「ストⅡ」というジャンル


これは稼働当時、「ゲーム批評」という雑誌で観た記憶がある。
そう、「格ゲー」ではなく「ストⅡ」というジャンルだと。
まぁ完全に同意。

ストⅡというゲームが出現した時、あまりの大胆さ、
きめ細かい斬新なゲームデザインに誰もが圧倒されたハズだ。
しかしこれは全てが偶然の産物じゃなく、人為的に作られた物だ。
この現実を、後追い競合を仕掛けた各企業は理解していただろうか?

ヒットバックやヒットストップは多分イーアルカンフーの系譜だが、
独自のカメラワークやガードバックはカプコンのセンスだろう。
またその多くの部分が西谷氏の調整力、アイディアの気がする。

その根拠は後発作品のストⅢやバトルサーキットの感触、
視点移動の感覚に違和感があったからだ。
それまでのベルスクも格ゲーも感触が安定していたのに、それが消えた。
おそらくちょうどあの辺で西谷氏は抜けたのではと。
スクロールや打撃感に矜持を感じなくなり、同時にやりにくくなった。
またブロッキングというシステムは人の生理に反していて違和感がある。
そう、デイフェンシブな場面でオフェンシブな入力という違和感。
人間工学が無い、宮本さん、任天堂なら却下する仕様だろう。

自論だが、しっくりこない物はビデオゲームの本質から外れると思う。
プレイヤーが無理をして遊ぶ動機づけを作らなければならなくなり、
その行きつく先は「遊び」から徐々に苦痛を伴った「作業」に近づくと。
極論で言えばレバーを右に入れたら左に移動する様な感覚だ。
当然マーブルマッドネスをレバーで遊べばきっと面白くないだろうし、
そういったゲームを無理に有難がる理由も無いと。
この辺は自分がドルアーガの塔を名作と言い切れない理由に似てる。
二次要素、口コミ前提の攻略は作品単品というよりイベントに近いと。
・・また話がずれたと。

ストⅡのキャラ同士の押し合いという質感表現はマリオブラザースの系譜、
のけぞり等のガード不能状態、技の割り込み連携は前例を知らない。
この辺の質感表現はもう物理演算が取って代わり、希少性が無くなったが、
とにかく、ストⅡは様々な応用と独自のアイディアに満ちた作品だった。
また、ビジュアルもキャラ造形をあそこまで押し出せる構図も凄い。
キャラ造形が商売になる、フィギュアにも漫画にも派生する。
当時、前作に居なかった女性キャラがやたらと注目を浴びた。
しかし、そのせいでゲームジャンルはシステムからビジュアルへと
比重が移動していく事になったと思う。

問題は「これ」だ。

SNKを筆頭とする後追い各社はストⅡのシステムをほとんど模倣し、
キャラを挿げ替えただけの作品を乱発した。
これらは事実上、開発の9割をカプコンにやらせたに等しいと思う。
オリジナルであるストⅡの1割の労力で乱作されたと。
つまり、これ等は「格ゲー」ではなく「ストⅡ」というジャンルだと。
これを他社のブランドで出すのは変だと。
当時のゲーム批評が言いたかったのはこれだろう。
後追い各社は利益の9割が仕事の対価ではなく丸儲けという事になる。
ゲームは作らず、キャラクターだけ作った様に見える。

なんかこれ、ユーザーもメーカーも当たり前だと思うなら気が狂ってる。
最低でも罪悪感が無かったら、もうそれは開発じゃなくただの工場だ。
ゲームクリエーターではなく、分業のルーチンワーカー。
それをゲーム企業と言えるのだろうか?
単なるキャラクタービジネスの様に思えて仕方がない。

同様の事がゼビウスの時も起こった気がする。
縦シューというジャンルを口実に、アイディアの無い工場化した。
同じモノの焼き直しを繰り返す、音とグラフィックを挿げ変えるだけ。
そこには何もトキメク要素はない、発見、イレギュラーが無い。
進化の分岐、上振れが発生しないのだ。
既に知ってるスイッチをいくら押しても感動が無いと。

しかしこれを受け入れたプレイヤーが多いという事。
そのおかげで、対戦という新しい需要が開拓されたのにも関わらず、
同じ漁場、同じ畑を皆がこぞって荒らすハメになった。
ホロシアム、バーチャ、バーチャロンなんかは派生する独自の路線を
模索する気概を見せたが、多くの企業はまるで派生させなかった。
同じ位置にとどまり、ずっと他人のパイを奪う事に専念した。
そこには何のヴィジョンも無い、金が欲しいだけだろと。

これ、当時のカプコン開発陣はどう思っただろうか?
自分だったら怒るだろう。
せっかく手本を示したのに、どこも発奮せず、チャレンジしないのだ。
そう、完全なライバル不在、張り合いも無く不快だろう。
あれで作る側なら儲かればもうかるほど「恥」だと感じる気がする。
罪の意識に耐えられなくなる。
なにしろ泥棒、他人の成果を奪って喜ぶのだ。
心が荒まないのだろうか? 不安と虚無を感じてしまうのだ。
価値を生み出す対価とただ金を儲ける事、一体どちらがプロなのか?

なのでゲーム部分に関して言えば、カプコンと後追い各社の評価は逆だ。
まるで月とスッポン、以降のSNKはゲームは作っていないと思う。
まるでゲーム開発を諦めたかのようだ。

ただキャラクタービジネスはそれと分離すべきなのかもしれない。
当時、不知火舞のあざとさはみっともなく感じたが、
テリーやギースはキャラ表現が面白い気がした。
またギャラクシーファイトの絵師さんは、カプコンに匹敵するセンス。
名前は知らないが、アルバートオデッセイと同じ絵師さんだろうか?
目隠れというアイコンを表舞台に出し、古典SFへの回帰、
この辺のセンスはロックマンで感じた特別なモノと同種だ。
何故このスペシャルなクリエイターに陽があたらなかったのだろう?
例の愚者による突き上げブロックか、受け手のセンスが遅れていたか。
まぁその両方かもしれない。

多くのコミュニティは大体が有能な人ほど政治をせず、目立たない。
声の大きいのは頭が悪く領分違いの連中と決まってる。
マウントで作った下位を保険にしがみついてる。
彼等はパクリにもトレスにも抵抗が無く、オリジナルと詐欺の区別が無い。
イレギュラーを認めず、前例しか理解できず、思考力も皆無だ。
彼等は物理的アピールでイレギュラーを突き上げと感じ、
叩き潰して地位を守り抜く、全体の生産力を下げてでも立場を確保する。
ひたすら誰かをデコイ、保険にして安全に生きる。
もう、家庭から学校から仕事から何から何までそうなってる。
マトモな人だけ割を食うカルトに日本中が染まってるのは間違いない。

ただ、きっと当時のカプコンは違ったのだろう。
ひょっとしたら、他社とカプコン黄金期の違いはそれだけかもしれない。
愚者による突き上げブロックの有無という、ただ一点だけの差なのかも。
それ故にイメージが豊潤で、アイディアまでもがカラフルだった。
みんながクリエイターだったのだろう。

しかし現在ではただもう、ナムコ黄金期同様に特別な物は感じない。
自分が食傷で、他人の作為ばかりが鼻に付くだけだろうか?
まぁ異様に飽きっぽいからきっとそうだろう。

当時の作家さん達も、みんなクサってるのかな? 「つまんねぇや」と。
版権や映像分野と境界が無くなれば、ゲーム特有のイレギュラーは無い。
競合ビジネスは後発程にクオリティは上がるだろうが、幅が無い。
垂直思考で例によって全員が同じレースを繰り返す。
水平思考、回り道、寄り道からしか分岐は無い。

かつてのカプコンDNAはまだヴァニラウェアに残ってる気がする。
そしてあの火を絶やすべきじゃ無いと思うのだ。

そういう話。



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