エンタメ論・メロディとは上級言語


大体そう、というか言語にかなり近い物だと思われる。

人間の脳が知識寄りになっている為、多分成長過程で切り捨てるだけ。
おそらくはメロディというモノもちゃんと言語として扱える気がする。
これはもう相当な部分を一から新しく定義せざるを得なくなるだろうし、
楽譜からメロディを脳内再現できる基礎からの訓練が必須となり、
如何に言語化したとしても、大前提として「音痴」はこれを理解出来ない。

その為にこれを言語として定義する「側」に、相当な能力が必要となる。
とっとと基礎が出来上がったジャンルと違い、最初のハードルが高いと。
一般常識に慣らされた中にはこんな理屈はピンとこない人も出るだろう。
これまでの様な勉強をどんなに頑張っても習得できないかもしれない。

しかし、このメロディという言語が文法として使いこなせれば、
国境の壁は無くなり、他人の情緒に直接語りかける会話ができると。
この研究を突き詰めれば、これまでにない文化が発生する。
・・と、ちょっと考えた、まぁいつもの雑感ですが。

何を言ってるのかと思われるかもしれないが、思い返してみればいい。
物心つき始めの二、三歳の子供が特定のメロディに同様の反応を示すのだ。
これメロディを人種を超えた共通のニュアンスと受け止めるマップが、
人間の構造の中にあらかじめ初期能力として備わっているという事。
おそらくこれで腑に落ちるハズだ。

言葉を覚える以前から、既にメロディという言語は習得している事になる。
何らかの必然として、ある意味役に立たなそうな機能がDNAに存在すると。
犬の遠吠えで寂寥感をくすぐる様なスイッチが人にはたくさんある。
メロディの原理を解析するのだ。
これを文法的に使いこなせれば、いずれそれはある種の魔法となる。

エンタメ論、感情装置の原理を四六時中考えてる人なら理解できるはずだ。
どうすればよりターゲットの心理を効果的に揺さぶれるかという事。
ホラー映画でいかに恐怖心を煽るかとか、ある程度のパターンが存在する。
その時には音色同様にメロディというギミックが効果を発揮するはずだ。

まぁ悪用も可能だろうし、言語同様、真逆の心情を演じる事も可能だろう。
ウソの共感を誘導する事も出来るし、これはすでに多用されている。
フェイク情報と併用すれば、本来あり得ない義憤や同情心を誘導できる。
論理的には間違いと思える情報であっても、心情的に信じ込ませられると。
メロディと合わせれば、悪人を善人に、善人を悪人に見せる事も可能だ。

ガーシーの某作曲家に金を出して作らせた曲が気に入らないと言う動画。
これを観た時に、彼が軸足を置いた音楽というモノは自分に近い気がした。
演奏技術云々じゃなく、音楽に対するニュアンスがもっと本能ベース、
後付けじゃなく原始的な部分に比重があると。
某作曲家に対する他の音楽関係者の援護はある意味高度な話だろうが、
ガーシーが求める音楽とはおそらくそういうもんじゃないのだろう。
感情の起伏を生み出さないなら、技術がどうあれ関係ないという意味か。
これは技術と才能を両立出来ないと難しいし、多分それが本物なのだろう。
多くの有名作曲家でも、数合わせのどうにもならない曲は多いし、
それで水増しするのが商業主義というモノ、頼む相手を間違えたんだろう。
つまりガーシーは無名作曲家のとっておきに300万支払えばよかった。

そういや文章でやたらと小難しい、もったいぶった装飾が多い物があるが、
いくら飾ってもそれが読みにくいなら本質的な目的からは逃げてるよね?

それはそれとして、メロディの体系化というモノは存在してしかるべきだ。
これは新しいジャンルとして開拓の余地がある。
自分は楽器を無理に覚えると暗記学習に繋がるのが怖いので無理です。
よほどやる気が無いとやれない性分になってしまった。

と、まとまりが無いですが、共感していただければ何かの役に立つかも?
まだモチベのある人にお任せしますので勝手に引用して下さい。

おしまい。

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