見出し画像

(小説) 廃業

 
(400字詰め原稿用紙30枚弱の、読み切り小説です)
 
 
  『 廃業 』
 
  (  1  ) 
 
 そろそろ寝ようかとトイレに立った幸三は、用を済ますとその先に繋がっている店舗に足を向けた。
 
 少し軋むガラス戸を、音を立てないようにそっと開ける。店舗を見つめる姿を、妻の良子に気付かれたくないという思いがあった。
 
 暗い店内をじっと見る。明りは、幸三の立つ廊下の電気と、曇りガラスの小窓から入る街灯の光だけ。とても店の中には行き渡らない。それでも凝視していると、全体がぼんやり浮かび上がってくる。
 
 降ろされたシャッターの手前には冷蔵ショーケースがある。ずらりと商品が並べられていたのが嘘のように、今は空っぽだ。奥には業務用冷蔵庫の、金属製の重い扉。絶えずモーター音を響かせていたそれも、今は静まっている。水気に包まれた床や作業台に、水分は一滴もない。
 
 店へと続くガラス戸を開けたのは1週間ぶり。見ればさみしくなるだけなので、しばらく避けていた。
 
 商店街はシャッター通りとなり、閉店してしまった店がそこかしこにある。それらの店主たちも今の自分と同じように、夜、輝きがなくなった店内をじっと見つめたりしているのだろうか。幸三は廃業した近所の店舗を頭に浮かべる。
 
 他人から見ればたいしたことのない、ゑびす屋という、商店街のはずれにあるちっぽけな精肉店。しかし幸三にとっては大きな存在だった。もっとも営業しているときは、これっぽっちも意識しなかった。廃業して初めて、存在が大きかったことに気付いた。
 
 あまり長くいると妻に気付かれてしまう。店を眺めていたからといってどうだということはないが、未練たっぷりなように受け取られるのはなんとなくバツが悪い。幸三はガラス戸を、音をたてないようにそっと閉めた。
 
 
 ( 2 )
 
 総合病院の大きな自動ドアをくぐるのは1ヶ月ぶりだ。ここにはもう半年ほど、定期的に通っている。
 
 受付で番号を受け取った幸三は掲示板に目を向けた。現在表示されている番号と、手に持つ札には数字にかなりの開きがある。まだ店をやっていたときには早く戻らなくちゃいけないのにとイライラさせられたものだ。しかし今では、待つことこそうんざりさせられるものの、実際に急がなければならない用件はない。これはもう、のんびり待つに限る。
 
 中2階の喫茶ルームに行く。以前は気が急いて、とてものんびりコーヒーを飲む気になどなれなかった。
 
 いかにも施設の中にある喫茶店といった感じの、安っぽいテーブルとイスとコーヒーカップ。それらは白で統一されていて、清潔感を漂わせようとしているのだろうが、傷や汚れが余計に目立ってしまう。
 
 日常すべてがのんびりしてしまって、老いた体には無理がかからなくていいと分かっていても気持ちの方が折り合わない。開店の前から準備や納めで忙しく動き回り、店を開けば接客と調理、そのあい間をぬって配達と、小商いは1日中なにかに追われ、落ち着くヒマがない。そんな生活を半世紀にもわたって続けてきたのだから、いきなりペースを落とせといってもそう簡単にはいかない。調子が狂って、逆に早死にしてしまいそうだ。もっとも70代に突入して早死にもないもんだなと、幸三は苦笑した。
 
 コーヒーを飲み終えて1階に降りる。3人掛けの黒い長椅子はどれも、それぞれの端に2人座っている。割り込んで真ん中に座るのも窮屈だろうと、幸三はうしろの方で立っていた。長時間立っていようがへたばることはない。体力には自信があったのだ。だから正直、あんな程度の体調のくずれで店をたたんでしまったのは早計だったのだろうかと、ことあるごとに悩む。今さらなのだが。
 
 目の前の席が空いたので、それならと、腰を掛けた。本も新聞も持っていない幸三は、手持ちぶさたと空調が心地好いのとで、すぐに眠たくなった。ウトウトして目を覚ましては番号を見て、またウトウト。そうやって待つこと1時間ちょっと、ようやく番号が表示されて幸三は立ち上がった。
 
 幸三は医者嫌いで、風邪で熱が出ようが包丁で深く切ろうが、周囲の説得もよそにいつも自然治癒と突っぱねる。だから病院など詳しいわけではないのだが、診察室の扉はずっしり重いものというイメージを持っていた。しかしここのそれは軽くて滑らか。彼はその手応えのない扉を片手で開けて中へ入った。
 
 向かい合うのはメガネをかけた、幸三の3分の1ほどの年齢の医師。いや、そう見えるだけで、実際には半分くらいの年齢だ。この時代は幸三のような年配者から見ると、誰もが実年齢より見た目が若い。
 
「仕事の方はどうされました?」
 
 それが医者の第一声だった。幸三は正面を見据えてきっぱり、先月廃業したと言った。
 
「そうですか。でも、それがいいですよ。体の負担が大きすぎましたからね」
 
 医者は淡々とした口調で言った。
 
 幸三にとっては断腸の思いでのことなので、あまり簡単に言ってほしくない。そう思うが、医者には医者の視点があるのだから仕方がない。幸三は小さく頷いた。
 
 70をすぎてすぐ、幸三はなんの前触れもなく眩暈を起こした。
 
 それは店の中でのことだった。店を閉めて作業台を洗っていたのだが、両腕を広げて大きなまな板を持ち上げようとしたとき、いきなりぐるぐると周囲が回りだした。何が起こったのか分からず、作業台に両手をついて踏ん張り、収まるのを待った。しかし収まるどころか吐き気も込み上げてくる。これはまずいと、幸三はその場にしゃがみこんだ。まるで絞られているかのように全身から汗が流れてきて、汗の影響からか寒気も強く感じた。
 
 それら一連の症状がつらいと思ったのは、実際にはあとから振り返ってのことだ。そのときはなにより、経験したことのない眩暈というものにただただ驚き、どうなってしまったんだと戸惑うのが先だった。脳溢血や脳梗塞などの言葉が頭をよぎり、恐怖心がつらさの先に立ってしまった。
 
 助けを呼ぼうかと考えたが、声を出すのが億劫だった。もう少し様子を見ようと、作業台の柱をつかみながらじっとしゃがんでいた。そうしているうちに少し収まってきた。どれくらいしゃがんでいたのか分からない。時間の感覚というものがつかめなかった。不安も手伝って、とても長く感じた。
 
 幸三は這うように進んで、丸椅子に腰掛けた。少し収まったこと、移動できたこと、座れたことで多少は安堵した。しかしまだ眩暈は続いていて、壁に背をもたれていないと椅子から転げ落ちてしまいそうだった。
 
 ぼんやり壁を見つめていると、ようやく視界も正常になってきた。落ちそうになる感覚も収まった。状況はまったく分からないが、収まってみるとたいしたことがないような気分にもなる。騒ぎたてたくないし、変に心配をかけたくもない。だからこのことは、妻に言わないでおいた。
 
 それからしばらく何もなかったが、半月たった頃にまた眩暈が起こった。そのときもシャッターを閉めてからのことで、しかし前回と違って妻の良子が一緒にいた。
 
 彼女はいきなりしゃがみこんでしまった幸三に驚いて駆け寄った。
 
「どうしたの!」
 
 慌てた声で訊く良子に、幸三は短く、眩暈だとだけ言った。
 
 少し落ち着いて立ち上がろうとする幸三を、良子は懸命に止めた。脳溢血を疑ったからだ。無理に立ち上がってバタンといかれたのでは取り返しがつかなくなると幸三に訴えた。そこで幸三は椅子を持ってきてくれと頼み、座ると作業台に突っ伏して体を支え、眩暈をやり過ごした。
 
「あぁ落ち着いてきた。タオル取ってくれ」
 
 顔は青ざめていたが発する言葉が明瞭で、良子はそれでひとまず安心した。
 
 どれくらいの間眩暈を起こしていたか分からなかったが、良子が言うにはしゃがんだのを見つけてから落ち着いたと聞かされるまでだいたい5分くらいだったという。
 
 見られたからには、観念して先日のことを話した。
 
「なんでそんなたいへんなこと知らせなかったのよ!」
 
 すごい剣幕で良子に言われたが、だるさが全身に残っていて、反論もしなければ謝りもしなかった。ただしかめ面で良子を見ていた。
 
 良子はなんとしても幸三を医者に行かせるため、離れて暮らす2人の子どもに眩暈のことを知らせて協力をあおいだ。そして2本の電話から強く強く勧められた幸三は久々に病院の扉をくぐることになった。もっとも今回は幸三自身も驚いていたので、検査の必要性は感じていた。職業柄、腰や肩など故障はあちこちにあったが、体の内側から来る異常というものは経験したことがなかった。
 
 最初に行ったのは耳鼻科だった。長男の啓一が、眩暈ならまずメニエール病を疑ってみてはと言ったからだ。幸三の知らない病名だったが、けっこう多い病気だという。耳の内部の平衡感覚をつかさどる器官の故障で起こるものだ、と啓一に説明された。
 
 そこで検査をしたが、耳に異常は見られないという。うやむやにしたくない良子は、それをすぐさま啓一に連絡した。そして今度は脳神経外科ということになり、そこでは当然脳を調べられたが、異常はなにもなかった。
 
 長年の力仕事で首を痛めていたことを長女が思い出し、総合病院の整形外科に行けと言ってきた。まったくたらい回しだと憤慨しながらも、娘の剣幕に圧されて素直に従った。
 
 いくつかの検査をした。採血、レントゲン、CT、造影剤を注入してのMRI。そこではこれまでと違い、はっきり異常を伝えられた。頚椎がつぶれて大きくゆがんでしまっているという。それによって、頚椎の横を通る動脈の血流が悪くなり、その影響から眩暈が起こるのでしょうと説明された。
 
「手足に痺れは出ていないでしょうか?」
 
「いや、それはないなぁ」
 
「そうですか。けっこうすごい歪みなんですけどね。これで眩暈だけだったら、症状としてはむしろ軽い方ですよ」
 
 医者からは変な慰め方をされた。ともかく、頚椎の歪みが確実に眩暈に結びついているとは断定できないが、首を激しく動かしたり急に振り向いたりしたら眩暈が起きやすくなる率が高くなるということで、おとなしくしているように結論付けられた。
 
「おとなしくって……。そりゃ無理ですよ、重いもん運ぶ商売やってんだから」
 
 幸三が言うと、医者は机から幸三の方に向いて、とんでもないと声のトーンを上げた。
 
「重い物を運ぶのは危険です。今後力仕事はしないようにしてください。それから車の運転も。無理をしてこれ以上進行すれば、神経を圧迫して車椅子か寝たきりってことにもなりますよ」
 
「えっ、治んないんですか、これ?」
 
「うーん、むずかしいですね。折れたり切れたりではなくて磨り減ってるわけですからね。もう70歳を越えてますし、うまく付き合っていくしかないと思います。進行しないよう心掛けていきましょう」
 
 医者は子どもを諭すように、そう幸三に言ったのだった。それ以降は、ほぼひと月に一度の割合で通院していた。
 
「商売をやめてどうです。体は楽になったんじゃないですか?」
 
 医者はにこやかに言うが、幸三は諸手を挙げて同意する気になれない。どうかな、と首を傾げた。
 
「眩暈の方はどうです、この1ヶ月で?」
 
「1回。そんなにひどくはなかったけど」
 
 医者はカルテにボールペンを滑らせた。
 
 最初こそ様々な検査をしたが、ここ数ヶ月は問診で短い言葉を交わすだけだ。そしてまた来月来てくれとなる。治療と感じられるようなものはない。
 
 完治はむずかしい……。素人目にも分かるほど首の骨が変形している画像を見せられ、納得してはいた。それでもここまでお座なりな感じを受けると、治る手立てを放棄されているようにも思える。患者の立場からすると、なにもしないということがつらい。
 
 完治せずに今後も眩暈が続くという説明を受け止め、幸三は店をやめる決心をした。体の負担を考えてというわけではない。医者の注意にあった、運転をするなという言葉を受け止めてだ。配達があるので、仕事は車の運転が不可欠なのだが、運転中に眩暈を起こせば他人を傷つけてしまうかもしれない。自分がどうにかなるのは仕方ないが、他人の人生を暗転させてしまうわけにはいかない。車の運転ができないのであれば、これはもう、商売を続けるという選択肢はなかった。
 
「先生、前にちらっと言ってたけど、ホラ、手術すれば完治する可能性があるって」
 
 幸三は煮え切らない状況を打破するべく、今回はこの質問をぶつけてみようと考えていた。しかし医者はため息をついて首を振った。
 
「たしかに可能性はあるんですがねぇ。でも前に説明したとおり、危険でむずかしい手術なんですよ。頚椎の部分は重要な神経がたくさん通ってますからね。ちょっとでも間違えて他の神経を傷つけてしまったら、手足や下半身が一生動かなくなってしまいます」
 
 現在手足が動かせられないということであれば、失うものがないので手術するという選択が有力になる。しかし痺れすらなくて、ときおり眩暈が起こる程度であればリスクが高すぎると言う。手術で後遺症が出た場合、大きく後悔することになると言うのだ。
 
「とても勧められません」
 
 医者は強く言った。
 
 幸三としても、車椅子生活になる確率が高いと言われれば怯んでしまう。
 
「長年やってきたお仕事をやめて、もどかしい気持ちも分かります。でも同じ程度の歪みでもっと苦しい症状が出てる患者も多いのですからね。年齢も年齢ですし、ですので……」
 
 結局は、病気とうまく付き合えという、これまでと同じ言葉を受けて病院をあとにした。
 
 
 (  3  )
 
 幸三はその日、久しぶりにシャッターを開けた。店の中にある桶とカゴを、公共の粗大ゴミ回収所に持ち込むからだ。
 
 仕事仲間が無蓋の2トン車で運んでくれるということで、幸三は店の前で待っていた。
 
 桶とカゴ、などと一口に言っても、業務用のものでとても1人では運べない嵩と重量だ。両方ともプラスチック製とはいえ、桶はバスタブほどの大きさで厚みもあり、金属の車輪が付いている。持ち上げるどころかひっくり返すことすら容易ではない。カゴだって桶に比べれば小さく薄いが、とてもゴミの収集日にパッと出すわけにはいかないものだ。
 
 向かった粗大ゴミ回収所では、目方で料金を取られる。いくつもあるのでかなりの額になるが、仕方のない出費だ。これ一つ取っても、廃業というものはたいへんな手間と金額を要するものだと思い知らされる。
 
 幸三は帰り、友人に飯をおごり、礼金を渡した。すでに得意先を何軒か紹介されていた友人は受け取れないと突っぱねたが、幸三はむりやりポケットに押し込んだ。業者に頼めばもっと高くつくだろうし、重い物なのにスムーズに運べたのは、こういう道具を扱い慣れている同業者だからこそだ。
 
「コーさん、今までたいへんだったんだからよ、のんびりしてナ。また遊びに来っからよ」
 
 店の前で幸三を降ろすと、友人はそう言って車の中から手を振った。道に立ち、トラックがだんだん小さくなるのを幸三はじっと見ていた。30年以上になる仕事仲間で幸三を慕ってくれていたが、彼とはもう会うことはないだろうと小雨の中でぽつねんと見つめた。また来ると言ってはくれたが、仕事で縁が切れればそうそう足も向かなくなる。友人はまだ現役で、日々忙しく動き回っているのだ。だれか共通の知り合いの葬式で会うか、へたをすれば自分の葬式で相対するくらいだろう。雨で霞んだ通りを、ウインカーを出したトラックが左折して、姿を消した。
 
 廃業。頭や体を使わなくなり、社会との接触がなくなるのは勤め人も同じだ。しかし定年という決められた期日でやめるわけではない。少しでも長く続けようというのが商人の持つ性質なので、たいていの幕引きは、老いてどうしても体が追いつかなくなったとき、となる。商人は老いと引退が同時なのだ。
 
 そのうえ、後片付けにエネルギーの消費を強いられる。「はい、今日でおしまい。明日からなにもしないよ」というわけにはいかない。
 
 継続のための労力であれば多少の無理が利く。しかし廃業はこれ以上ない後ろ向きの行為。商人にとって最も堪えるものだ。そのことに多大な労力を使わされて、商人は気力まで根こそぎ奪われる。そして、自分の人生が終わりに大きく近付いたと実感させられる。
 
 たたんだ店の前でしんみり悲しむなどというのは、ドキュメンタリー番組の中だけのことだ。葬式が気ぜわしくてろくろく悲しめないのと一緒で、廃業もやることが次々と降りかかってきて、感慨に耽るヒマなどない。全部を整理したところでようやく、多少なりともしんみりする余裕が出る程度だ。
幸三は店を見まわす。桶とカゴもなくなり、持ち出せるものはあらかたなくなった。あとはショーケースと、はめ込み式の業務用冷蔵庫だけ。この2つは家を改築するか取り壊すかするまで、そのままにしておく以外にない。ようやくここまで片付いたので、感慨のわく余裕ができた。それでここのところ、寝る前に店内を見まわすのだった。
 
 今日もまた疲れた。明日の糧にならないことで動き回る疲れは、より堪える。儲かっていれば子どもに継がせるなり人を使うなりしてなんとか続けようというのが商人だ。だから廃業を決めたときというのは店の売り上げがはかばかしくない場合が多い。自分の人生の大半を捧げたものは、本当に小さな商売だったのだと思い知らされてしまう。
 
 書類仕事は少し前に終わらせたが、これにも頭を痛めた。税務署に廃業届けを出し、役所にも知らせる。すべてが面倒。本当に面倒だった。幸三は自分で申告していたからいいが、これが税理士との繋がりでもあれば、その方面でもあいさつしないといけない。
 
 そして廃業するにあたって幸三が最も力を注いだのが、納め先の今後のことだった。
 
 長年付き合ってくれたお客たちなのだ。ウチはやめますから、次の仕入れ先は各自見つけてくださいなどとは絶対にいかない。彼らは生活がかかっているのだから、信用できる仕入れ先を引き継がせなければいけない。
 
 納め先は、企業や施設の食堂など。そして飲食店。
 
 食堂の方は値段さえ折り合えば、わりと簡単に話がつく。まともな商店や業者ならそれほど品物に差はないので、さしたる問題もなく移行できる。問題は飲食店、特に飲み屋だ。これは単に、値段や配達日などの条件が折り合えばいいというものではない。
 
 飲み屋の店主というものはなにがしかのこだわりを持っている。よく言えば職人、悪く言えば頑固者だ。だから自分のメガネに適う人間でないと付き合いたがらないところがある。逆に言えば、認めた人間であれば多少値段が上がろうと納得してしまう。だから、今度はこの店から仕入れてください、と機械的に変更はできないのだ。1軒1軒、店に合った業者を幸三の立会いのもと、引き継がせなければならなかった。
 
 それくらい、気を使う作業なのだ。現に飲み屋の店主の何人かから、なんとか続けてもらえないものかと要望があった。彼らは幸三の窮状を知っていて心配しているにも関わらず、だ。それくらい、長年の取引先を変更したくないものなのだ。
 
 息子さんが引き継げないのか、ということまで言われた。これは施設や会社の食堂など、大きな納め先からは出てこない言葉だ。
 
 納め先の、次の仕入れ先の確保を最優先事項にしたので、廃業する前にはすべての引継ぎを終えられた。だから閉めた月の売り上げは惨憺たるものだったが、こんな程度は泣かないといけないと、あらかじめ覚悟していた。それまで長く稼がせてもらったのだから、恩を仇で返すことはできない。
 
 もちろん、今まで仕入れていた業者へのあいさつもしっかり済ませた。彼ら業者は、長い年月ゑびす屋に合わせて仕入れをしてくれた。大きく伸びて大会社になっても小売りを続けてくれ、本社を移した業者も遠くなったって配達を続けてくれた。
 
 店に来るのは配送員なので、幸三の方から業者1軒1軒に出向いていった。社長や役職たちは手厚く迎えてくれ、互いに働き盛りだった頃の話に花が咲いた。
 
 ちっぽけな商店一つをやめるのだって、ここまでやり遂げないといけないのだ。やめるというのは本当にエネルギーを必要とする。車だって、動かすときだけでなく止めるときも大きな力が必要だ。店もまた、それと同じ。
 
 幸三は、今晩も寝る前にしんみりと店を見るだろうと思った。
 
 
 (  4  )
 
 ゑびす屋は、駅前から長く連なる商店街の外れにある。
 
 まだ幸三が若い頃から大手スーパーはあったが、商店街も賑わっていた。けっしてスーパーの一人勝ちという状況ではなかった。
 
 それが、しだいに商店街が斜陽になっていく。理由はいろいろある。まず、スーパーであれば1軒でいろいろ揃ってしまうという便利さ。それと、話し込むことなく買い物ができるというドライさ。面と向かって商品と金をやりとりする個人商店では、かよっていれば世間話の一つや二つ交わすようになる。それが1軒だけならともかく、八百屋でも魚屋でもとなると、ただ夕食の買い物をするだけなのにけっこうな時間を食ってしまう。良子も、ちょっと買い物にと出て行って、1時間以上帰ってこない日などざらだった。 
 
 これが煩わしいし、時間ももったいない。そう思われる時代になると、商店街は下火になっていった。
 
 ゑびす屋では幸三、良子共におしゃべりを控え、必要以上に客と接しないように心掛けていた。しかしそれでも、客の入りは年を追うごとに減少していった。スーパーに行けば売り場でパックされたものがずらりと並べられているのに、わざわざ街中の肉屋まで足を運ぶ客もいないというものだ。その当時は配達を増やしたのと、スーパーの扱わないモツなどの商品に重点を置いた。
 
 時代が進むと、街中の商店がもてはやされるような風潮も出てきた。その頃から揚げ物や惣菜などが売れ筋になったが、これは食材を扱う商店だけに限られたことで、薬屋や服屋、おもちゃ屋など、手作りや鮮度というものと無縁な商店は苦戦が続いていた。
 
 そうして、追い打ちをかけるように高齢化。斜陽を工夫で凌いできたゑびす屋でさえ、この高齢化は逃れられなかった。
 
 商店街はどの町もシャッター通りと化していく。運よく子どもが後を継いでくれる店もあるが、果たして長い目で見るとそれがいいことなのかどうか、むずかしい。
 
 後を継ぐパターンには2つのケースがある。1つは、なんとかして親の商売をつぶさないでやっていこう、そして自分の世代で拡大しようと野心に燃えながら継ぐ者。もう1つは、よそ様に勤めるより家の方が楽だから、と惰性で継ぐ者。
 
 商店街そのものがさびれてしまっているので、なし崩しに継ぐのは、一時的には助かってもその後に苦労する。赤字経営で、今までの蓄財を切り崩しておっつけることになる。我が子のやっていることなので見ないフリもできず、つい援助してしまう。今までがんばって貯めた老後の蓄えが、どんどん目減りしてしまうことになる。
 
 では野心に燃えている子どもならいいかというと、これもそうとは限らない。店舗の改築など、大きな出費に走ることも少なくない。やる気さえあれば成功するというわけではないし、失敗して借金が残れば野心家ほど打ちのめされてしまう。いずれにしても、次の世代が継いでくれたからといって、当座こそ助かるものの、それを維持するのはたいへんなことなのだ。
 
 ヒマを持て余している幸三は、特に目的もなく商店街を歩くようになった。
 
 具合が悪くなるといっても、それはひと月に1、2度といった程度で、それも10分ほどおとなしくしていれば治ってしまうものだ。その他の時間は健康体となんら変わりない。だからどうしても、ことあるごとにやめたことを後悔する。
 
 仕事というものは、全盛時の状態を落とさずに続けるか、すべてやめるか。二者選択だけしかない。中間でほどよくというわけには、なかなかいかない。だから幸三は、すべてやめる方を採った。しかし体はまだはっきり、仕事を欲していた。なんだか体の真ん中辺りが、ポッカリ空洞になってしまった気分だった。
 
 それを少しでも緩和するために、幸三は商店街をぶらつくようになった。体を動かしていれば、多少、心の穴埋めになるのではと思ってのことだ。それに元来、体を動かす方が性に合っているのだ。病院の待合室でもそうだが、じっとしているとすぐに眠くなる。
 
 雨の商店街。それもウィークデーの午前中とくれば、閑散どころかゴーストタウンの様相だ。商店からの灯りが通りを照らしているが、その明るさとまばらな人通りがアンバランスで、余計に侘しさを際立たせる。あの賑わっていた頃が懐かしい。自分が働き盛りだった頃が、とても懐かしい……。
 
 人が少なくて歩きやすい道を歩く。すいていることは商店街にとっては困りものだが、なるべくゆっくり歩くようにと医者から言われている幸三にとっては都合がいい。ふと、以前は商店街に音楽が流れていたなぁと思い出した。あの伸びきったご当地演歌のテープ、もし今も流れていたら、輪をかけて侘しかったことだろう。
 
 幸三は中ほどにある文具屋に入っていく。こうして散歩をするようになってすぐ、歩いているところを呼び止められた。出された茶を飲みながら四方山話を交わしたのだが、波長が合う感じを受け、それ以降ちょくちょく寄るようになった。もう、今では日課になっている。たとえ仕事がなくなってしまっても、長く働いていた人間にとっては、なにかしら日課というものが必要なのだ。
 
 酒を呑まない幸三にとっては、ここでお茶を飲むことがいいコミュニケーションになっている。文具屋は古くからの顔なじみなのだが、ゑびす屋の客でもあったので、それまでは付かず離れずの付き合いにとどめていた。
 
 寡黙に商売をしてきたことがすっかり身に付いていて、幸三は自分が話すより聞く方にまわることが多い。だからいろんなところでお呼びがかかる。誰もがヒマを持て余して、話をしたがっているのだ。
 
 人気があるのは結構なことだが、敬遠したくなる相手も多い。話が途切れない者、自慢話ばかりする者など。商売であれば仕方なく聞くが、引退したのであれば、もう勘弁だ。
 
 文具屋の店主は話に押しの強さがなく、話題もかみ合う。以前から好感を持っていたが、あらためて、片手間ではなくじっくり話すようになってみると、より好ましく感じた。
 
「で、手術のこと医者に聞いてみたんだろ。どうだった?」
 
 文具屋が言う。
 
 幸三は苦笑いをしながら、首を横に振った。
 
「そうかぁ。でも手術を強行するほどひどい症状ってわけじゃないからな。年も年だし、もううまく病気と付き合ってくしかないんだろうねぇ」
 
 文具屋の口調は淡々としている。医者と同じことを言われた幸三は、そのとおりだなと頷いた。70を越えて完治させようというのは、ムシがよすぎるのかもしれない。
 
 しかし不思議だなぁと思う。同じ言葉でも話し相手によって全然違う。これがもし他の者に言われたとしたら、人ごとだと思って気楽に言いやがってと憤慨するかもしれない。しかし文具屋が言うと、不思議と素直に受け止められる。
 
 家に帰り、そのことを良子に話すと、
 
「友達ができましたね」
 
 と笑って言われた。
 
「えっ、友達って……。なんだかちっちゃな子どもみたいだな」
 
 でも友達でしょ、と良子は言う。だんだん帰ってくる時間が遅くなってる、とも。幸三は腕組みして、うーんと唸る。
 
「大きなものがポッカリ抜けちゃったから、他のものが隙間に入ってくるんじゃないかなって思ってましたよ」
 
 幸三は妻の言葉に驚いた。体に空洞が空いたような云々などと、妻に話したことはなかった。しかし長年の付き合いで、自分の気持ちを見透かされていたようだ。
 
「商売の代わりに、友達かぁ」
 
 これまで淡々と仕事をこなしてきた幸三にとっては少し照れくさくもあったが、言われてみると悪い感じは受けなかった。
 
「ということは、廃業してよかったこともあったってことかな?」
 
「そうよ。商売だけじゃないのよ、生活は。だって現に、取って代わるものが見つかったんだから。だからあなた、まだまだこれからなのよ」
 
 ――まだまだこれから、ねぇ……。
 
 言われるまで、まったく考えたこともない言葉だった。そうか、まだまだなんだな、と口の中でモゴモゴと言った。
 
 幸三はその晩、店を見る気が起きずにさっさと寝室に入った。そして明日に思いを馳せながら、眠りについた。
 
 (1話完結なので、これでおわりです)

この記事が参加している募集

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。