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念ずれば花開く/仏教、写真

病院である実験をした話を

聞いたことがあります。


まず

ガン患者をAとBに分けて


Aの人達の事を必ず1日のうち

心配したり考えたりしてあげる


Bの人達には何も思わず何もしない


そうするとガン患者の症状がどうなっていくか

実験です。


そして検査結果を見ると

Bの人達よりAの人達のガンの症状が

良くなっているという実験結果が出たのです。

この実験は何度やっても同じ結果が

出たと言います。



この実験によって目に見えぬ祈りや

人を思う心が他に様々な結果を及ぼす事が

実証されました。





他にもこんな話があります。

米を瓶に入れて先ほど同じ様に


AとBに分け

Aには声をかけて有難うと感謝をし

Bは放って起きます。


するとBはカビが生え腐り

Aは発酵したというのです。




米は動く事も話す事も出来ません、

ですが心はあるのです

目に見えぬ思いを米は感じ取り

発酵という結果を生んだのです。


仏教では念という言葉がありますが

念とは今の心と書きます。

この今この瞬間に誰かを思う心が必ず

人や他の命に何かしらの形で

伝わるという事です。


この実験によって生きとし生けるものに

心が必ずあり念というものが存在すると

証明がされたと思います。


念じている人を見て

なんの意味もない、そんな事をしてるなら

苦しんでいる人に物資や金でも送れとか

そんな方もいますが

確かにそれも大切なことです。


ですが

目に見えぬ心というものが

物凄い力を発揮するのです。


ウクライナの戦争の時に千羽鶴を送った人を

避難している方がいましたが

この千羽鶴の中に相手を思う

心が宿してあるのです。


一羽、一羽、真心で折った鶴は

悲しみに暮れた心を癒やし

温かい心を取り戻してくれるものだったと
思います。



生きていく為にはお金も家も服も

食べ物も必要です。

ですが物質的に満たしたことでこの世は今 

幸せでしょうか?平和でしょうか?


満たしても満たしてもまだまだ足りない

こうして欲しい、ああして欲しいと

不足ばかりいって

不平不満を垂れているのが今の社会ではない

でしょうか。


物質的ものは生きているから必要なだけで

そこまで一番重要ではないと思います。

望んだものがなくとも今頂いているものに

感謝をし人や周りの命に分け与え

調和する心こそ

幸せの原型 根源であります。


それを仏教では慈悲 又は仏性と呼ぶのです。



思いは必ず形になり相手に伝わります。


その繰り返しこそ

世界平和という理想が実現していくと思います。


當に

念ずれば花開く、行ずれば実は熟れる

の言葉通りではないでしょうか。












































 



 


















































































































































 










 

















 



































 










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