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柳田知雪『明日、誰かに言いたくなる食べ物の話 ~ ブロッコリー ~』

『明日、誰かに言いたくなる食べ物の話』略して”あすたべ”シリーズ!
今回は第4弾!
今までのメロンぶどうエビの言いたくなるお話はこちらから!

隆宏の皿の上に、ドンと盛り付けられた丸茹でブロッコリー。
青々としたブロッコリーは、細かな模様の書かれたオシャレなお皿に分不相応であることも構わず、むしろ堂々とした風格でそこに鎮座していた。
そして、お皿の横には白いテーブルクロスがまた不釣り合いなマヨネーズのディスペンサーが置かれている。

散々悩んだあげく、スーツ姿の彼はナイフとフォークを手に取った。まだ赤い顔を茶化されながら、音を立てないようにブロッコリーにナイフを入れる。すとん、と落ちていったひと固まりをフォークで刺すと、白いマヨネーズのかかったそれを口に運んだ。

「美味しい?」

普段より着飾り、綺麗に編み込んだ髪を上げた彼女は、隣でにこにこと微笑みながら尋ねる。小さく頷き返す彼に、彼女はまた笑みを深めるのだった。

* * *

時間は少し遡る。

しっかりとした厚みの、温かみのある白い招待状を手に、葵と隆宏は都会の片隅にある結婚式場を訪れていた。挙式を終えてスタッフに案内されてやってきた中庭には、綺麗な白い石畳みを囲むように赤いバラが彩りを添えている。

「葵! 隆宏くん!」
「すみれ!」

葵はふっと、自分の肩から力が抜けていくのが分かった。格式ばった雰囲気に、自然と緊張してしまっていたらしい。すみれは長い前髪をさらりと耳にかけ、いつも以上に色っぽい。落ち着いた紫がかった紺色のドレスが肌を覆い、慎ましやかに彼女を引き立てていた。

「挙式の時は2人のこと見つけられなかったからさ、来てないのかと思った」
「確かに人多かったもんね。私は後ろの方から、すみれのこと見つけてたよ」
「え、本当? 隆宏くんも久しぶり……というか、幸せ太りした?」

すみれがちらっと隆宏へと視線を移す。隆宏は、少しふくよかになったお腹を撫でながら、恥ずかしそうにセットされた頭を掻いた。

「いやぁ、毎日葵のご飯が美味しくて……」

薄いピンク色のワンピースのレース袖で飾られた腕を緩く組んだ葵が、じとっと隆宏に視線を送る。

「違うでしょ。毎晩、残業しながらスナック菓子食べてるから」
「え!? 隆宏くん、それはマジでやばいよ。学校の先生で忙しいのは分かるけど」

すみれの遠慮のない一言に隆宏はしゅん、と顔を伏せる。葵としてはもっとすみれに言ってほしいところだったが、ここはお祝いの場なので適当に話を移すことにした。

「それにしても、茉莉(まつり)の花嫁姿、すごい綺麗だったね!」
「分かるー……バージンロード歩いてくる茉莉見て、うるってきちゃった」

葵、すみれ、茉莉、そして隆宏は同じ大学の同級生だ。
葵とすみれが同じ大学のゼミで知り合い、すみれと茉莉が高校からの同級生ということで、そこから3人で仲良くすることが多かった。

「俺まで呼んでもらって良かったのかな?」
「茉莉もぜひ、って言ってたし、隆宏だって茉莉が結婚したって聞いた時喜んでたじゃん」
「まぁ、それはもちろん」

隆宏ももちろん、すみれと茉莉とは顔見知りだ。大学時代から葵と付き合っていたので、よく葵とセットで飲み会に呼ばれていた。
酒が回るほどにウンチクを語り出す隆宏を、すみれと茉莉が面白がっていたというものある。大抵、酒の席での話なので、隆宏のウンチクを覚えていることは全員ほとんどなかったけれど。

「大丈夫でしょ。今日は興輝(こうき)くんも来るし……ほら、噂をすれば」

すみれが視線を投げた先を追えば、ちょうどこちらに気付いた彼がひらりと手を振ってやってくる。

「おっ、みんな揃っとるな」
「何、その派手なジャケット」
「めっちゃええやろー! これ、一目惚れして買うたん!」
「東京に染まり始めて、ますます関西弁が怪しくなってない?」
「嘘やん! すみれはホンマ、厳しいわー」

興輝もまた、よくつるんで飲んでいたメンバーの1人である。
隆宏の同じゼミ仲間という繋がりで、女子ばかりの飲み会に男1人は気まずい、といつも隆宏が連れてきていた。実際、飲み会にいればよく話を回し、話題と笑いを提供してくれているので、メンバーの中ではムードメーカー的存在でもある。

「久しぶりやなー、タカ。えらい肥えたんちゃう?」
「それもう、さっき言われたから……」
「いや、俺は別に責めとらんよ? やっぱあれか、幸せ太りか?」
「そのくだりもさっきやった……」

しゅん、としていく隆宏に興輝はけらけらと笑いながら肩を組んだ。もともと隆宏の方が背は高かったが、さらに興輝との体格差が出たな、と葵は密かに思う。興輝と隆宏は再会を喜ぶように、仕事やらの近況報告会が始まった。それを横で聞いていた葵を、すみれがぐっと自分の方へ引き寄せる。

「で、どうなのよ」
「えっとー、何のことかなぁ……?」

すみれの質問に、葵も意味が分からないわけではなかった。分かりつつも、言葉を濁してしまう。

「同棲してもう2年でしょ。プロポーズまだなの?」

予想通りの質問に、葵は視線を彷徨わせる。その先に興輝に絡まれる隆宏が見えて、小さく溜息を吐いた。

「まだだね……」
「えー!? だって2年だよ? 付き合ってもう6年でしょ? 私たちアラサーよ?」

すみれは小さな悲鳴を上げながら、こそこそと早口に葵に問いかけた。それをしみじみと頷いて聞きながら、葵はゆっくり口を開く。

「全く同じ言葉が頭に浮かんでは、胸に突き刺さる毎日ですよ」
「そ、そうだよね。ごめん……」

葵の地を這うような声に、すみれは珍しく引き下がっていく。

10月から隆宏と葵が同棲を初めて、気付けばもう2年が経っていた。過ごし始めた頃は、互いに気になるところも目に付いたけれど、1年を過ごすうちに譲歩の仕方も覚えたし、次第に一緒のいる空気が当たり前で心地の良いものになっていた。同棲前に抱いていた、相手を嫌いになるのでは? なんて心配も、いや心配して構えていたからこそ、杞憂として終わったのかもしれない。

そうなると、自然と考え始めるのは結婚である。

まさに今年の初めに茉莉から結婚報告を聞いた時も、2人の間で話題になった。先日、隆宏が両親と話している電話の声もちらりと聞こえてきたが、結婚というワードが漏れ聞こえてきたことも記憶に新しい。

「そういう素振りが、全然感じられないんだよね……」
「そうなんだ……」
「互いの誕生日も何もなく、9月の交際記念日も何もなく……何度か旅行も挟んだけど何もなく……あと今年希望があるとしたら、クリスマスくらいしか思いつかない」

ぼそぼそと呟く葵に、すみれはうんうんと相槌を返す。同じような話は1ヵ月ほど前にお茶をした時にも話したような気がしたが、やはり進展はない。

別れるなどという雰囲気は微塵もなく、穏やかな時間が葵と隆宏の間を流れていく。それが日常になりすぎて、今更1人で生活していた時に戻れるとも思えない。そうなると、今後のことを考えれば、どうしようもなく結婚という選択肢が目の前に現れるのに、その選択肢が見えているのは葵だけなのだろうか、と不安になってくる。

同棲をしよう、と言い出したのは隆宏なのだから、おそらく向こうにその気がないとも思えない。優柔不断な彼の性格を考えれば、いつ言おうか悩んでいるのだろう、とも容易に想像がついた。

でも万が一、隆宏が葵との結婚を迷っているからプロポーズしないのだとしたら?

そんな不安が過ると、自然と視線は下に落ちていくのだった。

「いっそさ、葵からプロポーズしちゃうってのは?」
「私から……?」

その発想はなかった、と葵はぱちくりと目を瞬かせながらすみれを見つめる。そして、まるですみれ自身がプロポーズするかのような真剣さで葵の肩を掴んだ。

「ほら、この後ブーケトスあるでしょ? 掴んだ人が次の花嫁なんだし、今日葵がブーケをキャッチできたら、きっと神様が言え! って背中押してくれてると思ってさ」
「う、うーん……?」
「それとも、やっぱり彼からプロポーズしてほしいって憧れを貫きたい感じ?」

そう言われると、葵自身にそこまでのこだわりはなかった。
プロポーズの理想のシチュエーションの話を誰かがしているのは聞くが、思えば自分にはそれらしいものがない。

何となく、してもらえるんだろうな、くらいの感覚だけあった。高級レストランや夜景の綺麗な場所、はたまた日常でさりげなく……などは特に気にしたことはない。むしろ、あの隆宏がプロポーズをしてくれるなら、どんな状況だって喜ぶ自信があった。

「確かに、いいかもね。自分からプロポーズ」

結婚したい気持ちはあるのだ。同棲しよう、と言ってくれたのは彼なのだし、今度は自分から言ってみるのもいいかもしれない。そう思うと、それまで塞いでいた気持ちが少し晴れてくるような気がした。

その時、雑多としていた人々に道を作るようスタッフが声をかけ始める。どうやら新郎新婦がやってくるようで、指示されるままに参列者たちは石畳みの端に避けて道を作った。バスケットに入った色とりどりの花びらが配られる。フラワーシャワー用の花だと、短く説明をもらってすぐ、本日の主役の2人が建物の中から静かに歩み出てきた。

「おめでとー!」
「お幸せにー!」

そんな祝いの言葉と共に、花が青空に散る。純白の衣装に身を包んだ2人は、少し照れながらも幸せそうに手を繋いで参列者たちの前を歩いていった。
奥に設えられた周りより一段高い台まで来た新郎新婦は恭しくお辞儀し、自分たちを祝ってくれる全員を見渡しながらマイクを受け取る。

「今日は、私たちのためにありがとうございます」

新郎の職場の人たちなのか、スピーチに軽快な合いの手を入れ、それにまたはにかみながら、新郎はスピーチを締めくくった。見計らったようにやってきたスタッフは、新婦の手に真っ白な花を束ねたブーケを手渡す。

「それでは女性のみなさん、お楽しみのブーケトスです!」

スタッフに促され、女性が新郎新婦のいる台の前へと集められる。そわそわとした空気が流れる中、ちらりと茉莉の視線が葵のそれと絡んだ。もちろん、茉莉も今の煮え切らない葵と隆宏の関係を知っているし、隆宏の性格も知っていた。彼女が目の前でブーケをキャッチすれば、さすがに何か思うこともあるだろう、と葵を応援したい気持ちもある。だから、頭の後ろに流したベール越しに葵を見遣り、ふっと口元に笑みを浮かべた。

「ほら、葵! 頑張って!」
「う、うん……!」

すみれにも背を押され、葵が前へと進み出る。

「では、花嫁さん……お願いします!」

葵の周りにいる女性たちが息を飲む。視線は新婦の一挙手一投足に注がれていた。背中を向けた新婦は、動きづらいドレスながらぐっと身体を丸める。

「そーれっ!」

茉莉は思い切り白いブーケを空に放った。大きな放物線を描いたブーケは、予想以上に長い軌跡を描く。

「あっ……」

集まっていた女性たちの頭の上を軽々超えたブーケは、小さな胸の中に綺麗に納まっていく。ぽかんと口を開けながら、会場中の視線を一身に浴びた少女は次の瞬間、天真爛漫な笑顔を零した。

「やったー! ママ見て、お花!」
「あ、う、うん! まだちょっと、あなたには早いかなぁ……?」

年端もいかぬ少女は、キャッキャッと嬉しそうにブーケを抱えている。少女の笑顔に周りの空気も和んで、わぁっと拍手が起こった。彼女の母親と父親だけが少し苦い笑みを浮かべる。
その微笑ましい光景に拍手を送りつつも、葵はがっくりと肩が落としていた。

「茉莉ったら、ホームラン級じゃない」
「あはは、そうだね」
「私が言ったこと、気にしすぎないでね? ブーケトスなんて、占いみたいなものなんだから」
「大丈夫だって。これだけ人がいるんだもん。簡単に取れるなんて思ってなかったよ」

隣にやってきたすみれの言葉に笑いつつ、茉莉はここぞという時に力むタイプであった、とふと大学時代のことを思い出していた。それだけ、葵に渡したいと願ってくれたのだろう。そんな茉莉の気持ちを察して、葵は小さく口の端に笑みを浮かべる。

ただ少しだけ、神様には「まだだよ」と言われているような気がしただけだ。

「さて、続いては男性も楽しめる……ブロッコリートスとなります!」
「「ブロッコリー?」」

葵とすみれが声をハモらせて、首を傾げる。すると、ブーケトス用に前に出ていた女性たちの代わりに、ぞろぞろと男性陣が前へとやってくる。その中には、隆宏と興輝の姿もあった。

「えー、知らない方もいらっしゃるかと思いますので説明いたしますと、ブロッコリートスは男性版のブーケトスです。アメリカが発祥とのことで、こちらは新郎さまに投げていただきます!」

男性版ブーケトス。
その中に、隆宏の姿がある。

すみれも見つけたのか、ブロッコリーか、と笑いながら呟いて葵の横で友人2人を眺める。

「隆宏くんがこういうイベントに参加するの珍しいね。興輝に引っ張られていったのかな?」
「いや……多分、違うと思う」
「え?」

葵は隆宏がそこにいる、という事実だけで、すでに胸がいっぱいになりそうだった。新郎の手に握られるブーケと同じように、可愛らしくラッピングされたブロッコリーを見据える隆宏の横顔は、無理やり参加させられたような表情ではない。
むしろ、どこか決意を込めたような、そんな強い光を湛えていた。

 * * *

葵がすみれと話し込んでいたその時、隆宏は隆宏で興輝に詰め寄られていた。

「すみれから聞いたで~……まだ、プロポーズのプの字も出とらんらしいやん」
「それはその……タイミングが、分からなくて……」

分からない、は何度も自分に言い聞かせた言葉だった。同棲を始めて、最初の1年は試行錯誤も多かったけれど、最近は本当に楽しく穏やかな時間が増えたと思う。

結婚というワードがテレビで見る度に、勝手にビクビクしている自分の気持ちにも気付いていた。そろそろ言わなければ。周りからの圧ももちろん増えてきたし、何より、自分だって葵と一緒にいたいという気持ちは変わらない。むしろ、同棲して強まったとも思う。

目が覚めれば、おはようと声をかけあって、一緒に朝食を食べる。余裕がある時は葵が弁当を作ってくれる。隆宏の方が早く帰ることが多いので、夕食は隆宏の大雑把な料理が多かった。時間のある休みの日はちょっと凝ったご飯を作ったり、気になるお店に出かけたり、とやはり食いしん坊同盟で結ばれた2人で食べるご飯は美味しかった。

もし、子供ともこんな風に美味しい食卓を囲めたら……

なんて考えると、タイムリミットだってある。おめでた婚だって今時珍しくないけれど、自分の親に報告することを考えると、一発は殴られそうな予感がしていた。

となると、もう自分からプロポーズするしかない。分かっている。でも、もしまた同棲の時のように保留されたら? 最悪、断られたら? なんて考えが過らないでもない。

「待たせとる自覚あるんやろ?」
「それは、もちろん。でも、世の男性はみんなどういうタイミングでやるものなのか……」

隆宏の言葉に、興輝は大仰に頭を抱えてみせた。彼は昔からリアクションが大きいのだ。

「そんなん、深く考えるもんでもないやろ。結婚したい、思た時がタイミングや」
「軽すぎるのでは?」
「うじうじしとるよりマシや。もう今日いけ!今日!」
「今日!?」

声がひっくり返りそうになった隆宏に、興輝はさらにぐっと詰め寄る。

「茉莉の結婚式見て自分もしたい~思うてん、でええやん。完璧やで」
「お前、相変わらず適当だな……」
「適当ちゃうわ。心配しとんねん。大学時代からの友達カップルが別れたなんて、寂しーやろ。お前が別れたら、俺がすみれと会う口実も減るし」
「え?」

おっと、と興輝が自分の口を手で押さえる。その様子に、ずっと背を丸めていた隆宏は、ははーん、と悪戯な笑みを浮かべ、少しだけ背筋を伸ばした。

「興輝、まだ諦めてなかったんだ、すみれのこと。大学卒業の時に告白してフラれたくせに」
「あん時は向こうに彼氏がおったやろ。状況がちゃうねん。今はお互いフリーやし」
「しつこすぎると、ストーカーになるから気を付けろよ」
「分かっとるって。いや、ちゃうって、今はお前の話!」

そんな話をしているうちに、ブーケトスが始まってしまった。前へと進み出る葵を見て、そしてキャッチできなかった葵が、少し残念そうに微笑むのを見て、隆宏ははっとする。

自分との結婚を考えてくれているのだろうか。もし、ブーケをキャッチしていたら、どんな顔でそのブーケを手にしていたのだろうか。

そんなことを考える隆宏の脇を、興輝が肘で小突く。

「見たか? 今の」
「うん、見た」

ブーケを幸運にもキャッチした少女に拍手を送りながら、2人はぼそぼそと呟いていた。拍手が間を埋める無言の中で、少しずつ隆宏の中で何かが固まっていく。

「さて、続いては男性も楽しめる……ブロッコリートスとなります!」

司会のアナウンスに、興輝は隆宏を振り返る。

「これや、タカ! 代わりにキャッチしたったらええやん!」
「ブロッコリートス……」

隆宏は、そのイベントの話を聞いたことはあった。今まできちんとした結婚式に呼ばれることもなかったため、遭遇するのは初めてだったが。

「行くで!」
「分かった!」

興輝と共に、隆宏は台の前へと近付いていく。周りは結婚適齢期らしい若い男性が集まっていて、イベント性が高いこともあってか、それぞれがそれぞれに気分を高揚させているようだ。

「ライバルは多そうやな」
「うん、でも……」

取らなければ。いや、もし取れなくても、プロポーズしよう。
ずっと一緒にいてください、って彼女にちゃんと気持ちを伝えよう。

そう心に決めて、隆宏はじっと新郎の持つブロッコリーブーケを見据えた。

「では、新郎さま、よろしくお願いします!」
「それっ!」

ブーケよりも重いそれは高らかに放たれ、男性陣の中へと飛び込んでいく。それは隆宏よりも、少し左へと逸れた。

「タカ!」

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