【#2000字のドラマ】誓いの言葉を言えなくたって
「ねえ聞いて。わたしさ、コウジと結婚するんだよね」
由美の左手の薬指にちらりと視線を落とす。指輪をつけてこなかったのは、わたしたちに気を遣ってなのか。
「ウッソまじで!?まあ学生時代から付き合ってたし、7年くらい?由美のとこ長いよね」
春香は長く伸ばした前髪をかき上げながら、キャッキャと嬉しそうにこの話題に食いついた。
“コウジ”は私たちが通っていた高校時代の同級生で、彼と同じクラスだったわたしは“コウジ”が“康二”であることをわたしはしっかりと覚えていた。水泳部に入っていた康二とマネージャーの由美は、当時から有名なお似合いカップルだった。
春香は側を通った店員さんにレモンサワーのおかわりを頼むと、準備万端、とこちらに向き直った。
「ね、プロポーズの言葉は?」
「ほら、そういうの、あいつ得意じゃないからさ。フツーだよ、フツー」
「なんでよ、教えてくれたっていいじゃん」
「やだー。恥ずかしいもん」
20代も中盤にさしかかると、わたしたちの日常に突如『結婚』とか『出産』という言葉が顔を見せるようになった。今日みたいな対面での友人関係だけでなくて、インスタとか、年賀状とか、風の噂とか、ぽこぽこと突如湧き出してきては、わたしの足に絡みついてくる。
「そういう春香はどーなのよ、マッチングアプリ、いい人いた?」
「いやそれが聞いて。マジであれ、意外とイケメンたくさんいるのよ、無料だし」
「それはアツい。わたしも結婚前に一回試してみよっかな」
「どうする?コウジとマッチしちゃったら」
「なんでそういう縁起でもないこと言うのよ、春香はもう〜」
「冗談だって。でも実際、同業の人とかと情報交換もできて、結構エンジョイしてる」
酔いも回って、由美と春香はとても気持ちよさそうにケタケタと笑った。
美人で愛嬌がある由美に、向上心が高く、学生時代から強気で努力家の春香。由美は結婚を控え、春香は仕事で成果を出している。いささか性格が悪いと自分で思いながらも、2人を見ていると、世間のイメージする「女性の2大進路」のテンプレートの具現化を見ている気分になることが時々あった。
「穂乃果もさあ〜、始めて見なよ、アプリ!とりあえずいまインストールだけしよ」
春香がレモンサワーを片手にこちらに身を乗り出す。肩でバッサリと切られた春香の黒髪から、ほんのりの甘いバニラの香りがした。
「わたしはいいって〜、そういうの向いてなさそうだし」
咄嗟にスマホをバッグにしまい、ヘラヘラと笑ったものの、春香はどこか不服そうだった。
「なんでよ〜楽しいのにぃ」
酔っ払いの相手もそこそこにしていると、バッグの中でヴヴッと聴き慣れたバイブの音がして、スマホの画面が光った。既に見慣れたマッチングアプリの通知だった。
【今ほのかさんの最寄りのそばで飲んでるんですけど、この後会えませんか?】
時計を見ると22時。この人ならやりとりも続いているし、会ってみてもいいかもしれない。
飲み会は予想通りすぐにお開きになった。コウジが駅まで迎えに来るそうなので、とりあえず帰る方面が同じ春香が、少し飲みすぎた由美に付き添っていた。
「穂乃果!今日はありがと!なんか進展あったら教えてよ〜アプリもいつでもレクチャーするから」
「うんありがとう〜!次会う時にはわたしも由美みたいに結婚報告だから」
「うっわそうやってわたしもだけおいてくんだ〜、でも穂乃果ってマジでありそうで怖いわー」
「ないから安心して。じゃあね、おやすみ」
おやすみー、と春香の声が夜の繁華街に響く。土曜の夜。社会から解放された大人の熱が、夢が、願望が、賑やかに街を彩る。わたしはアプリの男に逢うべく、道を引き返した。
神様、願いがもし一つだけ叶うならば。わたしは由美として、この世に生まれてきたかったです。
長いまつ毛に、ふんわりと揺れる髪、そしてなにより、彼女の愛らしい笑顔。全てわたしが持ち得ないものばかり。彼女が笑うと、クラスの空気は華やいだ。由美がいる場所だけ、いつもちょっとだけあたたかくて。もちろん嫉妬を向けるような生徒もいたけれど、暗いドロドロした感情まで飲み込んでしまうような、透き通る瞳から発せられる音のない声を、皆感じ取っていた。
春香でもいい。誰かに愛される才能が全てではない。自分で自分を満足させてあげられる才能、力が欲しい。いや、でもやっぱりーー。
その後なんとなく予定が合わない日々が続き、わたしたちの再会は、9ヶ月後の由美の結婚式だった。
「へえ。“コウジ”って“康二”なんだ。いや、クラスメイトだったとはいえ、これだけ年月経てば知らん人だわ」
新郎新婦の馴れ初めが書いてある小さなパンフレットを片手にネイビーブルーのスタイリッシュなパーティドレスを着込んだ春香と、指定のテーブルに進む。
「わたしは知ってたよ、康二ってどう書くか」
「うっそ!よく覚えてるね〜」
「人の名前とか誕生日とか、へんなとこ記憶力、良くて」
嘘。わたしが康二のことを覚えていたのはーー。
突然会場が真っ暗になって、スポットライトが入口を照らす。大きなアンティークの扉が開いて、新郎新婦が現れた。
由美の、恋人だからだよ。
由美の隣を、歩くその男が羨ましくて。由美と堂々と腕を組んで歩くその姿に嫉妬すら覚えて。寂しさ故の勘違いなのではとアプリで見知らぬ男に会ってみても、やっぱり、この感情は寂しさなんかではなくて。
花道を歩く由美と目があった。彼女の口角がゆっくりと上がって、スローモーションのように何かを形づくる。
ーーあ、り、が、と、う。
照明の強い光を受けて、彼女の笑顔の美しさだけがそこにあって、わたしはやっぱり、あの日も、昔も、今この瞬間も、何も言えなかった。
幸せに、なってね。
2021.07.30
すなくじら
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