変化の最中にいるとき

大好きだった恋人となんとなく価値観が合わなくなってきた。


長年会ってない友達と久々に飲みにいったものの、話が合わない。



それは仕事であったり、恋愛であったりと人によって「カタチ」は様々だ。


ただ、環境や状況が変わることでその「カタチ」が少しずつ溶けていってしまったり、何か別の物に再構築され始めているとき、わたしたちにわかることは、ただ「何かが以前と変わり始めている」という事実のみである。


そして、いま、わたしをとりまくものの「カタチ」は刻々と変化し始めている。


社会人になって、この数ヶ月の間にたくさんの出逢いがあった。


その出会いはわたしを成長させる糧となるとともに、わたしの過去への新たな比較対象として現在の時間軸に鎮座している。新しい物差しで今までの出来事を図った時に、過去の出来事が子どもっぽく感じられたり、時に後悔として心の隙間に蔓延ることがある。



こういう時の原因は、常に、明確ではない。



このモヤモヤとしたグレーの膜のせいで、わたしたちは曖昧な理由で恋人を振ってしまったり、友達となんとなく距離を取り始めたりする。そうしてその距離は埋まることなく、お互いは橋の反対側へと歩き始めてしまう。ーーのちにその橋が、崩れることをどこかで知っていて。


曖昧で、宙ぶらりんだけど、今わたしがほんとうに惹かれていたり、興味のあるものが、現状の先にあることだけが分かっていて、その種ははじくりとわたしの日常生活の中で、痛むのだ。


恋より仕事が大切だと気づいてしまった人、母親になった友人とまだ学校に通う自分、今の恋人よりも気になるような人ができてしまった時、お金の価値観が周りと合わなくなってきた時、結婚をして環境が変わった時、大切なものが違うのだと本能的に知ってしまった時。


言葉にすればいろいろなシチュエーションが表れてくると思うけれど、種はいつも同じだ。



豊かな生活を送るために、わたしたちは、悩み、選び、振り返り、後悔を続ける生き物なのだと思う。




しとしとと降る雨のなかで。



連休初日の朝で幸せなsuuでした。



2020.6.2

suu





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