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自己紹介

ただいまの私


初めまして、道木美晴(みちきみはる)と申します。
私は30代独身女性です。
アルバイトとして働きながら、取材記事やエッセイを書いています。
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書籍出版のお仕事


私は、2023年2月27日に
初書籍『涙を食べて生きた日々 摂食障害――体重28.4kgからの生還(二見書房)』
を出版しました。
全国の書店、または下記のサイトから購入できます。

私は16歳のとき拒食症で精神科病院に入院し、退院後に過食症を経験しました。
本書籍は、約12年間の摂食障害の闘病生活を綴ったエッセイです。
それだけ聞くと、悲劇的で暗い内容を想像するかもしれませんが、
私の本意はそこにありません。
私がやりたかったのは、摂食障害に対する世間との「ズレ」を読者に感じてもらうことです。

摂食障害になったことのない人に、患者の気持ちを理解することは困難です。
だから私は、摂食障害のとき感じていた感覚や価値観をできるだけ丁寧に描写することで、読者の方々に私の追体験してもらい、その「ズレ」を少しでも埋めたいと思いました。

摂食障害で苦しんでいる方々に自分を見つめる手がかりにしていただいたり、(摂食障害は、自分自身の生き方を変えていかないと克服できないと私は考えています)
ご家族など周りの人たちには、当事者に寄り添う手がかりに役立ててほしいと思っています。

また、本書籍では「なぜ摂食障害から立ち直れたのか」についても、多くのページを割きました。
家族や友達に悩みを打ち明けらず、何年も追いかけてきた夢に破れた私が、どうして病気を克服できたのか。私が生きて得てきたものを全て注ぎ込みました。
ぜひ読んでみてください。
(私のTwitterアカウントで、本文35ページまで無料公開しております)

<あらすじ>
これは拒食と過食、両方を経験した私の十二年間の軌跡。
高校一年生の夏、母に連れられて行った心療内科で、「摂食障害」と診断された。当時の身長は153センチ、体重は35キロ。しかし医者に診断されるまで、自分が病気だなんて思いもしなかった。
やせ続けることは、私の正義であり誇りだったから――。
通院を始め、食べなくてはいけないとわかっていても、頭の中のもう一人の『私』が許さない。『食べたら太る』『やせろ』と責め立てられ、ついに一日の食事量は水とカロリーバー一本に。
精神病院への入院を経て徐々に食事ができるようになるが、今度は強い過食衝動が起こり、七か月で体重が倍増する。
「空腹」も「満腹」も失い、大好きだった絵を描くことすらできなくなりながらも、自らと向き合い摂食障害になった理由を見つけ、食事へのこだわりを手放して自分らしく生きられるようになるまでを記した感動のエッセイ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4576230247より引用)

書籍関連のお仕事としては、講談社の運営するWebマガジン「現代ビジネス」で『涙を食べて生きた日々』のコラムを書かせていただきました。

・16歳で「拒食症」になった女性の告白…私を追い詰める「痩せたい」という「呪縛と執着」…その治療中に起きた、ヤバすぎる出来事

・私はまるで化け物だった…16歳で「拒食症の地獄」に陥った女性が明かす「過食症の壮絶」そのヤバすぎる一部始終



ライターのお仕事


取材記事を中心に執筆しています。(他の方が取材したものをまとめるものも含む)
実績としてはまだ少ないですが、インタビュー内容をわかりやすく伝えるだけではなく、インタビュイーの人生観まで醸し出すような文章を目指しています。

・“生きる=表現する” 誰もが表現者になる創造の小劇場「THEATRE E9 KYOTO」【劇場芸術監督インタビュー】


ここに至るまでの私


ここからは少し余談で、執筆の仕事を始める前についてのお話です。

現在、細々と文章に関わる仕事をさせていただいていますが、
文章を書き始めたのは、『涙を食べて生きた日々』の執筆を始めた2年ほど前です。
それまでは、現代アートのアーティストを目指して作品制作をしていました。

教育大学の美術科を卒業後、正社員として働きながら、公募への出品、グループ展示、アートギャラリーのオーナーへの作品の売り込みなどを行なってきましたが、4年経っても何の結果も残せませんでした。

私は作り手として、何かを生み出す人になりたかった。
ものを作っている瞬間は、興奮が身体を駆け巡って、音が消えて、時が瞬きのうちに過ぎ去り、幸福を感じられるからです。
アーティストを目指すには不純な動機かもしれませんが、私はその瞬間をより長く、そして合法的に感じるために、世間からの承認を欲しました。
しかし、誰にも見向きもされず、夢を追いかけることを諦めました。

少しでもアートに関わっていたかったので、今度は運営側として、若手アーティストの支援するボランティア活動などをするようになりました。

転職活動を始めたのは、それからしばらくしてからです。
やっと思いで再就職を決め、安心していたのも束の間。コロナの影響で会社が経営難になり、転職から1年も経たないうちに解雇されました。

重苦しい「失業」という事実とは裏腹に、心に灯ったのは光でした。
自分の人生変える、最後のチャンスかもしれない。
そんな思いがよぎりました。
今まで仕事をしながらものづくりに関わる活動をしてきて、時間の制約が厳しさから自分の納得するところまでやりきれていないというフラストレーションが溜まっていました。
そうとは言っても、低収入で貯金もない自分が仕事を辞める勇気もありませんでした。
しかし、強制的な失業なら話は別です。これは不可抗力、ならば興味があっても踏み出せなかったことを思いっきりやってみよう!と一念発起しました。

そこで学校を2つ掛け持ちして通ったのですが、そのうちの1つが編集者・ライターの講座でした。
重版出来のドラマを見て、「編集者って素敵な仕事!」と興味があったことと、中学生までよく本を読んでおり作文を書くのが好きだったのが動機です。
私は、摂食障害……特に過食症が酷くなってから集中力が続かず、読書はもちろんのこと、文章も書けなくなっていました。(詳しくは、拙著の4章から5章に書かれています)
自分にはもう文章が書けないかもしれないという怖さはありましたが、やらなかった後悔より、結果に絶望した方がましだと自身を奮い立たせました。

この講座で書いた本の企画書がエージェントの目に止まり、『涙を食べて生きた日々』の出版の繋がりました。
スカウトを受けてからの2年間は、怒涛のようでした。周りの世界が勝手に進みだし、着いていくのに必死になっているうちに全て終わっていたというのが正直なところです。

このような過程を経て、「ただいまの私」に流れ着きました。
2年の執筆を終えてみて、文字という新しく得た表現形態に興味が深まるばかりです。
今後も精進していくつもりですので、よろしくお願い致します。


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