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学校に行かないという選択。「僕はきっと旅に出る。」

今の長男と同じ、小学校6年生の時、私は、ハワイに行きそびれた。

当時、昭和がまもなく終わりを告げようとしていることなど知るはずもなく、まだまだあたりまえのように、その時代が続くと誰もが思っていた。

私の父は、熱狂的な巨人ファンで、地域のソフトボールチームの監督をしており、父と私は同じ左利きだった。

「スポーツで左利きは有利だ!」と、小学校1年生から少女ソフトボールチームに半ば無理やり加入させられた。そして、いやいやながら、なんだかんだと練習し、朝練や放課後の練習にまで参加させられ、時には父との謎の特別練習があった。

父の頭の中には、「巨人の星」の歌が流れていたのだろうか・・・思い込んだら試練の道を・・・いや、父にも、私に、そんなド根性はなかった。お互い適度にやっていたと記憶している。「根性」や「努力」と書かれた小さな下駄の飾り物が、実家に飾られているのを見るたびに、昭和ってそんな時代だったかも、と思うのだった。

しかし、「なんちゃって巨人の星」練習の甲斐あってか、私が5年生になる頃には、私の所属していたチームは東京都の大会で3位になり、翌年、6年生でも2年連続3位という結果となった。実家には銅メダルがふたつと、優秀選手賞の盾があった。

その結果を受け、「ハワイに短期でソフトボール留学に行かないか」という話をいただいたのだ。夏休みだけの短期留学で、ホームステイし、ハワイのソフトボールチームと練習したり、試合をして交流しよう、という企画だったと記憶している。

30年以上前は、今のように海外旅行が身近な時代ではなかった。「ハワイって英語でしょ?!」「どんな土地だろう?」と、私はワクワクした。私の親は乗り気で、「こんな機会はないから、行ってきたらいい」と、おそらく旅行代金も安くはなかったと思うが、快諾していた。私の幼なじみも、「お母さんが、めったにないことだから、いっておいでっていってる!」と二人で喜んだ記憶がある。私の心は、既に、ハワイ。6歳離れた高校生の姉の部屋から、こっそり英会話の本を持ち出して眺めた。

しかし、私がハワイに行くことはなかった。チームの他の家庭はハワイ行きに反対したのだった。その企画は、無かったものとなってしまった。


なぜ、そのことを思い出したかというと、近々、長男が一人旅に出ることになったからだ。

行き先は、海外ではなく、沖縄。

北海道から沖縄。海から海を超えていくのだから、まぁ、海外のようなものである。本州生まれの私としては、北海道も沖縄も、海外の空気を感じる場だ。

そもそも、初めは、沖縄にいくはずではなかった。

お世話になったアートスタジオのお知らせで、3月3日の夜に狩猟登山家の方と写真家の方が、トークイベントを行うというものを見つけた。開催時間が19~21時と遅く、大人向けのイベントだろうかと思いつつ、内容を伝えると、アーティストたちの活動は、長男の興味を惹いたようだった。

「面白そうだなぁ。行ってみようかなぁ。」と言うので、「その日は、お父さんは、遠方出張治療の日だから、、行きに送れないんだよね。帰りは迎えにいけるけど、行きは自分でバスと地下鉄と歩きで行けるんなら、行ったらいいんじゃない?」と私は彼に伝えた。

念の為、イベントの主催団体にも確認の電話をした。夜のイベントに小学生が大人の付き添いもなくやってきたら、心配してしまうと思ったからだ。

一人で参加すること、帰りは迎えに行くことを伝えると、「子ども向けではありませんが、本人が参加したいというのであれば、是非どうぞ!」快いお返事をいただいた。

息子には、スマホやキッズ携帯なるものもを持たせていない。本人も「必要ない」というし、私も、今のところ必要性を感じていない。困ったら周りに聞いたり、電話を探したりすることができるはずだから。

「あの、そちらに公衆電話ってありますか?」と尋ねると、「公衆電話はないので、事務所の電話を使っていいですよ。」と言ってくださった。それを受け、「念の為、行きに無事到着したことだけ、連絡してね。」と長男に伝えた。「そんなに心配?」とやや不満そうにしていたが、時間帯も遅いし、まぁ、念の為ね、と返した。

この日、長男がバスと地下鉄を乗り継ぐのは初めてだったが、乗り継ぎの仕方と、乗り越し精算することを説明し、駅から会場までの地図を渡し、送り出した。

イベント参加を決める前、長男が、「ひな祭りだし、どうしようかな~」と一瞬参加を渋ったが、よく聞いてみると、「自分だけ、ひな祭りの五目寿司などを食べられないのは寂しい」というので、弁当に詰めるかと聞くと、「持っていくのは重たいし、一人で食べるのは寂しいじゃん!」と言う。ふ~ん、と思い、彼が出かける前に食べられる様に、食事の時間を早め、問題は解決した。

「ひな祭りは、来年もお祝いすると思うけど、トークイベントは次は無いかもしれないよ~。」そう長男に話しながら、五目寿司とはまぐりのお吸い物、末娘の好きな肉料理をテーブルに並べた。

たらふくになるまで五目寿司を食べた長男は、ご機嫌で夜の街に出掛けていった。

トークイベントの始まる5分程前になり、電話が鳴った。長男からだ。「着いたよ。じゃあね。」あっさりしたものである。まぁ、そんなものだろう。

しばらくすると、夫が帰宅し、「お風呂入って、ご飯食べたら、迎えにいってくるよ。」と終了時刻に間に合うようにと、支度をしてくれた。

長男と夫は、イベントが終わったら、出入口で待ち合わせということになっていた。しかし、21時を過ぎても、〈長男が出てこないよ〉と夫からメールが来た。そして、21時半を過ぎても、〈出てこない・・・長引いているのかな。〉と。結局、長男が出てきたのは、22時を過ぎていたそうだ。

私が、二男と末娘を寝かしつけながら、うとうとしてしまい、トイレに行こうとリビングに行くと、帰宅し、お風呂から上がった長男がいた。

「面白かったよ~!鹿汁、ごちそうになった!」と、満足そうな顔をしている。狩猟をしながら登山をするので、食材は、自分で捕れた物だけを口にして登山をする。その様子を写真家の方が同行し、撮影してるのだそうだ。

服部 文祥+石川 竜一Hattori Bunsho+Ishikawa Ryuichi
必要最小限の装備で、狩猟や釣りなどで食料を調達しながら旅をするサバイバル登山家の服部文祥は、写真家の石川竜一とともに2015年から二人で登山を行う。その体験を服部は書籍『獲物山』と『獲物山II』(2016、2019年)、石川は展覧会「CAMP」(2016年)や写真集『いのちのうちがわ』(2021年)で発表。「あいち2022」では再びタッグを組み、2021年に北海道南西部で臨んだサバイバル登山をもとに新作を制作。

STILL ALIVE 国際芸術祭あいち2022より

長男は、勢いよくイベントでの面白かった話などをしながら、パンフレットをふたつ差し出した。

そして、言った。

「愛知と大分に行きたい。」

・・・はい?
・・・今なんと?

続く。


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