あかいすいか

なんか書いとけ

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最近の記事

夕方の風

懐かしい風、夕方の風。 過ぎ去った過去、遠くで聞こえる声。 散り散りに泳ぐ、群青の雲。 サラサラと流れる、肌寒い風。 自転車を漕ぐ、ハンバーグの匂い。 あの時のあの風、似ているようで違う。 変わらない風、変わってしまった僕。 懐かしい風、手に入らない思い出。 思い出すことしか許されない、残酷な風。 それでも覚えているからこそ、思いを馳せ。 手放したい苦しさも、僕のものだ。 夕方の風。 僕を苦しめ、理不尽を魅せる。 この風が好きだ、ずっとこの時間が続けばいいのに。 窓を閉め

    • いやー、盛大にやらかしたわww

      久しぶりにいやなことがあった。仕事でミスをしてしまった。それをとがめられた。帰った後も、お風呂に入った後も、ご飯を食べた後も、胸の奥がズクズクと締め付けられる。自分の失敗なのはわかってる。でも、こんなに苦しかったっけ。最近はつらい思いをすることが少なかったから、忘れてた。明日も仕事。頑張れるだろうか。まぁ、頑張るしかないか。そうだろうか。 そも、なんでこんなにつらくて苦しく感じるのだろう。柄にもなくまじめに取り組んでいたからだろうか。まじめにやってこの程度なら悩んでいるのもあ

      • ヤギの郵便

         ある日の朝、白ヤギのもとに一通の手紙が届いた。あて名には黒ヤギと書かれていた。 「わぁ! 黒ヤギくんから手紙が来た!」  白ヤギと黒ヤギは小さいころからの腐れ縁であった。二人はいつも一緒にいた。無二の親友であった。そんな二人も就職を機に疎遠になっていた。二人の別れから、数年たった今、突然送られてきた手紙。何が書いてあるのかな? 白ヤギの興味はすっかり手紙に向いてしまった。  東をゆっくりと登る太陽が淡い水色の空を広げている。春先のこの時分は少し肌寒い。白ヤギは自分の体を

        • ウルトラマン

          今日、シン・ウルトラマンを見てきた。 小さい頃はよく見ていたウルトラマンだが、小学生の頃にはめっきり見なくなって、十数年ぶりにウルトラマンを画面でみた。カラータイマーは無くなっていたけど、とてもカッコよかった。 初めて見たウルトラマンは初代のウルトラマンだった。今日見たウルトラマンも初代のウルトラマンだろう。彼に関していえば、20年近く会っていなかった。ほんとうに久しぶりだったけど相変わらず、デカいし、強いし、なんだかよくわからない存在なままだった。ただ、今日は彼について一

          懐かしさ

           最近、懐かしさに身を震わせる瞬間が増えてきた。その懐かしさを感じるたびに、それがいつのことを思い出しているのか、一生懸命考えて、思い出そうとして、結局なにをそんなに懐かしんでいるのか分からなくなる。  そもそも、この体中が揺さぶられるような、感情に圧倒されるような、言葉にならないこの情動は懐かしさなのだろうか。懐かしさを感じる瞬間は、今に不満があるから感じるのだとどこかで見かけたが、私は過去よりは今の方が生きている感じがするから、今に不満があるわけではない。であるならばこの

          藤本タツキ「さよなら絵梨」を読んで

          ネタバレあるから気をつけてね  たぶん、タツキ先生は漫画を描く上で、自分がやりたいことを最優先にして描いてるんだと思う。中盤、絵梨をとった映画がみんなの涙を誘った、有り体にいえば、作品が認められたけれど、主人公は全く満足出来ず、その作品を編集し続けた。そして、最後にとても清々しい表情の背景で廃墟が爆発するコマで終わる。あの、クソだと散々言われた爆発オチで。  きっとタツキ先生はみんなによく分からないと言われたり、商業的な成功なんかよりも、自分が描きたいものを描いてるんだと

          藤本タツキ「さよなら絵梨」を読んで

          ガンバロー

           先日、非常に感動した漫画をpixivで読んだ。 サボロ―とぼく https://www.pixiv.net/artworks/55507460  この漫画を読んで、仕事中なのに感情ぐちゃぐちゃになって、目頭が熱さが遠のいたころ、ふと冷静さを取り戻した俺は、自分が頑張れているのかを振り返ったが、どう振りかえってもサボってばかりであった。過去は学業、人間関係、現在は家事に始まるやるべき雑事、仕事、現在牛歩で挑戦中の小説、何につけてもサボってばかりである。  そんな私には、サ

          運命は変えられるのか

          誰かが運命は変えられると言った。僕はそうは思わない。運命は誰にも変えられない。運命とは、受け入れるものだと思う。 例えば、宿題をサボったとしよう。それはその人がその日宿題をサボるのは予め決まっていた運命だ。例えば、心機一転新しいことを始めた人がいたとする。その人が、その日何か新しいことを始めることはその人の運命で決まっていることだと思う。例えば、誰かが事業に成功したとしよう。その人は事業に成功する運命だったのだ。 なんでこんな風に考えるのか。運命は変えられると考えた方が幾

          運命は変えられるのか

          僕は努力が嫌いだ。

          僕は努力が嫌いだ。 努力の二文字を使えば何でもやった気になれる風潮が嫌いだ。 他人が、世間が、もっと広い何かが僕に押し付けようと動く。 その最たる言葉が努力だと感じる。とても嫌いだ。 努力という言葉が使われるとき、その背後に、「いやなことでもやらなきゃいけないんだから、やれ」というネガティブな意思を感じるのだ。 なぜ、いやだと感じながら物事に取り組むことを強制されるなければならないのか? 必要なだから、やる。それだけで済むものになぜ努力という枕詞をつける? 物事を自

          僕は努力が嫌いだ。

          なぜ、夏目漱石の『こころ』に引き込まれるのか。

           高校生の時に授業で読んだ『こころ』という作品。当時なんであんなに引き込まれたのかが不思議でした。最近、もう一度読見返してみて、僕なりにこういう部分が僕を、ひいては読む人を引き込む魅力なのではないかと考えたので、3つほど記していきたいと思います。 1.死と謎 古今東西、あらゆる謎は人々を魅了してきました。また、死も普段あまり意識することのない人々には、こと小説において抗いがたい魅力があると思っています。  『こころ』では、この二つが随所にちりばめられていて、純文学特有の比喩

          なぜ、夏目漱石の『こころ』に引き込まれるのか。

          書け

          書け、書き殴れ、書き続けろ。 一行でも多く、一文字でもいい。書け。前に進め。 もう何も書けない、何も思いつかなくても書け。 一歩踏み出せ。足が出ないなら、体を前に倒せ。 そのまま倒れたら這いつくばったまま進め。 書け、書け、書け。たとえ納得しなくても、誰にも見られず終わっても。ただ、書き続けろ。

          怖いこと

           電車を一番前で待っている時、ふいに、後ろから押されて突き落とされるのではないかと、思う事がある。急に昔の知り合いから電話がかかってきたとき、その相手に何か悪い事をしていて、復讐されるんじゃないと思ったりする。さっきやった作業、何かミスってないかな?今のあの人の反応、気を悪くしていないだろうか。実はみんな、僕の事が嫌いなのでは?  ちょっと危ないところまで来たので切り上げるが、普段から些細なことによく怯えている。考えすぎなのは頭ではわかっているか、こう考え出すとなかなかそこ

          風景

           都会の風景はモノトーンだ。どこを見ても鉄筋コンクリートに覆われていて、なんというか息苦しい。僕は緑の多い自然の中のほうが落ち着くたちなので、余計にそう思ってしまう。緑豊かな公園なんかは特に好きで、思いっきり息を吸って、草木のにおいを肺にいっぱいにして、息を吐く。それだけで、日々の疲れや雑念が払われる感じがする。  そういうわけで、ひどく端的に言うと、僕は都会が嫌いだ。人も多いし、ごみごみしているというか、あの無味乾燥とした建物たちがどうしても受け入れられなかった。けれど最

          答え

           人生における自分自身の答えは自分の中にある。どれだけ探してもそこら辺に転がってはいないのだ。故に自分自身を内省し、内から湧き出る答えを探す。  では、最初から内側だけを見ていればいいのかというと、残念ながらそれだけでは足りない。自分自身の答えを得るには外を歩き回らなければならない。外で見たこと、触れたもの、それらについて考え、自分の内で何を感じるかを観測する。そして、また外へ行き、内へ戻る。それを何度も何度も繰り返して、自分の答えを探す。  そして、見つかった答えは人に

          リラックマ

           今日はうちにいるリラックマについて、書こうと思います。ええ、リラックマがかわいい、なんて全人類が知っているであろうことを、とやかく書く気はないですよ。ほんとに、ほんとですって。  一体、リラックマのぬいぐるみについてなにを書くんだと、気になるところでしょう。それを書く前にこのリラックマとの出会いから辿っていきましょうか。  といってもいつから実家にいたのかわからないですけどね。はは、企画倒れしそう。まぁ、それじゃあ話にならないので、少し昔話をしようかと思います。小さいころか

          ほめること

           一人暮らしを始めてしばらくたったが、相変わらず家事は面倒くさい。掃除、洗濯、炊事。毎日きちんとやっている方々には尊敬の念を抱かずにはいられない。僕はそのあたりルーズなので、何日かにまとめてやったりするようになって、生活のリズムができてきた気もするが、始めのうちはさぼることも多かった。最近、家事がうまく回っているので、なぜだろうと考えてみたのだが、何か家事をやるたびに自分をほめていることに気が付いた。  掃除をしたら「えらい!」、料理をしたら「うまい!」、洗濯をしたら「助かる