結局、文学や芸術を学ぶことの意味の終着点とは。
私は大学時代に文学部に所属していた。
それも、英文科とか実際経験に役立つ語学の学科ではなくて、ザ⭐︎文学科の、現代日本文学と哲学が混ざったような、読書と執筆に特化した、ちょっと変わった学科だった。学科の異名は「〇〇大の精神病棟」。病棟にぶち込まれたわたしは、病棟ですら友達ができないどうしようもない大学生であったが、それはまた別の機会に語ることにしよう。
文学部、特に文学科に進んで、就活で文学を生かす仕事に就く人の人数は少ない。もっと正しい表現をすると、「就ける人は少ない」かもしれない。編集者の大量採用ってあまり聞いたことがないし、労働時間と給料の問題で、新卒の就活で他のジャンル会社の門戸を叩く人がほとんどだと思う。ライターは正社員未経験の募集は少ないし、実務的に文学部で役に立つことってあまりないよね、みたいな風潮はまだまだ抜けてくれない。
私からすれば数学だってそうなんだけど、理系の友達は院に行く人も多かったし、それなりに理系のレールの上で就活を進めていく人が多かったイメージ。前にも少し書いた内容と被るところがあるが、やっぱり国語ができる人より数学ができる人の方がなんかすごい!のは私たちは日本語に関してはみな基本的にはスペシャリストだから。突き詰めて知識面で問い詰めていったらちょっと変わってくるかもだけど、文章と芸術の定義は常に曖昧で、「このくらいの詩なら私でも書ける」と思った経験がなくはないんじゃないかと思う。
「ちょっと田舎の方に貴方がひとりで行かなくちゃいけない用があったとします。用事まで少し空いた時間を貴方はどうやって過ごしますか」
ーー私が大学生の時に、学芸員の資格を取るために受けていた、美術史の先生の言葉。
町の名誉のために地名は伏せるが、とりあえず街を散策するも、目新しいおしゃれなカフェも複合商業施設もない。そんな中彼女は、たまたま目についたその土地の郷土資料館で時間を潰すことにしたらしい。
ーー美術や文学がなくなっても、私たちは生きていけます。それを極めたからといって、成功できる者もごく一握りと言えるでしょう。それでも、わたしはその時、芸術を学んできてよかったと思った。50になっても、60になっても、郷土資料館で1時間の暇を潰せる人でいられるほうが、きっと人生がほんの少したのしい。
たくさん本を読んだ人の方が感受性が高いとか、人の気持ちがわかるとか。それって全部【本を読んでいる人】サイドの発言であることが多い。だからこそ、今まであんまりしっくりこなかった芸術や文学を学ぶことの意味。でも、先生の言葉にわたしはそのときとても納得させられた。
勉強をして、新しいことを「知る」ことが楽しいと語るひとがいるのと同様に「知っている」から楽しいこともたくさんあるのではないか。人気アニメのモチーフや聖地巡礼が毎度流行るのは、世界観や実際の背景を「知っている」方が、理解が深まってより作品を楽しめるからだろう。
生活の中に落とし込まれてこそ、教養としての文学や芸術は最も力を発揮する。額縁の中に飾ってある知識よりも、暇つぶしの糧、くらいが丁度いい。そんなものだと思う。もちろん、その贅沢な暇つぶしができるのは努力して勉強した人だけ、というところも合わせて忘れずにいたい。
少し話が逸れてしまうが、無趣味だった専業主婦の母が、『鬼滅の刃』にハマっている。母には趣味がない。テレビはワイドショーは観るが、これと言って好きなものはなくなんとなくテレビを流す、そんな感じだった。私自身はというと、実家にいたときに一応漫画もアニメも抑えていたけれど実はそんなにハマらなかった。最初、母が鬼滅の漫画を読み始めたと妹から聞いて驚いた。しかしもっと驚いたのは母は一度鬼滅に挫折していた。
「社会現象になってるっていうから家にあるしなんとなく読んでみたけど、家族死ぬし鬼怖いしわたしにはみんなが面白いと思えるものにあたしはついていけないのかな」
おばさんだからかな〜、とちょい拗ね気味の母に妹がアニメを勧めたところ、どハマりして一周回って漫画も読破したらしい(それでも、“炭治郎”と“でんじろう”がときどき混ざってしまうところは彼女のチャーミングなところだ)。鬼滅恐るべし。そうして、母と会う度にわたしはちょくちょく母の鬼滅トークを聞くことになった。
わたしと母の間に、共通言語が一つ増えた。
まあ要するに何が言いたいかというと、文学とか芸術も本来そういうものなのではないか。とある絵の名前を知っているとして、貴方はそれを知っている誰かと共通の言語で話すことができる。憧れのあの人を理解するのには、その人の愛読書を片手に休日を楽しむのが一番はやい。目には見えない言語のやりとり。知識を通じて、相手を理解する楽しさ。推し量ることは相手への期待と、思いやりが作り出す想像。そこにちょっとだけ添えられるきらきらとしたものが、文学や芸術の要素なのではないか。
文学や芸術への学びが意味をなさないならば、少しくぐもったこの気持ちを、わたしはどう消化すればいいのか、既にわからない。
人恋しい季節になってきましたね。
2020.11.14
suu
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