見出し画像

#147信仰とツアーリズム(五)―身近な史跡、文化財の楽しみ方(25)

 二〇二三年一二月に史跡見学会の講師の依頼を受け、石切から枚岡まで歩きましたが、今回は枚岡神社の境内から南に隣接する梅林までの道のりについて紹介します。 

 鳥居から拝殿に向かって東に進んでいくと、少し開けた場所に出てきます。この位置が『河内名所図会』の右ページに描かれている広場に当たります。現在は左右に大きな灯篭が設置されていますが、それぞれの灯篭に刻まれている年代が異なります。南側の灯篭には「明治元戊辰年」、北側の灯篭には「明治四十年十月」と刻まれています。どうやら南側の灯篭は元々一つだけ設置されていた、いわゆる「片灯篭」だったと考えられます。南側の明治元年の灯篭は基礎部分に「安全講」と刻まれており、、設置主体が旧来の村の人々の集まりであることが判ります。北側の灯篭は「枚岡村在郷軍人及有志者」となっているので、日露戦後の地域の在郷軍人などが主体となって設置したことが判ります。

基礎部分に「安全講」と刻まれた灯篭
「安全講」と書かれた灯篭の裏面。柱に「明治元戊辰年」とある。
基礎部分に「致誠」と刻まれた灯篭。
「致誠」と刻まれた灯篭の裏面。基礎部分に「枚岡村在郷軍人及有志者」と刻まれている。

 灯篭を過ぎると、正面には拝殿に向かう石段が、右手には斎館に向かう階段が見えます。この位置は広く開けており、『河内名所図会』に描かれているページ中央の広場にあたります。広場右側(南側)の斎館に向かう石段脇には「鞠場」と書かれた大きな石があり、以前は鞠場であったことが判ります。
 正面の拝殿へ向かう石段へ進むと、階段脇の左右に母子の鹿の石造物があります。「なで鹿」と書かれた立札があり、これを撫でると家内安全などの功徳があるとされる神鹿の石造です。この神鹿の石造物は、近隣の豊浦村の紺屋の夫婦によって寄進されたものであることが、台座から判ります。これについては、「#110史料にみえる女性の名前」でも紹介していますので、ご興味があれば、そちらも併せてご覧ください。

「紺屋清兵衛、妻うの」と刻まれた神鹿像の基礎部分

 石段を登りきると、拝殿の正面に行き当たります。拝殿は明治一二年(一八七九)に建てられ、平成に檜皮葺きから銅板葺きに葺き替えられています。扁額は二之鳥居の標柱と同じく三条実美の筆になります。拝殿の南側に回ると、本殿が垣間見えます。本殿は四つの建物が連なった枚岡造(王子造)と呼ばれる建築様式の建物です。本殿は文政九年に建てられたもので、その後幾度かの焼亡や再築を経て、令和になって大きな修理が行われています。

拝殿脇からこのように本殿が見えます。

 拝殿南側の階段を下ると、禊場、参集所、斎館に行き当たります。禊場、参集所は二〇二三年にこれまであったものから新たに整備されています。
 斎館は、昭和一〇年の建築で、昭和一二年に貞明皇后の行啓の際の宿泊所として使用されました。当日は内部は見学出来ませんでしたが、玄関を入ると二間続きの広間があり、西側の部屋が貞明皇后の部屋として宛てられたため、本床、付書院、折上格天井といった格式の高い部屋のしつらえとなっています。

枚岡神社斎館

 再度、禊場、参集所の脇の階段を上り、本殿の見える位置まで戻ると、境内図には「感謝と祈りの道」と名付けられた通路に出てきます。こちらには摂社、末社の一言主神社、若宮神社、飛来天神社、天神地祇社が続き、鳥居を抜けると枚岡梅林が見えてきます。
 枚岡梅林は、元は神護寺などの宮寺があった場所で、明治初年にそれぞれの寺が廃寺になった後、明治一四年に、若江郡下小坂村の山沢保太郎、高安郡万願寺村の久保田真吾らを中心とした近隣の地方名望家らにより「愛敬社」という団体が結成され、地域の殖産興業のために梅を植えて、そこから取れる梅の実を地元の産業に資することを計画しますが、上手くいかずに梅林が残され、現在の観光名所となっています。

枚岡梅林

 枚岡梅林は、平成二八年にウメ輪紋ウィルス(プラムッポックスウィルス)に梅の木が感染しました。樹木医に聞いたところによると、このウィルスは、感染した樹木を治癒させる方法が現在は無く、伐採してその場所を数年間放置してウィルスが検出されなくなるのを待つしか手立てがないとのことです。大阪府最古の梅林と呼ばれていた枚岡梅林ですが、このウィルスのために三〇〇本以上の梅が伐採され、明治以来の古木が全てなくなってしまったのは残念です。現在は三年間の経過観察を経て、ウィルスが残っていないことが確認され、約二〇〇本の梅が植樹されています。

 五回にわたって、『河内名所図会』を歩くとして、石切から枚岡に至る過程を紹介しました。『河内名所図会』に描かれている様子と現在の状態との同じ部分、異なっている部分を楽しんでいただけたのではないかと思います。
 歴史的な史跡などは古い時代が注目されがちではありますが、近代の歴史について身近な史跡で感じることが出来るものが、気付いていないだけで身の回りに実はたくさん残っています。普段歩いている道をちょっと視点を変えて歩いてみると、身近な史跡を発見出来るかも知れませんので、ぜひ皆さんも住んでいる地域など近隣で近代の地域史にかかわるものを探してみると楽しいのではないでしょうか。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

いただいたサポートは、史料調査、資料の収集に充てて、論文執筆などの形で出来るだけ皆さんへ還元していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。