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なぜ、夏目漱石の『こころ』に引き込まれるのか。

 高校生の時に授業で読んだ『こころ』という作品。当時なんであんなに引き込まれたのかが不思議でした。最近、もう一度読見返してみて、僕なりにこういう部分が僕を、ひいては読む人を引き込む魅力なのではないかと考えたので、3つほど記していきたいと思います。

1.死と謎

 古今東西、あらゆる謎は人々を魅了してきました。また、死も普段あまり意識することのない人々には、こと小説において抗いがたい魅力があると思っています。
 『こころ』では、この二つが随所にちりばめられていて、純文学特有の比喩表現も相まって、読む手を止めさせないようになっていると感じます。序盤から先生から漂う歩く死人のような感じやつかみどころのない感じ、2章の私の父が危篤の状態に陥る下り、先生の遺書、Kの死とその理由。最後まで死と謎について意識する部分はこの作品の大きな魅力の一つであり、同時に物語からなかなか離れられない、ひきつけてやまない要素だと思います。

2.恋

 映画は恋愛要素を盛り込めば、観客は最後まで見てくれる。という話を聞いたことがあります。これだけだと語弊がありそうですが、確かに恋の話は多くの人が理解しやすく、共感しやすい部分です。この作品でも恋は重要な要素としてお話が展開します。私の先生に対する、恋に近い思慕、お嬢さん、先生、Kの三角関係。それら男女の微妙に揺れる感情を見事に表現しているので、なんというか、読んでいて、生の感情をぶつけられたようなむず痒さを感じました。
 このあたりの人の気持ちの流れは、さっきの死や謎よりもより直接的に引き込んでくるような魔力を感じます。まさに恋は罪悪なのでしょう。底なし沼のように引きずり込む魅力が恋であり、この作品はその力を遺憾なく発揮していると思います。

3.覗き見

 最後に、この作品のもっとも大きな魅力…というより、引き込まれる要素として、この作品そのものが他人の秘密を覗き見ているという構図にあるからではと考えました。ここは主に先生の遺書がメインですが、一般によく知られているのは先生の遺書でしょうし、皆さんもここが一番好きな方が多いんじゃないかと思います。
 この覗き見と称した理由は、先生の遺書は私宛にかかれ、私にしか見せないというつもりで書いてあるという点にあります。遺書の冒頭でそう宣言し、最後も妻には知らせる気はないとの記載もありましたから、小説という形を無視すれば、あの遺書は本来、私しか目を通さなかったわけです。しかし、この小説を読むとき、私たちはその一個人の大きな秘密を読者という第三者の目線で覗き見るような構図で知ることになります。
 なんというか、ちょっと背徳的な感じ…というのでしょうか。人のうわさや秘密はみな興味を引かれてしまうように、この小説は土台に秘密の開示をもってくることで、より物語に引き込むようになっているのだと思います。実際、先生の遺書は一言一句目が離せなかったのを読んでいて感じたので、個人的には絶大な効果があったのではないかと思っています。ゴシップ的…という言い回しだと違う気がしますが、当時『こころ』は新聞連載で発表された作品だったようなので、定期的にこの話を追ってた人たちはより引き込まれたのではないかと思います。

最後に

 ここまでお読みいただきありがとうございます。まぁ、書いている感じからしておわかりいただけるかと思うのですが、結局自分の発見としては三つ目が一番お伝えしたかったことでした。もちろん、上で述べた三つの要素がすべて相乗効果になって、作品の深みがえらいことになっているのは言うまでもないと思います。
 改めて『こころ』を読み返して、なんかのぞき見してるみたいで、ちょっと気持ち悪いなと思ったのをきっかけにいろいろ考えてみた結果、こういった要素が僕らをひきつけてやまないのかなと、自分なりの作品の魅力を考えられたのはすごくいい経験になったなと思います。いまだ書籍が売れ続けているのもこういう理由なのかもしれないですね。ただ、古い作品ですので、何番煎じだとか、見落としがあるとかはあるかと思いますが、自分の疑問に対して自分なりの答えを出す、というのは初めてのことだったのでいい機会をもらえたなと思います。夏目漱石が文豪と呼ばれるその一端を垣間見れた…かな、見れてるといいなぁ。あんまり自信ないなぁ。
 長くなりましたのでこれにて。では、夏目漱石に感謝を込めて。


夏目漱石 こころ - 青空文庫 Aozora Bunko
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