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ヤギの郵便

 ある日の朝、白ヤギのもとに一通の手紙が届いた。あて名には黒ヤギと書かれていた。

「わぁ! 黒ヤギくんから手紙が来た!」

 白ヤギと黒ヤギは小さいころからの腐れ縁であった。二人はいつも一緒にいた。無二の親友であった。そんな二人も就職を機に疎遠になっていた。二人の別れから、数年たった今、突然送られてきた手紙。何が書いてあるのかな? 白ヤギの興味はすっかり手紙に向いてしまった。
 東をゆっくりと登る太陽が淡い水色の空を広げている。春先のこの時分は少し肌寒い。白ヤギは自分の体を覆う白い毛をぶるっと震わせたが、逸る気持ちを抑えられず、その場で手紙を読もうと封を開けようとした。が、糊がぴったりとくっついた封筒は、なかなか口を開けてくれない。

「むむむ、黒ヤギくん、こうゆうところをきっちりやるの、相変わらずだなぁ」

 白ヤギは悪戦苦闘しながら、何とか糊をはがそうとした。無理に爪で掻いたせいで、封筒の端はボロボロになってしまった。

──ぐぅ~~

大きくなったおなかの声を聞いて、白ヤギは、まだ朝ご飯を食べていないことに気が付いた。
──ぐぅ~~~~~

もう一度、今度はもっと大きな音で、腹の虫は飯をよこせとせかしてくる。

「う~ん、おなかすいたなぁ。封筒全然あかないし……手紙はご飯のあとでもいいかなぁ」

白ヤギはそう考えて、家に戻ろうとした。ふと、手元を見るとさっきまであった封筒が消えていた。
あれ? 白ヤギはあたりを見回したが、手紙はどこにもない。
そうして、白ヤギは自分の口に何かほおおばっていることに気が付いた。

──むしゃむしゃ、もしゃもしゃ

うーん、この茶封筒はなんと香ばしい香りなんだろう!
糊の香りもいいアクセントになって、薄味の再生紙が美味しく感じられる……。
最高の調味料だね!

「あああぁぁぁぁぁ!!!!!!」

白ヤギは愕然と膝を落とした。

「て、手紙……だべちゃった……!」


 ある夜、黒ヤギのもとに一通の手紙が届いた。ポストに手紙が入っているのを見るや、黒ヤギはその手紙に飛びついた。
あて名は……白ヤギからだ。

「おお! 無二の友よ! とろくさい奴だと思って、あまり期待していなかったが、やっぱり持つべきものは友達だな!」

 黒ヤギは、いわゆるブラック企業に就職していた。給料だけで選んだのがまずかったのか。確かに、求人では他より頭一つ抜けた報酬であったが、その実、激務続きの職場だった。ほとんど毎日残業漬けで、いつも終電に乗るために駅まで走る。黒ヤギが入る前は、残業代すらちょろまかして未払いだったとか。
 こんな具合でろくでもない企業に黒ヤギは就職していた。そんな環境に入って1年が過ぎたころ、激務続きに嫌気がさした。休日は死んだように寝てばかりで、昔好きだった読書もほとんどできず、ただ仕事をして帰るだけの毎日。そんな生活をやめようと、転職を考えるも、迫る職務に忙殺され、ほとほと身動きが取れないまま、それから2年ほど働き詰めていた。そんな彼はある日ふと、白ヤギのことを思い出した。そういえば、彼は役所勤めになったと最後に会ったとき言っていたな。

「あいつなら、何かいい口を見つけてくれるかもしれない」

 一縷の望みをかけて、筆をとる。かくかくしかじか、現状と働き口を見つけてくれるようにしたためて、その日のうちにポストに投函した。
その返事があくる日には手元に来たわけである。
黒ヤギは手紙を握りつぶすほどに握り、かつて終電に間に合うために走った速度の10倍の早さで家に飛び込んだ。
中身! 中にはなんて書いてあるんだ!

──封筒は糊でしっかりと封がしてあった。

「あいつ! なんでこんな時に限ってきっちり封をしてやがる!」

いつもは手紙の封なんかしないようなやつなのに……、何の風の吹きまわしだ!
思わずびりりと破りたくなる気持ちを必死で抑え、黒ヤギははさみを探した。

──ぐぅ~~

うう、腹が減った。さっき帰ったばかりで何も食べていない……。

──ぐぅ~~~~~

一段と大きな音が静かな部屋に鳴り響く。

「くそぉ! 俺の生活がかかってるんだ! 空腹なんかに負けてたまるか!」

 黒ヤギは、文具箱をひっくり返しながら、目を皿にしてはさみを探した。
──はさみ……はさみ……あった!
やっとの思いで見つけたはさみ。大事そうに握りなおして、いざ封を切ろうとして、危うく手を切りかけた。
見ると、さっきまで手に持っていた封筒がなかった。
黒ヤギはすぐにあたりを見渡したが封筒の気配は微塵もなかった。
そして、口元に何かついていることに気が付いた。
茶色の紙の切れ端だった。
口に広がる、ざらざらとした触感。
黒ヤギはすべてを悟った。

「──ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁ」

 黒ヤギはうずくまった。声にならない声を上げて。
黒ヤギの慟哭はしんと静まった住宅街に這うように消えていった。


 それから、白ヤギと黒ヤギの文通が始まった。白ヤギは朝、黒ヤギの手紙を確認しては間違えて食べた。そして、手紙を食べてしまったこととなんの用件だったか、また送ってほしいといった内容の返信を送った。
 黒ヤギも深夜、家に着いたらポストを確認した、手紙があったときは今度こそと思って、また食べた。そのたびに崩れ落ち、手紙を食べてしまったことと、手紙の返事が欲しいことを、白ヤギに送った。
 そんなやり取りが何週間か続いたある日、白ヤギのもとにぱたりと手紙が届かなくなってしまった。白ヤギは数日、ポストを覗いていたが、明日になっても、一週間たっても、ひと月たっても手紙はやってこなかった。
 いつも手紙を食べてしまうから、ついに愛想をつかれてしまったんだ……と白ヤギは落ち込んだ。そうして、今度菓子折りでも持って黒ヤギのところに謝りに行こうと決心した。
 閑散とした町役場の受付で帆杖をしながら、いつ行こうか……とぼんやり考えていると、見覚えのある黒い影が見えた。
「あ! 黒ヤギくん!」
「あ、白ヤギ」
二人は向かい合って互いに
「ごめん!」「すまない」
と口々に謝りあった。
そして、互いにこれまでの経緯を話し合った。
黒ヤギはあの後、ついに体調を崩し、仕事を辞めていた。
役場には失業手当の申請に来たらしい。

「そっか……大変なのにごめんね、僕が手紙を食べちゃったから」
「なに、お互い様だろ。俺だって最初から仕事をやめていれば、こんなことにはならなかった。勇気がなかったんだ。辞める理由にお前を使ってた。自業自得だよ」
白ヤギは少し笑って
「黒ヤギくんは相変わらず生真面目だね」
「うるせぇ、白ヤギがのんびりしすぎなんだよ」
「えー、そうかなぁ」
「そうさ」
2人は向かい合って笑い合った。
「積もる話もあるけど、仕事に戻らないと」
「それならこの後飲みにでも行こうぜ。お前のおごりで」
「しょうがないなぁ、行こう! 退職祝いだ!」

 西へと傾いた太陽は、だんだんと空を朱色に染め上げていく。
移り変わる空の下、二人は、こじんまりとした居酒屋に腰かけて、思い出話にふけった。
だいぶん酒も入ったころ、白ヤギは尋ねた。

「黒ヤギくんはこれからどうするの? 当てがないならこっちで求人は探せるよ」
「いや、しばらくは休む。まだ本調子じゃないんだ。医者にもしばらく安静にしろって言われてるしな」
「そうなんだ。生活費とかは大丈夫なの?」
「ああ、なんせ働きまくったからな。金だけはそれなりにある。向こう数年は何とかなるさ」
「へぇ~、じゃあここは黒ヤギくんもちで……」
「な、おま! さっきおごるって」
「あはは! 冗談さ」

黒ヤギはため息をついた。
外はもう夕日が沈み、紫色の空がだんだんと夜の深い紺色に染まっていく。

「時間ができちまったからな、たまった本がたくさんあるんだ。読んでいかないと」
「相変わらず本が好きだね。せっかくだし何か自分でも書いてみたらいいんじゃない?」
「へっ、社畜の書いた本が売れるかよ。まぁ、でもやってみるか。ひまだしな」
「原稿用紙は食べちゃダメだよ」
「お前に言われたかねーよ」
「ちぇ、ニートうらやましいなーいいなー」
「うっせ、お前もほとんどひまじゃねえか、ちゃんと働け」
「なんだとぉ、こんにゃろう」
「あはは」「えへへ」

 二人の笑い声がはいっそう大きく響き渡った。暗くなった町に街灯が灯り、穏やか夜が流れていく。にぎやかな声はいつまでも、いつまでも、響き渡っていた。


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