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学校に行かないという選択。「幼稚園に行かない選択をした2年間。前編。」

ある朝、長男が、トランペットで新しい曲を練習し始めた。

その曲は、ジブリのアニメ「千と千尋の神隠し」の主題歌である「いつも何度でも」だった。理由は、「たまたま手元に楽譜があったから」とのこと。

「ねぇ、この曲ってどんな曲だったっけ?」と言うので、まずは原曲をYOUTUBEで聴くことに。

たまたま開いたものが、字幕付きで、曲が流れると共に私の目の前で流れていく歌詞に、突如として涙腺が崩壊した。

いつも何度でも

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数え切れないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ 

呼んでいる胸のどこか奥で
いつでも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっと歌おう
閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞き
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
はじまりの朝 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

千と千尋の神隠し・テーマソング「いつも何度でも」


長男が2歳の時、我が家は神奈川県から北海道へと移住を決めた。そのきっかけは、森の中にある家族で通うことができる幼稚園だった。

自然に囲まれた環境はもちろん、スタッフやそこに通うお母さんたちの子どもたちの育ちを見守る眼差しがあたたかいこの場を長男は選んだ。そして、多くの人に、ひとりの人として尊重され、すっかり偉そうに育った。

通い始めて2年後には二男を妊娠し、妊娠中も、産後も1ヶ月から通い続けた幼稚園。

二男は三人の中で最も長い時間、幼稚園の空気を吸って育った。長男の外遊びに付き合い、首の据わっていない二男に大雪の中で授乳したことも、今では笑い話だ。

自由を愛する彼は、ここで、自分の存在する理由を身体全部で感じているのだろう、と彼の楽しそうな姿を見ながら日々感じていた。あくまで、私がそう感じた、ということだが。

自由に幼稚園を謳歌していた二男が年長組となり、秋を過ぎた頃から、「幼稚園に今日は行かない」という日が増えた。

行くつもりでお弁当を作っても、「家でやりたいことがある」という日があったり、気分が乗らない様子のこともあった。幼稚園で嫌なことがあるということでは無いようだった。「彼は幼稚園を味わい切った。もう満たされたのだな。」とその時、私は思った。


卒園の前になると、父母が色々な出し物を企画する。そこでの主役は子どもではなく、父母である。父母の為の卒園式、といったところだろうか。

出し物は凝っており、演劇や歌、ダンスなど、見応えのあるものが披露される。様々な出し物が繰り広げられ、父母たちは、〈自分〉を発揮するのだった。「凄いなぁ・・・」とただそのパワフルさに感心していた。

しかし、その準備の為に、三学期に入ると、園の空気はわさわさし始め、親たちは、準備に力を入れる。子どもたちもそれに伴い、なんとなく落ち着きがなくなっていく。

「やりたい」と「やりたくない」があったとき、人は、「やりたい」をプラスのことだとして、優先させる傾向がある気がする。「やりたい」という気持ちは大事だ。しかし、私はいつも思うのだ。「やりたくないという気持ちも、やりたいと同じくらい大事だ。」と。

我が家の子どもたちは、イベントや準備期間のどことなく落ち着かない雰囲気を好まず、イベントの準備期間はそれを知らせずとも、何かを察したかの様に、園舎の中に入らず、ずっと外で過ごしそのまま帰宅することが多くなるのだった。

「いつもの幼稚園が好き。」

イベントがある度に、子どもたちから何度も聴いた言葉だ。私の影響もあるだろう。私は、日常を愛している。

特別なイベントも時にはスパイスとなる。

その一方でイベントでの達成感を味わった大人が、「もっと!もっと!」とさらなる達成感を求める姿も見てきた。そして、この欲求には終わりがないということも同時に感じていた。イベントの達成感がきっかけとはなっても、自分を本当に満たすことができるのは、イベントそのものではないのではないだろうかと思うようになった。

私を満たすものは、子どもたちと過ごす日常の中にこそある。

積み重ねた日常の中のスパイスが、イベントである。

父母主催の卒園イベントに向けて尽力していた父母から、「何かやらない?子どもだけでも、みんなで何かできないかな?」と声をかけられることも度々あった。

二男は、言い方はソフトだが、ハッキリしたもので、踊りが好きでも、それは、「自分が楽しいからやっている」ものであり、誰かの前に出て、踊り、称賛される為にやっているのではない、というのだ。「誰かを楽しませる為に」と思うのは、きっともう少し成長してからのことなのだろうな、と私は思った。

子どもがやらないと言っているものを、私がやらせることは出来ない。「やらない」も大事だと思うから。そして、誰かの中の「やりたくない」も大事にしたいから。

ひとりひとりが尊重される幼稚園。
子どもも、大人も。

私の中で優先すべきは、「子どもの気持ち」であり、「父母との輪」ではなかった。そして、「一見変わりないように見える日常」だった。お誘いは、やんわりと断り続けた。イベントが好きでない人」として、認知されると、それはそれでとても楽になった。

自分の在り方は、自分で決められる。


その後、さらに感染症が拡大し、二男の年長組の大きなイベントはことごとく延期、中止になった。かろうじて卒園式は行われたが、できるだけ短縮した形となった。

二男が卒園し、感染症拡大で緊急事態宣言も続く中、私の足は幼稚園から遠のいていた。順当に行けば、二男が卒園したら、末娘が年少の更に下のクラスから入園することが、今までの我が家の流れだったが、入園はしたものの、なかなか足が向かない。

というのも、末娘は、赤ちゃんの時から、ざわざわした環境があまり得意ではなかった。

人が多い場所や音が大きいイベントがあると、途端に眠ってしまい自分を閉じたり、歩けるようになると、私の手を引き、その場を離れようという意思表示をした。

二男が卒園した後、末娘は年々少組として席を置いていたが、ある日、「幼稚園に行かない」と宣言したのだった。

「幼稚園に、人がいっぱい居ないなら行く」という末娘。人の集まる平日を避け、休日の幼稚園を訪れて、砂場や園の周りで遊んで過ごす日もあった。

「また幼稚園に行きたい」という日が来るかもしれない、そう思ってのことだった。その為に、幼稚園という場との繋がりを、私たちの中で閉じてしまわない方がよい気がしていたからだ。


「環境」というのは、周囲の自然環境だけを指すのではなく、そこにいる「人」も大きな環境の要因だと思っている。


かつて、保育士として働いていた時、「自分が子どもたちの環境として、そぐわないと感じたらこの仕事を辞めよう」と思っていた。そして、そう感じた時にこの仕事から離れた。

組織も、環境も、「場」に大きな影響を与えるのは「人」だと思う。

「周りの大人が子どもの育ちを見守り、大人も子どももお互いの成長を共有する」という特色に大きな価値を感じ、私たちはこの幼稚園を選んだ。

そして、その価値は確固として揺るがず、色々な出来事が起こった上でも、ずっと失われることはないだろうと、私は信じていたのだと思う。

しかし、時が流れるということは、変化するということでもある。

そう私が理解するのは、もう少し先の話になるのだった。

続く。


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