スキマインタビュー:毒物的なニットを作る人(前編)
今回お話を伺ったのは、岩田紗苗(いわたさなえ)さん。
「FAD distortion」というブランドを立ち上げられ、家庭用ニット編み機を使ってオリジナルの編み柄を作り、バッグなどを制作されています。
しかしそのバッグのコンセプトを聞くと…
「毒物的」で「ケミカル」という言葉が出てきました。
えっ?毒物的なニット…?
一体どういうことですか?
ーまず…ニットって家で作れるんですね?
今私が使っている「家庭用のニット編み機」は、戦後の頃などは結構一般家庭に普及していたようなんですよ。洋服を買うより作った方が安いという時代があったのと、習わないと最初は動かし方がわからないような機械なので、主婦の方の習い事として人気もあったとかで。でも高度経済成長で、ものが大量生産されていくようになってからは作る人が徐々に減り、廃れていったみたいです。棒針とかかぎ針とかの手編みならまだしも、編み機を使って家庭で作る人は今はほとんどいませんよね。
ー岩田さんの「ニット」との出会いは?
高校の頃から自分で洋服を作り始めていたんですが、高校卒業後は大学に入って、大学卒業してから服飾の専門学校に入ったんです。専門学校を卒業してから、はじめはメンズのアパレルの仕事で、洋服やその他アイテムを幅広く担当してたんですけど。途中から仕事がTシャツなどのグラフィックのほうにシフトしてからは、平面的なものをパソコンに向き合ってつくる感じが合わなくて、嫌になってしまったんですよ。その頃国内で作ってたものが中国の工場に移行していくという過渡期だったので、自分で工場を見に行かなきゃ!という思いがあって繊維専門の商社に転職したんです。アパレルブランドさんが、実際に製品をつくる際にどういう工場にしようとかどうやって作るかの具体的な相談を仲介する仕事で。その頃ニットの担当になりました。
ーいつ頃から自分でニットを編むように?
仕事では、指示書を描いて工場に投げると、希望のデザインでニットが編み上がってくる。でも生地で作る洋服と違ってニットは自分で作ったことがないから、実際どうやってできているんだろう?という細かい仕組みがよくわからなくて。ニッチな分野なので、詳しい人も世の中に少ないから、一度自分でやってみよう!と。調べたら毛糸屋のおばちゃんがやっている機械編みの教室があると聞いて、習い始めたんです。それが結構おもしろくて、しばらく習ってみて自分でもできそうだと思ったので、家庭機をネットオークションで買いました。今は3台くらい持ってますよ(笑)。教本も古本しかなくて、今でもすべて手探りでやっている感じです。
ー家庭用ニット編み機の仕組みって?
細かくは説明が難しいんですけど、仕組みとしては、ここに並んでいる針が、編み物をするときの棒針の一本一本みたいなイメージで。そして持ち手を動かすことで、セットした通りに棒針が動いて、編み上げていくんです。家庭用編み機は基本的にアナログなつくりなので、持ち手を自分で動かして編んで行きます。それを完全にコンピューター制御したのが、既製品を編む工場の機械になります。家庭用編み機でも、技術さえあれば厳密な模様もできるし、わりと既製品に近しいものもできますよ。
ー子供のころからものづくりは好きでしたか?
父親が美術の教師だったこともあって、休みの日に遊びに行くといえば「美術館」。あとは博物館、植物園とか図書館とか。今考えると父親は、自分がそんなに勉強してこなかったから、教育者として、子供には学んでほしいという思いが強かったんでしょうね。一方で母親は絵も描いたし、本当はデザイナーになりたかった人なんですよ。必然的に家に画集とか絵の具も溢れている家だったので、自分で絵も描いたりしてたんですけど。そのうち平面で絵を描くよりも、洋服作りとか、立体で自分で形にしていくほうが合ってると思うようになったんですよ。服飾の専門学校に行きたいと思ってはいましたが、家族の希望もあって高校卒業後はまず大学に入りました。
ー大学は…て、哲学科ですか?
哲学の中でも美学専攻といって、美術を哲学の面から勉強したんです。俗にいうルネサンスと違って北方ルネサンスとか、オランダとかベルギーとか少し北の地方。中でもブリューゲルという人の作品が好きで、研究してましたね。
たとえば「子供の遊戯」という代表作では、子供の表情が、子供らしさとは正反対の顔つきをしているんです。一説によるとこれは大きな市役所風の建物で、本来は大人が執り仕切る場でありながら、鳥瞰的に見つめる神としての立場からは、その行為は子供さながらの行為とさして変わらない、という皮肉が込められていると言われてるんです。そういう人間心理みたいなものにスポットをあてて描かれていて、モチーフ一つ一つに意味があるので、見てるだけで楽しいんですよ。
ーそこから服飾の専門学校へ?
大学出てわざわざいくんだからと思って、厳しめな専門学校に進学したんですけど。想像を絶する厳しさでしたね(笑)課題を日々徹夜でやるんで、寝てなかったですね。他の学校ならパタンナーコース、デザイナーコースなどと細分化されていて、2年生くらいから自分の得意なほうをやるみたいなんですけど、どっちもやらなくちゃいけなくて、荷物も2倍だし、いままでの人生で一番大変でした。
ー音楽もされていると聴きましたが?
高校から吹奏楽部に入って、パーカッションを始めました。そこから始まって今もドラムをやっていて、自分の結婚式も花嫁自らドラムをやったんですよ(笑)。大学では音楽サークルに入って、ロックをやってました。周りがほとんど男の人で、変な人たちが多くて。聞いていた音楽とか、サブカル的な要素はかなり影響を受けました。その影響の中でテクノも聴き始めました。テクノってフォーク音楽とか人間味のあるものとは違って、電子音楽だから、機械っぽい人工的な音というか。一定の速度の音が並んでいて、それがちょっとずつ変化していくとか。そういう人工的なところが好きなんですよね。
ー毒物のコンセプトはどこから?
元をたどると、大学時代に影響を受けたサブカル要素の一つでもあったんですけど。確かヴィレッジヴァンガード(遊べる本屋)に、マリファナとか麻薬がどうとかいう怪しいカウンターカルチャー的なコーナーがあって。そこで「幻覚的アート」の本に出会ったんです。LSDなどのドラッグをやるといわゆる「キメた」状態になるわけですけど、薬でキメることで、自分の脳の次元が高くなって、その中でいろんなものを生み出せるっていうのが流行った時代があって。音楽も、アートも。そのキマった、いいトリップ状態のときに、規則性のあるような、幾何学的な模様が見えるらしいんです。
Pinterest より
ー幻覚的アートとニット。共通するものがありますか?
ニットもモチーフの繰り返しで表現していくので、元をたどるとドットの集合体で何かを表現してるんですよ。幻覚的アートも規則性があって、一定のアルゴリズムにしたがった順番で柄を表していく。そういうリピート性や規則性は、テクノも通じるものがありますね。
あと、色合いにもすごく影響を受けています。パステルカラーじゃなくて、鮮やかなピンクやオレンジみたいなパリッとしたネオンカラーの組み合わせの、いわゆるサイケデリックな色合いに惹かれたんです。でもそのネオンカラーだけで表現するんじゃなくて、その色合いが、モノトーンの中にすっと入っているという組み合わせがとても好きです。
ードラッグをやりたいわけじゃないですよね?(笑)
やりたいとかは思わないんですけど、脳の変化とか人間の潜在能力に興味があるんですよね。そういうの調べ始めると、とことん気になってそれに関する本とかを調べ始めちゃう。ちょっとジャーナリズム根性も入ってるかもしれないんですけど。もう今やライフワークですね(笑)。
ージャーナリズム根性はいつ頃から?
9.11が起きたときに、大学生だったんですよ。ああいう大事件を目の当たりにして、「あれはなんだったんだ!?」っていう衝撃的な疑問があって。後々、それに関連する本を読み漁るようになりました。例えばドラッグやってる人も、なんでやりたいんだろうとか、どういう環境にいたらやろうってなっちゃうんだろうとか。起こった事実より、どういう経緯でそれに至ったか、そういう物語に興味がある。ちなみに今の集中テーマはオウム真理教なんですけど…。自分の思想うんぬんとか何かを擁護したいとかではなくて、いろんな側面から見たいんですよね。例えば加害者側も被害者側も、どちらも立場によって見えるものが違うから、両方見れば全体が見えるんじゃないかと思って。
幻覚的アート、テクノ、ジャーナリズム…。
これらの濃ゆいキーワードの並びをみても、
岩田さんのニットが、いかに”普通の”ニットと異なるかが、伝わってきたのではないでしょうか。
後編からはさらなるコンセプトのひとつ、「ケミカル」というキーワードに迫りつつ、バッグへの細かいこだわりについて伺います。
インタビュー後編はこちら。
岩田紗苗。「FAD distortion」主宰。家庭用ニット編み機を使って、オリジナルの編み柄を作成し、バッグなどを制作。東京・神泉のセレクトショップ・R for Dなどにてバッグを展開中。
聞き手:絵はんこ作家「さくはんじょ」主宰のあまのさくや。誰かの「好き」からその人生を垣間見たい、表現したい。そういうものづくりをしています。
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