ショーペンハウアー 著 『読書について』① 《整理された蔵書》
こんにちは、砂肝です。
今までに二つほど記事を書いてきたのですが、一つの本を紹介しようとすると、自分の要約力の至らなさに、どうしても文章が長ったらしくなってしまいます(その本に対する熱量があるからこそだとポジティブにも捉えられますが)。
そこで今回の記事からは、色々な方に読んでもらうために、内容を少しコンパクトにしてお届けしようと思っています。具体的にどういう風にしていくのかというと、一冊を一つの記事で紹介するのではなく、紹介する本(小説以外)に書かれている印象的な文章を抜き出し、そこから私がどう感じたか、どう考えたかについてを一つの記事にまとめ、一冊をいくつかの記事に分けて、紹介していこうと考えています。
記念すべき初めての分割投稿記事の一冊目を飾るのは、ショーペンハウアー『読書について』です。
この本には、多読や濫読に精を出している私にとって、辛辣で耳が痛くなるようなアフォリズムの数々が詰まっています。タイトルからは、本を全く読まない人に向けた読書案内という印象も受けますが、実際は読書家に向けた読書に対する意識の改革を図る内容になっています。この本を定期的に読み返すことで、日頃ただ漫然と気の赴くままに多読に耽ってしまう自分の読書スタイルを振り返り、改めさせてくれます。
今回はそこに収録されている一篇『自分の頭で考える』の一章について、自分の考えたことを綴っていこうと思います。
まずは、次の文章を読んでみてください。
どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。同じことが知識についてもいえる。いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに、鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。(ショーペンハウアー 鈴木芳子 訳「自分の頭で考える」一章より)
多読に耽っている自分を見つめ直させてくれる文章。ピシャリと冷や水を浴びせられたかのようにハッとさせてくれます。以下では、この文章を読んで、自分の考えたことを綴っていきます。
読書も受動的
私は以前からYoutubeやテレビなどからの受動的な情報の仕入れ方には注意しなければならないなと感じていました。それに対し、読書は能動的な情報の仕入れ方だと思い、諸手を挙げて本を読むことは良いことだと認識していました。けれど、よくよく考えてみると、本からであろうが何であろうが、情報を得ること自体は受動的なものじゃないでしょうか。一番大切なことは、どう情報を仕入れるかではなく、仕入れた後、自分の頭でどれだけ考え抜いて、自分の血肉としやすいように情報を処理していくかだと思います。そして、この処理には、ある程度時間がかかるものです。だからこそ、あまり大量に情報を仕入れても、処理が追いつかず、その大部分は散らかったまま放置され、風化してしまうことになります。そのために、著者はほどよい冊数でもきちんと整理されている蔵書のほうが好ましいものとしているのかもしれません。
他人の言葉を翻訳する作業
本を読もうが、誰かから教えてもらおうが、情報は必ず他人の言葉で頭に入ってきます。しかし、他人の言葉で仕入れた情報が必ずしも自分に馴染みやすい形で頭に入ってくるとは限りません。馴染みにくかった場合、情報は脳の表層部分に留まり、定着しないでしょう。完全に自分のものにするためには、翻訳の作業が必要です。ここでいう翻訳とは、他者の言葉で入ってきた知識を自分の言葉に置き換えて、取り入れるという作業です。情報を仕入れる過程に、その作業を挟むか挟まないかで、記憶の定着具合は大幅に変わるだろうと思います。それに、自分の言葉で整理された情報なら意のままに操ることができるでしょう。
個性の形成
引用した文章から、個性についてまで、思考の枝を少し延ばしてみます。
人間の個性を形成している一つに、その人がどう思考するかという要素があると思います。イチローや藤井聡太のような何か一つのことに人生を賭けて取り組んでいる人がインタビューで語る言葉に、説得力や聴き入ってしまう魅力を感じてしまうように、私は個性や思考の仕方というのは、自分の思い通りに操れる知識によって形成される面もあるのではないだろうかと考えました。その形成には、表層的で、意のままにすることのできない知識はほとんど役に立たない。その整理されていない知識の量だけ、脳の容量を圧迫しているのだから、むしろ有害かもしれません。
まとめ
いかがだったでしょうか。
引用した文章から私が感じたこと、考えたことを綴らせてもらいました。その文章で述べられているようなことを実践するためにも、noteで自分の得た情報に関する記事を書くという作業はとても良いことかもしれません。文章を書くことを通じて、もっと自分の思考を深めていけたらいいなと思います。
最後に
読んだ本がたくさんあっても、「この本どうだった?」と感想を聞かれて、ただ面白かったよとしか答えられない人にはなりたくない。むしろ読んだ本は少なくても、一つの本に対する熱い思いが延々と湧き出てくるような人になりたい。そのために、一つの文からどこまで豊かな思考を引き出すことができたかに重きをおくべきである。
これが私の読書における一つの信念でもあります。至る所に情報が溢れているこの社会で、それは何も読書だけに限った話ではないですが。
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