、わたしはあの日のことを一生忘れないだろう。


その日わたしは、はじめて自分の爪を人に見せた。


ずっと小さなころから爪を噛む癖があったわたしは、小学校はもちろん、おしゃれに興味を持ち始める中学や高校時代も、ずっと「深爪」だった。

それも、“少し短い”とかそういうレベルではない。もうこれ以上ない程短い爪を、またさらに無理やりかじってしまうのだ。当然血が出ることもあるし、かじったあと、痛くて後悔することも多々あった。大人になって知ったが、この“爪を噛む”という癖は立派な自傷行為らしい。「爪を噛むのはストレスや愛情不足の表れ」と言われていることも知っていたけれど、特に自分でそれを意識したことはなかった。ただ、仲のいい友達に「爪を噛むのってさ、愛情不足なんだって。」と改めて言われたことは、なぜか今もたまに思い出して苦しくなる。

爪を噛むことをやめたいと思うことは何度もあった。周りの友達がおしゃれに気を遣い出してきて、つややかできれいな爪をしているのを見ては、自分のボロボロでガタガタな指がひどく汚く見えて嫌だった。それなのにまた繰り返し噛んでしまうのは、やっぱり自分の意志ではやめられない“自傷行為”だったのだろう。

幸い、そんな爪をからかってくるような友達はおらず、わたしはわりと明るく楽しく、騒がしい学生時代を過ごしてきた。それでも潜在的にに「自分の爪を見られたくない。」という意識は持っていて、なんとなく、指先を隠してしまうことはあった。

親もそんな私を気にしている様子もなく「自己責任」といった感じで、「まだ爪かじってるの~?そんな爪で恥ずかしくない?」なんてわたしの爪を見て言ってくるくらいだった。

いま自分でこの親の発言を打ち込みながら「我が親ながらひどい言い方だな(笑)」とは思ったが、親がそんな感じだったので私自身も「自己責任」と感じていたからか、その言葉に恥ずかしさを感じることはあっても、ショックを受けることはなかった。

・・・まあもし将来自分の子どもが爪を噛んでいたら、わたしは親が言った言葉は絶対言わないけれど。(苦笑)


そんなこんなで親になってまでもわたしの爪を噛む癖は治ることがなかった。ただ子どもの前でしてしまうと、その仕草を真似して子どもが爪を噛むようになってしまったら困る!と思ったので、その辺は気を付けていた。

もうきっと、この癖は一生治らない。

そう諦めて、日々を過ごしていた。


—――――そんなある日。

わたしはある人に出会った。

その人はわたしと同じように母親で、でもわたしとは全然違っていた。

その人は“ネイリスト”だった。

わたしだって、洋服や髪形を人並み程度には小綺麗にしている。

ただ人よりちょっと、爪が不格好で、短いだけだ。それだけ。

・・・それだけなのに。

わたしには彼女がとても輝いて見えた。


冒頭で言ったように、わたしは“人に爪を見せる”ということを極端に避けてきた。だって、怖かった。

「爪、やばいね。」

「汚い。」

「なんでそんなにボロボロなの?」

どれもこれも、わたしが思っている言葉だ。

わかってるんだ。自分の爪が見苦しいことくらい。でもそれを他人に言われてしまうのが、ひどく怖かった。

だからずっと隠して隠して、知らないふりをしてきた。

—――ほんとうは、きれいな爪になってみたい。

「わたし、爪を噛む癖があって・・・。こんな爪でもネイルって出来ますか?」

気付けばわたしは、そのひとに爪を見せていた。


そこから先はあっという間で。なにもかも初めてでわからないことだらけのわたしは「これはいま何をしてるんですか?」「これをすることでなにが変わるんですか?」工程一つ一つが気になって、まるで子どものようにずっと聞いていた。ネイリストさんはちゃんと全部教えてくれたし、わたしのボロボロな爪を見ても、笑ったり、ましてや「汚い」なんて言うことはしなかった。

あんなに人に爪を見せることが怖かったのに、こうやって曝け出しているのは、なんだか変な気分だった。「汚い」と卑下した爪を恥ずかしいとも思わなかった。見て見ぬふりをしていた自分の傷を、やっと受け入れるとこができたのかもしれない。


はじめてのネイルは「スカルプネイル」だった。

爪が短すぎるので、人工的に爪に長さを出す、いわば付け爪のようなものだ。違和感もなく、本当の爪のようだった。わたしは(付け爪ではあるけれど)自分の爪が長くなったのを初めて見た。

そしてその上から、ネイルをデザインしてもらう。何度も言うが、世界が変わった瞬間だった。

今まで生きてきて、自分の爪が可愛いと思えたことなんてなくて、恥ずかしくて誰にも見せたくない部分だった。

わたしはその場で何度も言った。

「かわいい!「魔法みたい!」「すごい!」「可愛い!!!」

ネイリストさんも「ね、かわいいよね。」と言ってくれた。

いい大人なので我慢したけれど、もうわたしはあまりの嬉しさで泣きそうだった。ありがとうと何度も伝えた。

家に帰って、子どもや夫に何度も見せびらかしたし、一日に何度も自分の爪を見てうっとりとした。まるで初めての彼女ができた中学生男子のように、わたしの頭の中には「爪、かわいい、だいすき」なんて言葉がぐるぐるしていた。


気付けば、爪を噛むことはしなくなっていた。


ずいぶん都合のいい話だと思われるかもしれないが、「爪を噛みたい」という感情が嘘みたいに消えたのだ。もちろんネイルをしたからと言って、すべての人が爪を噛む癖をやめられるわけではない。実際、ネイルをしてもその上から噛んでしまう人もいるらしいと、ネイリストさんが教えてくれた。


結局、スカルプを付けたのは初回だけで、次からは自爪に施術してもらった。

初めてネイルの施術を受けた日から、もう1年。

その間わたしは一度も爪を噛んだことはない。

1ヵ月に1度のご褒美。

たかが爪と思う人もいるだろう。

そんなものにお金をかけてとか、そう感じる人もいるかもしれない。

でも「たかが」でも「そんなもの」だとしても、ネイルに出会ってわたしの世界は変わった。

こうしてキーボードを打つ指が視界に入るたび、胸がきゅんと高鳴る。


もっと早くに出会っていればな、そう思うわたしは、

まるで“ネイル”という存在に恋しているかのようだ。









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