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芸大から職人の世界へ入るきっかけ。

こんにちは。

今回はボクがイタリアに渡るまでのストーリーを書こうと思います。

◼️強くなりたい:ボクが職人の世界を目指したのは大学4年生になろうとしている時です。当時のボクはブラジリアン柔術に熱中しており毎月発売される格闘技雑誌は全て買うほどに入れ込んでいました。そんな精神状態でやっぱり思うわけです。

「弱者は罪。強くなりたい。」

今考えると高校まで男子校にいたのも影響してか女子の割合が圧倒的に多かった大学の雰囲気に馴染むことが出来ていませんでした。だから毎日、道場に行って自分の存在を肯定したかったんだろうと今は思えます。だが当時は常に半ギレ状態の迷惑な人間でした。格闘技が未経験の人間とはほとんど話すことが出来ず彫刻を作る時も誰にも手伝ってもらえず大学内では孤独を味わい続ける学生生活でした。頭は坊主で年中半袖でズボンは柔道着。今考えても怖い(汗)

格闘技で得た良い経験を実生活に活用できない本当に悪い例でした。(道場の先輩に謝りたい。)

それに日々のトレーニングで得た体力とパワーで何でも一人で出来てしまい孤立を一層深めました。誰とも喋る必要がなかったのです。周りの人間を「飲み会繋がりで助け合わないと何も作れない馬鹿。セックス目的の集団。」くらいに思っているイタイ人間でした。

そんな突けば爆発する様な状態でも制作だけは真面目にしていたので教授達には可愛がってもらい芸術から離れることはありませんでした。実はその時からイタリアへの彫刻留学は周りの教授陣から勧められていました。教授達も数年イタリアへ彫刻留学をしていたのでたくさんのイタリア彫刻の巨匠達の話やブロンズや大理石彫刻の文化を教えてもらいボクも自然とイタリアを目指す方向に傾いていきました。そして副手に誘われたり友達がいずとも芸術をやる環境を周りに作ってらっていたと今、noteを書きながら気付いたのですがある本を読んだ事で暴走が始まりました。

村上隆の「芸術家起業論」との出会いです。この本との出会いがボクが大学へ抱いていた疑問を文章化して芸術からの離脱へと舵を切らすのでした。

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