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「傾聴」と「対話」 ー誰かの悩みを聴くということ

失恋の話をひたすら聴くという活動をされている「桃山商事」さんと、ミュージシャンであり精神科医である「星野概念」さんのトークイベントに行ってきました。

星野概念×桃山商事「 “話を聴く男たち”が考える、傾聴と対話のレッスン」

場所は下北沢にある本屋B&B。

聞いてはいたけれど、下北沢「南口」が閉鎖されていた。

そう、聞いてはいた。聞いてはいたけど、眼前にすると、えもいわれぬ喪失感。小田急線の改札を抜けて、そう、出るとすぐにマックがある、あの出口ですよ。私の下北沢訪問は大抵そこを起点としているのに、起点がなくなった。という体験は私のものだけではないだろう。

って、少しだけエモくなってみましたが、本題はそこではありません。

タイトルだけではちょっとわかりにくいですが、こちらの方々がイベントの主役の、”話を聴く男たち”。(清田さんのtwitterから写真を拝借)

写真左から桃山商事 森田さん、星野概念さん、桃山商事 清田さん。

どちらもまさに「傾聴と対話」の活動をされている方々であり、いやーこれがめちゃくちゃ面白かったわけです。最近になってインタビューの活動をはじめた自分にとっても、「傾聴」や「対話」は興味深いテーマでした。

目から鱗な話がたくさんありましたが、その一部をダイジェストでお届けします。

●桃山商事さん

大学時代から周囲の友人から恋愛話を聴く活動を開始した桃山商事。複数人からなるユニットで活動しており、あらかじめ相談者さんからメールで悩みの内容について伝えてもらい、それを読んだ上で、現在は二時間という時間制限を決めて話を聴くことにしているそう。箇条書きなどをしながら話を聴き、相手に答えや示唆を与える姿勢ではなく、聴くことに徹することにして、どちらかというと問題の中枢やその人の悩みの根底にあるものを順序立てて一緒に考えて行くような姿勢。
相談者さんのお話は無料で聴き、その内容を相手の同意の上で記事や本にしたりと執筆に活かしていくのが桃山商事の主な活動でありお仕事となっています。

●星野概念さん

星野概念さんは□□□(クチロロ)というバンドのメンバーであり、総合病院に勤務する精神科医。元々はバンドメンバーの関係であったいとうせいこう氏が自分の悩みをもって実際に星野さんのカウンセリングを受けに行ったことをきっかけにして、対談本「ラブという薬」という本を出版されました。

桃山商事の活動について、「理論や勉強を身に付けた上で患者さんとの相談に臨む医療従事者に対し、大学のサークルのノリではじめた桃山商事の存在はいわゆる「野武士」のようだと思う。それでも活動内容の根底や姿勢、方法などは心療分野とかなり近い。」と話したうえで、総合病院に勤務する精神科医としての星野さんのスタンスで語られていました。答えを与えない姿勢は桃山商事と近いといいます。

抽象的なものを具体化していくときの、「ユリイカ!」

桃山商事の場合は、2時間という時間の中で、はじめの1時間ほどかけて、清田さんが具体的な経緯など含めて相談者さんの話を質問を交えて聞いていく。森田さんはそのとき聞くことにほとんど徹し、問題の中枢を探っている。そしてあるとき、「!」と問題の構造に気がつく瞬間がある。「ユリイカ!」←閃いた!という喜びを表す感嘆詞、の感覚に近いので、「ユリイカ!」タイムと呼んでいる(笑)

(桃)森田さん「たとえばこの話はここに通じているのでは?ということを感じて、それを伝えると、相手の認識と合う場合もあれば微妙に異なる場合があったりして。それを探って行く過程も興味深いものがありますね」

星野さん「ユリイカ!...って表現いいですね(笑)。僕の場合はユリイカ!したとしても、こうじゃない?ってすぐに言葉にするのではなく、そういう傾向があるのでは?っていう方向に導きたい感じを持って、本人に気づいてもらいたいというか。本人に感情を数値化してもらったり、「●●さんの友達で同じように感じている人がいたら、どうアドバイスします?」って聞いたりとか。だから本人に「ユリイカ!」してもらっていくような感じかな。導きたい場合と深めたい場合で質問の仕方が変わってくる」

(桃)清田さん「相手が我々と対話していくなかで、その人自身が自分で自分を深く知って行く、理解できたっていうことが楽しそうに見える瞬間があるんですよね。そのための良き相手になればいいなと思っていて。その人が自分について知りたいっていう欲求があると思うので、それをうまく満たしあえると、こっちが一方的にあなたを導いてあげようっていうことではなく」

(桃)森田さん「わかったつもりで、聞きが足りない状態でそれをしてしまうと傷つけてしまう場合もあるかもしれない。親しい間柄だと余計に。奥さんの愚痴を聞いているときに、向こうはただ聞いて欲しかっただけなのに、俺の中で「ユリイカ!」してしまって、それを奥さんに伝えたときにめちゃくちゃ怒られて。すごい反省したんですけど。そのこと自体に注意がすごく必要だなと思ってるんです」

星野さん「アルキメデスもそうでしたけど…って同級生じゃないんですけど(笑)ユリイカしたときにユリイカ!って叫びたくなるんですけど、叫びたくなるのはこっちの感情だから。ユリイカを言って欲しいのは、相談をしにきてる人なんですよね。認知療法では当たり前なことだけど、悩んでるときってわかってるようでわかってないことが多いから、文章や図にして概念化することが大切なんです。小さいところから紐解いていって、どうですか、ああ確かにって、相談者さん自身に小さなユリイカが生まれ始めて、それをどうにかするためにはどうする?っていう話になるから。示唆を与えるのではなく、こっちがわかっていいて一緒に探して行く感覚というか。ユリイカしてこっちがわかっていても、いわない約束というか。」

「傾聴」しているときに、何か言いたくなってしまったら? ー桃山商事からの質問

(桃)清田さん「相談者さんの話を聞いていると、「こうしたらどうか」とか「もしかしてこう考えてる?」とか言いたくなってしまうときがあるんですけど、そういう「言いたさ」からは距離をとったほうがいいと思ってはいて。どう付き合ったらいいんですか?あるいは言いたくならない?」

星野さん「聞くって決めちゃうことかも。マイクを置くみたいな。こういうイベントでも、物理的にマイクを机に置いちゃうこともある。発言のしようがない状況を作るというか、自分で自分に表明するというか。こういうことじゃない?とかそういう思いつきを殺すために、心のマイクを置くというか。相手のためのターンをつくるというか。仕事上はいつも相手のターンだけど」

(桃)清田さん「話遮られると、話す人の気持ちが萎えちゃいますよね。世の中は色々カットインして語れる人が良しとされる傾向があるけど、本当はお互いに、マイクを置きあえる社会だといい、というか。僕も大学生の頃は全然話を聞けない人で、相手の話をいかにひっくり返すかとか、会話にうまく入って空気を作ろうとか、ボケの方向に持って行くとかそんはことばっかり考えてた。でも30代くらいから人の話を聞くことの面白さに気づいてきた。飲み会の席でも、いまはボケとかキャラを演じるとか苦手になっちゃって。ずっと大縄に入れない人みたいになっちゃった(笑)」

星野さん「めちゃくちゃわかる!でも話すペースって人それぞれで。すごく早い人もいるけど、整理しながら話したり、いったん迷宮化したけど戻ってこれる人とかもいる。クリアに話せるひとのほうが少ない。迷宮入りしても、最終的にこれ言いたかったんだ!ってわかった時にすごいおもしろいものがでてきたり、そうだったなら話変わってくるじゃん!っていう場面がたくさんある。聞くことによって、自分へのメリットがあったという経験があるから心のマイクを置くことができるのかも。病状によって本当にまとまらない方もいるから、遮ることもある。挙手したりとか。そしたら、「はいどうぞ」とか言ってもらえたりする(笑)」

●「対話」って? ー桃山商事&星野概念 対談の中から

両者とも「対話」については平田オリザさんの著書から学んだことがある。そこには、「対話」dialogue というものは、自分も相手もお互いをよくわからない前提でコミュ二ケーションをとること、それに対して「会話」 conversation は、親しく、よく知っている相手とするおしゃべりなどと定義されている。

親しい間柄ほど「対話」は難しくなってくる。わからない前提にたちづらいからかもしれない。だからプライベートで言い合いになったときに「傾聴」や「対話」をしても、不和が生じてしまう場合がある。

(桃)清田さん「奥さんとの喧嘩で自分に原因がある問題を傾聴して、「わかる〜」なんていってひんしゅくを買ったことがある(笑)」

星野さん「テクニカルに話を聞いちゃっても、苛立ちは治らないことがあるよね。そんなことねえよ!うおー!!とか感情的に言った方が、わかったのかな?っていうことが伝わることもある(笑)」

(桃)清田さん「概念、お前、傾聴ばっかしてんじゃねーよ!みたいな(笑)相手の感情面が満たされたり解消されることが必要な場合がある」

星野さん「一つの例えで、お会いしたこともないけれど…きっと河合隼雄先生だって、彼女(笑)に、「隼雄どう考えてんのよ!」とかいわれたときに「どうでしょうなあ〜」って言ってたら彼女は怒るでしょうし(笑)距離の問題は難しいよね」

まだまだ話は尽きませんでしたが、イベントは大盛り上がりのうちに終了。

イベント終了後、桃山商事さんの本は売り切れてしまっていて、わずかに残っていた一冊を死守して星野さんの本だけ購入してサインをいただいてきました。(せいこうさんのサインも!)

大事な本を読むときはなぜかいつもファーストフード店でポテトを食べている私。

冒頭でも書きましたが、この本は、精神科医である星野さんのカウンセリングを受けたいと希望し、受診しはじめたいとうせいこうさんが、診察室での対話の中身を見せてくれるような本。

ここからは少し、私の話になりますが。

近年、立て続けに辛い出来事があって、何もできなくなるくらい気持ちが塞いだことがありました。もちろん問題が完全に解決したり、ふっきれたりするものではないけれど、今はなんとかその霧の中を脱出したというか、手が動かせない、足が外に向かない、というような状態はありません。その私のささやかな経験では、辛い出来事のあとになんとか自分を奮い立たせて活動をしていると、そろそろ元気になってきたかな?と思った頃に、どーんと落ちこむ時期がありました。そのときは辛い出来事の直後の辛さとは少し違ったように思います。

例えるなら、出来事の直後の辛さが、部屋の窓に野球ボールが当たってガシャンと音をたてて割れたような感覚だとしたら。その後の辛さは、音を立てずに静かにやって来て、部屋の片隅に、あるいはポケットのなかでおとなしくしていて、消えない。なのにある日突然巨大化して、心を占めてくる。そういう感覚だった気がしています。

そういうときに、よく思っていました。拠り所はないものか、と。周囲の人に言えることと、言えないことがあることは自分でもわかっていたからこそ、精神科やカウンセリングなどを検索したこともありました。だけど私にはなんだか大げさに思えてしまって、金銭面の不安もあったりで、結局カウンセリングなどにはたどり着きませんでした。結局は周囲の人に吐き出して楽になったこともたくさんあったし、話すではなく「言葉にして書く」ことで少し楽になったこともありました。そうやってなんとか、一つ波は超えたのかなという感じはあります。

この本の第1章は、「怪我なら外科、辛い気持ちなら精神科。行ってみよう」という題ではじまります。ああ、あのときにこの本を読みたかったなあと、なんだか解きほぐされる感覚がしました。本の帯には、「きつい現実」が「少しゆるい現実」になりますように、というメッセージも添えられていて。なんだろう、とても優しい。辛い思いをしていた自分がいなくなったわけではないのだから、掘りかえすわけでもなく、一つの拠り所にさせてもらうような気持ちで、読み進めていきたいと思います。

実はフリーランスの絵はんこ作家になる前には、精神障がいのある方が再就職を目指す、就労支援をする施設で非常勤職員を5年ほどしていました。私は直接的にケアをしたり相談を受けたりするような立場ではありませんでしたが、様々な過去や経験を経てそこにいた人たちと一緒に仕事をしていると、思いもよらぬ出来事を目の当たりにしたり、自分の中にはなかった全く新しい考え方を知ったり、大小皆持っている「生きづらさ」をより強く感じている方に出会うこともありました。

知識も資格もないまま数年間福祉の仕事をしていましたが、その仕事を離れた今の私にも、できることはあるんじゃないかなあと、そんなことばかり考えています。と、またそれは別の機会にでもゆっくり。

絵はんこ作家「さくはんじょ」主宰のあまのさくや。誰かの「好き」からその人生を垣間見たい、表現したいという気持ちで、文章を書いたりものづくりをしたりしています。

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