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漫画みたいな毎日。「清々しい場所へ。」

「広々してて、清々しい場所に行きたい。」

長男がつぶやいた。そもそも、清々しいとは?

清々しい(すがすがしい)とは、心地よい気持ち爽やかな感じを表す形容詞である。この言葉は、主に気候風景、人の態度や行に対して用いられる例えば、春の新緑や秋の澄んだ空気透明感のあるなどを「清々しい」と表現することがあるまた、人が素直で誠実な態度示したり、困難を乗り越えて達成感感じたりするときにも「清々しい」と形容されることがある。この言葉は、感じた人の心情直接的に表現するため、文学作品日常会話などで広く使われている。

weblio辞書より


長男が、リクエストしてきたのは札幌の東にある「モエレ沼公園」。モエレ沼公園は彫刻家のイサム・ノグチが基本設計を手掛けた公園だ。

HIDAMARIという名称のガラスのピラミッドがあったり、モエレ山という展望の良い山、プレイマウンテンというピラミッドを想像することができる石段が積まれ、草が生えいてる山などがある。夏は噴水が出ていたり、モエレビーチと呼ばれる水遊びできる場所もある。

とにかく綺麗に芝が整備されていて、広々している。昨日の様に天気の良い日は、「清々しい」という言葉がしっくりくる場所だ。

子どもたちは、時々、モエレ沼公園に行きたいと言うことがある。我が家からは1時間弱なので、特別に近い公園というわけではないが、そのリクエストに応じて時々足を運ぶ。

私もモエレ沼公園が好きだ。

固定遊具などが特にあるわけではない公園。

ただ広い、そして、公園の色々な場所にイサム・ノグチの匂いを感じる。
面白い場所だと思う。

我が家の子どもたちは、固定遊具のある公園では飽きてしまうことが多い。
工夫しだいで遊び方は様々であるけれど、意識しない部分で制限がかかっているのかもしれない。

滑り台は滑り台として。ブランコはブランコとして。

それが善いとか悪とかの話ではなく、なんだかわからないもの、というのは、そういう制限が少ない気がしている。

なんだかわからないから、何にでも見立てることができる。

椅子かもしれないし、テーブルかもしれない。もしかしたら、どちらもでないかもしれない。

子どもたちは、広い芝生を駆け抜けるだけでも、心地よく感じ、山の上から転がり降りることを楽しむ。

私も子どもの頃にはそんな遊びをしたことを思い出す。芝が洋服の中に入ってチクチクして嫌なのに、何度も山を登っては転がり降りる。まっすぐに降りようとしても、転がっているうちに曲がってしまい、自分が降りようとした場所とかけ離れた場所に降りている。何度も転がって最後には目が回るのだけれど、その浮遊感を味わうのも楽しかったのだ。

末娘も転がってはどんどん斜めに移動し、「あれ?まっすぐだったのに?」と首をかしげては何度も転がって遊ぶ。長男と二男は木立の中を駆け抜け、山を走って登り、とにかくひらすた動いている。息を切らせつつも、少し休憩すると直ぐに息が整うのだから、若いって素晴らしい。

ピラミッド型の山頂からの下り道。二男が嬉しそうに手摺を滑り台にして滑り始めた。

「ひゃっほい~!楽し~!」
「歩くより速いよ!」

とても楽しそうな二男である。身軽な彼ならでは。手摺ってこんな使い方もあるんだね・・・?階段を登っては滑り降りを繰り返し、なんだかんだ運動量がスゴイ。

山の頂上から降りていくと、「鳶がいるよ!」と子どもたち。風が吹いている山の斜面で一羽の鳶が風に乗って飛んでいる。そして風に乗りつつ、時々草の中に何か獲物でもいるかのようにサッと地面を撫でてはまた飛び上がる。

「ネズミでも居るのかな?」と長男が言うので、皆で目を凝らして草むらを見るが、鳶が何かを捕らえている様子も見られない。

鳶は繰り返し繰り返し、風に乗って舞い上がり旋回しては、草むらにサッと一瞬舞い降りるという動作を繰り返す。

その場でしばらく鳶の優雅な動きを観察する。

悠々としていて、格好良い。でも、傍から見たらそうであるだけで、実は必死に風に乗っているのかもしれない。

必死だけど、そうは見えないのだとしたら、そんな生き方は格好良いなとちょっと憧れる。泥臭いのも良いけれど、必死ささえも表に出ない人にちょっと憧れる部分が自分の中にある。

「私、頑張ってます!」という人間のアピールが苦手だからだろう。誰の為に頑張るのか。自分の為であったり、それが知らないうちに誰かの役にたっていることがあったとしても、初めから「誰かの為に」と動くことができない私には、「私、やってます!」「頑張ってます!」という自己承認欲求と言われるようなアピールを重たく感じてしまう。この欲求に終わりはあるのだろうか。

他者の為に動けることは素敵なことで、素晴らしい。
それが自己犠牲でもなく、自己承認欲求でもなく、「自分のこと」「自分のやりたいこと」として在るなら。

鳶の舞は誰の為でもなく、自分を格好良く見せる為でもない。
ただ、本能としての動きと存在感が美しいのだろう。

「サインしてもらいたいくらいカッコイイ。」

末娘が鳶を見上げながらつぶやいた。
サインって・・・母の隠れミーハーが遺伝しているのだろうか。


出掛ける前に、二男と末娘の着替えを用意しながら、「流石に長男はもうそこまで汚れることはないだろう。」と思っていた。
しかし、山を転がって降りた先がぬかるみで、下着まで泥々になったのは長男ただひとりだった。

母の読みが甘かった。

この日は、長男の英会話のレッスンがあり、レッスンに間に合う時間ギリギリまで遊ぶつもりで時間を予定していたので、自宅に着替えを取りに帰る時間がない。

「ユニクロ、寄れる?」

あまりにも汚れていて、車に乗るにもレジャーシートを自ら敷くくらいなので、相当に汚れているのだろう。普段であれば、「これくらい大丈夫だよ。」という長男なので、その汚れ度合いは相当だと判断し、帰り道に慌ててユニクロに寄る。英会話のレッスンはネイティブの方のご自宅なので、この様子で伺うのも流石に申し訳ない。「Kさんの家の椅子って木なの?」と念のため尋ねると、「布張り・・・」と長男。布張りであれば、尚更汚すわけにはいかない。

諦めてユニクロで長男の洋服を見繕う。既に160センチサイズのブルージーンズを新調したので、在庫は足りている。さらに同じジーンズもつまらない気がして、黒いジーンズと紺と赤のボーダーTシャツを選んだ。ボーダーTシャツは、レディースのMサイズにしたので、本人が気に入らないようなら、私が着ようという作戦だ。

次回からは、長男の着替えも用意しよう。

そう心に誓ってレジで会計を済ませた。


夕飯を家族で囲みながら、今日一日を様子を子どもたちが夫に話す。

「今度はお父さんも一緒に行こうよ。」としきりに誘う子どもたち。子どもたちは、自分の体験を好きな人と共有したいのだ。

「あのさ、ドッグランってあるじゃん?人間にもそういう場所、何も気にせずに走り回れる場所って必要だよね?スッキリするし。ドッグランじゃなくて、キッズラン?」と長男。

子どもたちには自然の中で走り回れる、広々として清々しい場所が必要だ。

理想的なのは、何処かに行かずとも、家を出たらすぐにそんな場所が目の前に広がっていること。山に近い場所で暮らす我が家でさえ、最近では、住宅の建設ラッシュで、空き地が少なくなっている。


雪が降る前に、清々しい場所にお弁当持って皆で行こう。

空に近い場所で息が切れるくらい走ろう。


滑り台と化した長い手すり。


「行くよ~!」


「イェ~イ!!!!ひゃっほ~い!!!」


着地。


鳶の旋回。カッコイイ。


モエレ山


ガラスのピラミッド


プレイマウンテンの山頂から。


モエレ山の山頂から。



まさかの泥々になった長男14歳。
モエレ山に登る階段。


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