小さな本工房

スキマインタビュー: 満員電車で読める本を作った人(前編)

今回お話を伺ったのは、【小さな本工房】の鴫原利夫(しぎはら としお)さん。

私が「スキマじかん研究所」をはじめます、と宣言したとき、鴫原さんは真っ先に、「私の本も、まさにスキマじかんのための本というコンセプトから始まったようなものです」というコメントをくれました。

【小さな本工房】の名の通り、鴫原さんは「小さな本」を作っています。

初めてお見かけしたのは、雑司が谷で行われている鬼子母神手創り市。そこで、「はんてん姿」で出店されている鴫原さんと出会いました。

そこに並べられていた本は、普通の本よりも小さく、豆本というには少し大きめのような絶妙なサイズ。思わず食い入るように作品を見ては、話しかけに行ってしまったのでした。

「豆本」ではなくて、あくまで作るのは「小さな本」。
それってどう違うのでしょうか?
そしてスキマじかんのための本とは?

こんな問いを胸に抱きつつ、この日は神保町で待ち合わせ。
鴫原さんは、お休みの日はたいてい神保町で古書店めぐりをしているといいます。
そしてお会いしてすぐに、「本当の豆本」を見に行きましょう、と連れて行っていただいたのは、昭和の豆本や版画作品などが並ぶお店「呂古書房
」でした。

昭和の頃に豆本のブームがあって、一般書店に出回らない豆本が限定何部とかで全国各地の版元から発行されていて。それらは愛書家とか愛好家の間で、会員制で販売されていたの。限定何部とかで発行して、特定の読者さんに、できたら送る。

その限定本のうちこれは何部、っていうふうにナンバリングされていて。実はこれ、著者本の「No.1」を持ってるの。著者の誰かが持っていたもの、ということ。中には武井武雄さんなどの有名な作家さんも文章を寄せているんだけど、この人が持ってた、とか思い込むとより嬉しいよね(笑)

美しい本はわざわざ喫茶店で読みたい


ーちなみに、先ほどのお店では、豆本ではないサイズの本をお買い上げしていましたね(笑)

串田孫一さんの『街を歩いた日』(しなの豆本の会、1978年)を買いました。実は以前持っていたのだけどわけあって一度手放してしまって、再会してしまったし思い入れのある本なので。

自分の好きな本として持ってきた、いぬいとみこさんの本も同じ版元から出ている本の特別な仕様のもの。紙も手漉き和紙で、印刷も活版で、物凄い贅沢だよね。これも実は著者本なので、一般本とは仕様が違うんだけど、こういう美しい本はお手本にしたいよね。

こういう本は、ネットで目録見ただけじゃわかんないよね。手に取ってみないと。CDじゃなくて、レコードもその音で聞かないとわからないみたいに、一緒じゃないよと思うよね。なんて美しいんだろうね…惚れ惚れする。

こういう本は、読むにしたって、寝転んで読んだり、電車の中で読むものじゃないよね。疲れきったときじゃなくて、わざわざ喫茶店にきて、贅沢な気持ちに浸りながら読みたい

ちょっとズレた「本の虫」になった


ー子供のときから本が好きだったんですか?

そんなに好きだったかわかんないなあ…。でも小学校の卒業のときに担任の先生からのはなむけの言葉に、「本の虫になれ」って書いてあった。確かになったことはなったよね、本の虫って多分意味は読書家ってことだと思うから、ちょっとズレてるけど(笑)。
小学生のときも図書室にはわりといたかな。貪り読むような感じじゃないんだけど、身近だったよね。中高は部活もやってなかったし、図書室や本屋で時間潰して帰るかんじ。田舎で、他に娯楽がなかったんだよね(笑)。

勉強も好きじゃなかったなあ。相対的には英語か。というか他はだいたい全部そこそこで、結局英語しかやってないかもね。

ー大学は外国語学部で、韓国語を専攻されたんですね?

語学にしかあまり興味がなかったし、必然的に外国語を学ぶことにしたんだけど。なんで韓国語だったかって…当時はかなりマイナーだったから、やったようなものかなあ。大学なんて自分で勉強するの難しいようなことやったほうが得じゃない。みんながやるようなことやっても面白くないし。

みんながやるようなことをやっても面白くない

ー韓国語は身につきましたか?

大学の時は真面目だったんだよ(笑)。韓国語は、自分でいうのもなんだけど、多分世間一般からみたら、かなりできると思われてもいいかも。今はやってないけど。大学に入ってからは、毎日朝4時に起きて、韓国のラジオを聞いてたの。韓国の特定の局の電波が、なぜか夜中だと日本にも届いたの。もう30年近く前の話だけど。

ー4時起きで韓国のラジオを聞いていた!?

大学1年のときから、4年の秋くらいまで、朝4時から5時まで、ほぼ毎日韓国のラジオ聞いてたの。不思議だけど雑音混じりで、その時間だけ聞こえるの。リスナー参加型の、お手紙送ってリクエストかけてくれるような番組だった。大学の授業は9時からだったから、そのまま起きてて5時から7時までは小説とか、教科書じゃない韓国の本を読んでた。自分でもリクエストでハガキとか手紙とか書いて送って。送ると紹介してくれてたんだよね。

ー韓国のラジオに投稿!?

そう。日本人だということは明かしてたから、珍しがられて取り上げてもらったかな。昔は情報に触れる機会そのものが非常に限られてたわけで。すごい不自由な時代だからこそ勉強するっていうのはあったかも。しかも雑音混じりで聴くから、相当リスニング力はついたよ(笑)

ー確かにかなり読み書きもリスニングも上達しそうですね。

本名で投稿していたら、見ず知らずの韓国人から手紙がきたことがあった。二つあったんだけど、一つは放送局に問い合わせて、局が教えちゃったらしい(笑)。もう一つは、千葉に住んでいる大学生、という情報を頼りに「千葉大」に送っちゃった人がいて。そしたら千葉大からちゃんとうちに無事に届いたの(笑)それも不思議だよね。今じゃ考えられないよねえ。

ーインターネットよりもずいぶん早く世界と繋がってますね!

でも手法はかなりアナログだよね。

ーその後は韓国語のお仕事に?

いや、直接的に関わる仕事ではなかったな。仕事も忙しいし自分の興味の分野と少しズレていて。それでも自分で語学の勉強はしていたかな。
実は就職したばかりのころに、「ハーブ」についての本を集めていたの。

根っこの部分が好き

ー「ハーブ」とは!?またマニアックな予感…

大学卒業してすぐくらいに、たまたま「幻のハーブティー」と呼ばれるものに出会って。それを買って、仕事に疲れたときに飲んでみたら、びっくりするくらい美味しくて。そこからハーブに関する本を集め始めたんだよね。ハーブと一口にいってもお茶とか、アロマとか、料理とか園芸とか、色々な切り口があるんだけど。その中でもまたマイナーな、「民俗誌」についての本を集めていたの。

ー「ハーブ」の「民俗誌」!?

ハーブにまつわる民間の伝説とか神話とか言い伝えとか、ことわざとかね。占いとか、魔よけとか。「ローズマリーはかかあ天下の家でよく育つ」っていう言い伝えがあるとか、そういう話がたくさんあって面白いんだよ。あとは花言葉の本も集めてて。

ー「民俗誌」に着目したのはなぜですか?

なかなか人が注目するところじゃないからということもあるけれど、要は根っこの部分みたいなものが好きで。見た目とか実用的っていうよりも、本質というか、底にあるもの。それは語学にしても、製本にしても、自分としては一貫している部分かな。

あるときドイツからネットで本を取り寄せたときに、その本に四つ葉のクローバーがはさまってて。100年以上前の本だよ?本屋さん知ってたかしらないけど、そのまま送ってくれたんだよね。

「ちょっとズレた本の虫」になった鴫原さん。

ここまでのお話で、いわゆる「豆本作家」とは異なるような着眼点、
そして自分なりの方法で学びを広げていく独特な姿勢が垣間見えてきました。

「みんながやるようなことをやっても面白くない」
「人が注目しないところをやる」
「根っこの部分が好き」

ここに鴫原さんの情熱があり、ものづくりへのモチベーションと繋がっていくのでしょう。

後編では、鴫原さんの製本へのこだわりと、
前編で聞ききれなかった(しまった!)「満員電車で読める本」について、詳しく伺います。

一見ばらついた要素が、鴫原さんを通じて一冊の本になっていくような感覚に近づいてきました。

(私が)うまく編集できますように。

鴫原利夫(しぎはらとしお):1969年福島県生まれ。「小さな本工房」の名前で、現在は製本ワークショップなどを中心に活動中。制作や本にまつわるこだわりが詰まったブログも読み応えがあります。
聞き手:絵はんこ作家「さくはんじょ」主宰のあまのさくや。誰かの「好き」からその人生を垣間見たい、表現したい。そういうものづくりをしています。

インタビュー後編は、こちらからどうぞ。

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