道木美晴

みちき みはる|働きながら、時折取材記事やエッセイを書いています。『涙を食べて生きた日…

道木美晴

みちき みはる|働きながら、時折取材記事やエッセイを書いています。『涙を食べて生きた日々 摂食障害――体重28.4kgからの生還(二見書房)』発売中。(https://futami.co.jp/book/index.php?isbn=9784576230245)

最近の記事

【エッセイ】轍を摘む

あなたが死んだのは、高校1年生のときだった。 「通学中に大型トラックに轢かれた」という最期をどこで誰に聞いたのか、覚えていない。 私とあなたは友達じゃなかった。 小中学校の同級生、ただそれだけ。異性と気軽に話せるような性格ではなかったから、話した記憶もほとんどない。けれど私はあなたを知っていた。いつだったか、テニス部の練習でグラウンドを走っていたでしょう。私はそれを横目で見ていた。雨上がりの土に真夏の太陽が降り注いだ日、あなたは蒸した空気を割くように駆けた。日に焼けた腕を軽

    • 【掌編小説】僕の器は

      あの頃は、僕の身体の中に中心があって、吐く息は熱く、足だって四角い筋肉がついていて、呼ぶ声の元へすぐに走ってゆけた。周りには草があって、木があって、小石に躓くことはしょっちゅうだった。擦りむいた膝の傷は盛り上がって消えることはなかったけれど、そんなことはすぐに忘れた。日陰は休むところで、そこに座っていれば君がすぐに探しに来た。君の腕は日焼け止めを塗らないせいで真っ茶色に焼けていて、3丁目のパン屋のクリームパンより膨らみ美味しそうに見えた。夕暮れにただいまと言えば帰ってくる声が

      • 通せんぼ

        青い家に住んでいる、よく日に焼けた女の子は、私の密かな憧れだった。男女ともに分け隔てなく肩を叩き、大きな声で笑う子だった。 中学生の時、体育館裏でタバコを吸う彼女を見た。人差し指と中指で挟んだ棒は少し傾いていて、咥えるのに顎を上げねばならないようだった。舐めるような気軽さで咥え、ふっと吐き出した煙は短かった。彼女は少し口を開けたまま、何も発さず、もたれかかった壁にわく錆を空いた左手で掻いていた。 私は自分の人差し指と中指を唇に近づけた。唇はやわく先端を受け入れ、剥けた皮膚で抵

        • 自己紹介

          ただいまの私 初めまして、道木美晴(みちきみはる)と申します。 私は30代独身女性です。 アルバイトとして働きながら、取材記事やエッセイを書いています。 Twitterアカウント 書籍出版のお仕事 私は、2023年2月27日に 初書籍『涙を食べて生きた日々 摂食障害――体重28.4kgからの生還(二見書房)』 を出版しました。 全国の書店、または下記のサイトから購入できます。 私は16歳のとき拒食症で精神科病院に入院し、退院後に過食症を経験しました。 本書籍は、約12

        【エッセイ】轍を摘む

          轍を摘む

          「ねえ、人間は、いつどうやって死ぬのか、生まれたときから決まっているのかな。私の同級生の男の子が1人、自転車で通学中に大型トラックに轢かれて死んだの。高校生の頃だったかな。私はその子と喋ったことはあまりなかったけど、名前知ってたし、グラウンドで部活してるとこ何回か見かけたことがあった。それがある日、死んじゃったって言うのね。その事故現場には花が手向けてあって、ここだなって、詳しく情報を知らなくてもわかった。花は10年経った今でもあるよ。いつのまにか立派な献花台が建っててさ、事

          悪癖

           私の髪の毛の先は、結構な数ふたつに裂けていて、私はそれを見つけると、髪の毛の先の股を裂いて、ちぎって、正す。そうしているのが長いから、誰かに見つけられたらきっと嫌われちゃう。だから、部屋の中で誰にも見られないときにやる。強い光が当たると、髪の毛の傷んでいるところが白く見えるからわかりやすい。裂いて、ちぎって、昨日もやったのに、今日もやる。おそらく明日も。  白くなっているところは、まとまっていることが多くて、ひとつあったらここも、ここもって感じで、どんどん見つかって、気に

          朝焼け、道は輝いていた。

          死んでしまったら、来世は植物になりたい。 もし生まれ変われるなら、蔓がある植物がいい。アサガオみたいに、葉の厚みは薄く、葉脈が端まで複雑に巡っていたら、とても素敵。蔓はみるく明るい黄緑色にして、そこらの小枝を優しく這ってその凹凸と調和したい。蔓の先端はくるりと丸まらせて、簡単に誰かに触れられないようにする。花は贅沢品だから、咲かなくてもいい。 だって、人間って痛いじゃないの。 息をしているだけで、頭も心臓も、足も手も痛いのよ。生まれてしまったのだから、今生は我慢するけど、来

          朝焼け、道は輝いていた。

          【詩】僕らの音しかきこえない

          この街はうるさいね 部屋に篭っても 僕らの美しい領域を 壊しにくるんだ 朝自転車で君の家に向かった あの島へ行こうよ 君は海に消えた 本物じゃないと言って 僕は衝動のまま 君の影を追いかけた 肌さえ青く染まったこの場所では 僕らの音しかきこえない この街はうるさいね 人混みを避けても 僕らの理論に 口を出してくんだ 食卓に座って 決別の家族会議 心は共になんて詭弁は 言う方が罪だよ 殴りつけた壁の穴じゃ 明日は見通せない この世界はうるさいね 鍵をかけたって

          【詩】僕らの音しかきこえない

          あなたがもう一度死ぬときには

           今月の17日に、祖母の一周忌が行われる。 私は行くことができない。 祖母の墓前に一度も手を合わせることができないまま、一年が経とうとしている。そして、まだ会えそうにない。  祖母が亡くなったのは、2020年11月9日で、コロナウイルス感染拡大の真っ只中だった。実家から遠く離れた地で生活する私は、葬式に行けなかった。それ以降、一度も帰省すらできていない。それは他県に嫁いだ姉も同じだ。姉には今年2歳になる子どもがいるが、この子と祖母が会えたのは結局一度だけだった。 「早く実家

          あなたがもう一度死ぬときには

          夕火

           私は家族との別れ際に、必ず握手をしている。  きっかけは、大学進学のために実家から離れて、車で片道6時間ほどかかる他県で一人暮らしをするようになったことだ。遠く離れてしまえば、家族と顔を合わせる機会は年に数回しかない。お互いに死ぬまであと何度会えるのか…。それを自覚するために、18歳の頃から10年以上経った今でもその習慣を続けている。  最後に家族の手を握ったのは、2020年3月に帰省したときだ。いつも通り、祖母と両親の手を一人ずつ握り、「元気でね。また会おう」と言った

          “生きる=表現する” 誰もが表現者になる創造の小劇場「THEATRE E9 KYOTO」【劇場芸術監督インタビュー】

          「文化芸術は不要不急か?」 コロナによる自粛要請で多くのイベントが中止になった。京都にある小劇場「THEATRE E9 KYOTO」も休館を余儀なくされるが、役者のいない演劇<無人劇>や、ビジネスパーソンと演劇を作る「E9アートカレッジ」などかつてない試みで多くの支持を集めた。 常に新しい道を探し続けるE9の芸術監督、あごうさとし氏にお話を伺った。 市民の声に支えられた“民間劇場”  THEATRE E9 KYOTO(以下E9)は、JR京都駅八条口から徒歩14分程の、京都

          “生きる=表現する” 誰もが表現者になる創造の小劇場「THEATRE E9 KYOTO」【劇場芸術監督インタビュー】

          ガラス戸の向こうの幻影

          私は人生で一度も猫を飼ったことがない。 実家で飼っていたのは、いつも犬だった。家族の動物派閥は、父は犬派、母と私は猫派、姉はネズミ派、祖母と祖父は無所属(動物が苦手)である。 ネズミ派とは、野生のネズミが好きというわけではなく、モルモットやデグーなどの家庭用の齧歯類の小動物のことだ。 この派閥でいえばうちは「猫派」が優勢だが、母と姉が猫アレルギーのため、そもそも実家で猫は飼えないのである。 私は子どもの頃、自他共に認める「猫好き」だった。 きっかけは、「みけねこキャラコ」(

          ガラス戸の向こうの幻影