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Keipyanの音楽会

(2018.06.27の記事の転載です)

けいこちゃんは、まさに純真な心で音楽を愛し、探究心を失わず、先入観よりもまず、目の前に面白そうなものがあれば、音を熱心に聴いてみる。

音そのものの持つ美しさや個性にも敏感だ。

トイピアノも海外から取り寄せたアンティーク物もから、千円以内で買ったというものまで。



全ての鍵盤のタッチが異なっているので、正直言ってこれだけの鍵盤楽器を次々に弾きこなすことは難しいと思った。

それでも、慣れた様子で右手、左手、右足、左足で、自由自在に音楽を奏でる。

目を瞑れば、彼女の彼女らしい世界観のある音楽に引き込まれるが、実際目の前には、なかなかシュールな絵図らになっていたりして、観客は時々笑顔になり、または笑いが起こる。

だが、クラシックのバッハやショパン、ドビュッシーなんかは、 周りに散らばったオモチャ達もひっそりと息を潜める。

ここでは王道のクラシックだ。

この時には観客はみんな息を呑んで、クラシックに聞き入り、まさに魂を奪われるかのような瞬間がある。

鍵盤に向かって揺れる彼女の身体や少しキラキラしたお洒落な爪の白い指が鍵盤の上を静かに行き交う様子、激しく踊る様子、音楽の流れる強弱においても、その佇まいも彼女の存在の全ても音楽となって、観客は飲み込まれてしまう。


彼女の演奏するクラシックは、情景が豊かで優しく、どういうわけか入り込みやすい。

それは、遠く離れた異国の文化や思想の中で昔の人によって作られた格調高い音楽としてではなく、何を差し置いても、まず、第一にKeipyanの世界だった。

流れる小川のせせらぎや、湿った草の中の匂い、ピクニックするのにバスケットの中からおもちゃを沢山取り出して、一人遊びする女の子の姿もあるかも知れない。

微笑ましさ、美しさ、愛らしさ、ユーモア・・・。

何よりも、Keipyanが音楽と共にあることを楽しんでいて喜びとしている。

彼女は、クラシックを勉強してきた人だけれど、クラシックの持つ伝統的な流れや築き上げられてきた形式、そして「こうでなければならない音楽」の気難しさの中に吸収されることはなく、クラシックを愛しながら、常にユーモアと愛らしさを欠かさない。

それが、みんなに緊張感ではなくて、穏やかさと笑顔を与えているように思う。

まさに彼女自身の言葉を借りれば、おもちゃ箱をひっくり返したような彼女の世界は、愛情や純真さ柔軟さと音楽への愛や探究心に溢れていて、観る人を飽きさせず、聴くひとの心を虜にしてしまう。


しかしながら、後で思い返しても、笑いがこみ上げてきて仕方がない。

こんなに、後になっても笑いのある音楽会なんて、聴いたことがない。

球体関節人形作家の丸木戸沙怒子ちゃんともさり気なく?

いや、大胆にコラボしており、盛大に広げられたオモチャピアノの上には、沙怒子ちゃん力作である人形やおっぱいチャームが並んでいたし、おまけに彼女が持ってきた人体模型のパーツも混じっていた。

後々写真を見れば、真剣に演奏するけいこちゃんと、これを真剣に聞く観客と、ピアノの上にぶら下がる沙怒子ちゃんのおっぱいチャームと・・・・。

なかなか見たことのない絵になっている。


ショパンの後だったか、観客の心は完全にけいこちゃんの音楽に奪われてしまい、余韻の中に取り残されていた。

合間に挟むトークで沙怒子ちゃんが持ってきて置いていた臓器模型が、男性の膀胱であることが発覚したが、誰もツッコめない程に、余韻に浸ってしまっていたのだ。

こんなのほとんど事件である。

踏みつけられて舌を出すツチノコは大人気で、そのほか理不尽な踏まれ担当キャラもチラホラ。

どの子もなかなかシュールで、ファンになってしまう。

きっと、なんども思い出すに違いない。

そして思い出したら、やっぱり笑ってしまう。

こんなに楽しい音楽会を未だ嘗て想像したこともなかった。


追記

「こんなにツチノコの似合う店他にないよ!」とKeipyanさんから褒め言葉を頂きました。

写真は私とツチノコの2ショット

Keipyanさん撮影




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