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漫画みたいな毎日。「探しに行くよ、内なる花を。2」

旅の記録1はこちら。

今回の旅の一番の目的は、長男が興味を持った高校のオープンスクールに参加すること。

本来は中学3年生が参加対象だが、遠方に住む我が家の状況を考慮していだたき、参加を快諾していただいた。その対応も柔軟な印象を受け、どんな学校環境なのだろう?と益々興味を持った。

神奈川に住んでいる姉の家に宿泊させてもらい、そこから長男のオープンスクールに参加することになった。しかし、神奈川からでも、高校の位置するところは距離があり、車でも4時間かかる。電車でもアクセスが然程良くないので、同じくらいかかる。当初は、二男と末娘も一緒に移動する予定だったので、移動の交通費を考え、レンタカーを借りることにした。

しかし、ここで問題が。

夫は仕事を終えてからしか合流できないので、オープンスクールの当日の朝に、高校に向かう途中の道程で夫を拾うというプランを夫が計画していた。

道の狭い首都圏で車を運転するのか?!
高速にも乗り、首都高を行く?!
しかも、乗り慣れない車で!!!!

私は観念した。

やるしかないのだから!

やるか、やらないか、で言ったら、やるしかないのだ。

こうやって、子どもたちに関わることで、今まで何度腹を括ってきただだろう。そして、その度に自分のできることが少しづつ増え、グイグイと許容範囲を広げられて来た気がする。

ありがたきかな。

土曜のオープンスクールの前日20時にレンタカーを借りに行く。
車種はTOYOTAのヤリス。
アクセルの踏み込み具合がいつも乗っている車と違うので戸惑う。
本当にこれで高速に乗るのか・・・大丈夫か?と自分を心配する気持ちをなんとか落ち着けつつ、レンタカーで姉の家まで戻る。姉の家は、私たち家族も長男が2歳まで住んでいた場所と近いので、土地勘があるのは、救いだったが、この土地を訪れるのも8年以上ぶりなので、道順を思い出すまでに時間がかかった。

本州は、北海道とは違って道路の幅が狭い。いや、北海道が広すぎるのかもしれない。私は、北海道で免許を取った時に、教官に言われた言葉を思い出していた。

「北海道は道路が広いからいつまでも運転が上手くならないんですよ!」

教官は何故か北海道を嫌悪する奈良県出身の方だった。

「確かにねぇ・・・。」

教官の言葉もまんざら嘘でもないかもと思いながら、慎重に運転する。北海道よりは格段に狭い道路、この地域は関東でも特に道路が狭いのではないかと思っている。路線バスがすれ違う時には、スピードを落とし、お互いに譲り合いながら、ゆっくりとすれ違うのだ。いつかぶつかるのでは?!と毎回ハラハラするが、そこは運転のプロたち。ぶつかったり、事故になっているのを見たことはない。

無事に姉の家まで辿り着き、明日の算段を考える。

神奈川から目的の高校までは車でも4時間。高速を使っての所要時間だ。
9時半までに到着しなければならず、遅くても5時に家を出なくてはならない。二男と末娘も一緒に行く予定だったので、さて、どう動こうかと考えていたところ、二男のこんな発言が。

「明日、留守番してる。」

え?

そして続いて、末娘が、

「本当はお家に居たいなぁ。」

ええええ?

姉と義兄は仕事、姪はバイトである。
誰も居ない家に子どもたちを置いてはいけない。

「一緒に留守番してるよ。」

現在、通学の為、私の実家に間借りしている甥が、私たちに会うために戻ってきてくれていたのだが、そう申し出てくれた。

二男はすっかり甥に懐いていて、一緒に楽しくお風呂に入って語らったりしている。しかし、人見知り気味の末娘は大丈夫だろうか?と思い、末娘に再度確認する。「甥と二男と三人でお留守番だよ?お母さんも長男も朝早くから夜まで居ないけど、大丈夫?」と伝えると、「うん、お留守番してる。楽しくやれるから大丈夫だよ。」というではないか。まぁ、そういうなら、それでやってみたらいいか、と甥に二人との留守番をお願いすることにした。

朝5時の出発なので、キッチンを借り、夜のうちに車の中で食べるおむすびを作らせてもらい、準備する。明日起きられるだろうか、高速の運転は大丈夫だろうか、心配は尽きないが、やるしかないので、ここで考えるのを止める。そもそも、心配は心配しか生まないということを、散々経験してきているではないか。

早く寝ようと思っていたが、現在自分の進路について迷っている甥と話し込み、気がついたら時計は3時半を回っていた。今、眠ったら起きられる自信がない。このまま起きている方が安全だろう。夫と合流したら運転を交代してもらって、高校に着くまでの2時間くらいを眠らせてもらおう・・・私は眠ること無く、出発の準備を始めた。

日常では着ることがない長男の制服、おむすび、飲み物・・・あとは無事に現地まで行けばいい。出発の30分前に長男を起こし、他の家族を起こさないように静かに家を出た。

慣れない場所への移動で、頼れるのはナビだけ。どうぞよろしく、という気持ちで行き先を入力する。ETCカードの準備もOKだ。

まだ明けない空の中を出発する。

私たちが住んでいた12年前にはまだなかった道路がいくつか開通している。高速道路の入口へは森のような道を抜けていく道路も何度か夫の運転で通った記憶がある程度だ。ナビを頼りに道を進む。

やっと高速に乗った!と思ったら・・・なんと反対方向へ進んでいた。

なんで?こっちじゃないのに?!戻れるの?一回降りて乗り直すの?と焦っていたが、そこは無料道路で、無事にUターンに成功した。

わぁ!間違えかも!
戻るしか無いよね?!
え~っと、どうしようかな・・・
なんとかなる!なんとかしよう!

やや気が動転し、独り言のように呟く私に、助手席の長男が冷静にナビを見つめて、「戻れてるんじゃない?大丈夫でしょ。」と言ってくれ、私は気を取り直し、車を走らせる。トラブルが起きた時、冷静に対応してくれる存在ほど頼もしいものはないかもしれない。「あなたが隣に居てくれてよかったよ~!お母さん、頑張れるよ~!」と伝えながら、初っ端からコレか!と自分でも呆れつつ、リカバリー力が大事!と自分に言い聞かせ運転を続ける。

1時間程、するとものすごく手が痛くなっていた。どれだけ力をいれてハンドルを握っていたのだろう。

「手が痛いから、ちょっとトイレ休憩してもいい?」

最寄りのサービスエリアに入り、やっとハンドルから手を離すことができた。

「手が痛いって、お母さん、どんだけ緊張してたの?お疲れ様。自分の為にありがとうね。」

淡々としているツンデレ長男のありがとうに元気をもらう。

何にしても、東京の高速道路のわかりづらさよ!東京に住んで居た頃は、免許を持っていかなったこともあるが、高速に乗る必要がなかった。電車とバスに乗りさえすれば、行きたい場所にスムーズにいけるのだから。たまに乗ることがあっても、運転には関係ない座席に位置し、楽々だったなぁ・・・と思い出す。

首都高の分岐がややこしいと思っているのは私だけだろうか。
迷わない分岐の示し方はないのだろうか。

夫との待ち合わせ場所に着いたときには、寝不足と緊張の中、「頑張ったぜ!
自分!」と褒め称えつつ、運転を交代してもらい、後部座席で深い眠りに就いた。

1時間ほどして、深い眠りから覚めると、窓の外の景色が緩やかにしか動いていないことに違和感を覚える。フロントガラスから前方を眺めると、車がびっしりと列をなしていた。

行楽シーズンの渋滞にはまってしまったのだ。表示は渋滞10キロ。目的地まではまだ相当の距離を残していた。オープンスクールの開始は9時半。時間は既に8時半を回っている。どう考えても開始時間には間に合わない。

高速の行き先を間違える、渋滞にはまるで、なんともスムーズにいかない。どうにもならない渋滞10キロ。焦っても仕方ないのに、気持ちばかり焦る。

オープンスクールに参加する為に本州に来たのに、もし参加できないとしたら、行く意味はあるのか?ここから引き返した方が、時間も無駄にならないのでは?とぐるぐると頭の中でぐるぐる考えていたが、「学校に電話してくれる?」という夫の声で我に返り、慌てて学校に電話を入れたのだった。



タイトルは、藤井風くんの「花」から。
今回の旅で、この曲が私の中に深く入り込んで来ました。
この曲に何度も心を救われた気がします。
聴けば聴くほど、風くんの音楽の素晴らしさに感心するばかりです。

旅の記録は、続きます。
少し長くなってしまうかもしれません。
お付き合いいただければ、嬉しいです。


ヘッダーはみんなのフォトギャラリー・TakeKurokiさんの写真をお借りしました♪ありがとうございます♪



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