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褒められる効果について、改めて語りましょ。

こんにちは!すがどんです。

今回は、褒められる効果について、改めて語りましょ。というテーマで書いていきます。

あなたは最近誰かに褒められているでしょうか。もしくは誰かを褒めているでしょうか。

褒められることって、基本的に嬉しいですよね。子供の頃に絵を描いてお母さんから褒められたり、歌を歌ってお父さんから褒められたり、特に幼少期は親から褒められる機会が多いものです。(子供を褒めない厳しい親もいると思いますが。)

それがだんだん大人になっていくにつれて、褒められる機会は子供の頃よりも減っていきます。大人になっても褒められることは嬉しいことに変わりはないのにです。

褒められるということは、存在を承認されることと同義だと思います。あなたはここにいていいんだよ、ありのままでいていいんだよと認められることだと思っています。

無条件に褒められる(承認される)ことが多ければ多いほど、存在が認められているような気がして、その人は生きやすくなると思います。

一方で、条件付きで褒められ続けているとその条件を満たそうとして頑張り過ぎてしまいます。

そう。僕がそうだったのかもしれません。

嬉しいから、褒められることを追い求めていた

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僕は幼少期の頃は勉強も運動もどちらかというと出来ていた方でした。

田舎町の小さな学校でも、周りのクラスメイトより出来ていることがあることで、嬉しさを感じていたと思います。先生や親からも褒められることがよくありました。

「すがどんくんは、勉強も運動もできてすごいね!」

「縄跳びがそんなに飛べてすごいね!」

「すごいキャッチャーだね!」

こんな感じで、舞い上がってしまうような言葉をよくかけられていました。そうなると、味をしめたものでこの快感を何回も味わってみたくなるのです。

もっと頑張って、もっと褒めてもらおうと、小学生当時は野球を頑張っていました。頑張っていると結果も出て、チームメイトの親御さんから褒められたりする言葉が特に嬉しかったです。

例えば、試合後の打ち上げでご飯を食べ終わると、チームメイトと一緒に過ごすよりもチームメイトの親御さんの隣にいた方が褒められやすいので、よく大人の方に混じって時間を過ごしていたのを覚えています。

「あのヒットはよかったな!」

「今日のナイスキャッチで流れが変わったな!」

「よくあのスクイズ決めたよな!」

こんな感じでよく褒め言葉をもらいに行っていました。

でも、今思うとそれは条件付きの褒め言葉だったんですよね。

条件付きの褒め言葉を求め過ぎて、孤独になった

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"〇〇だから、すごい"と言った褒められ方は条件付きの褒め言葉です。

すなわち、〇〇の状態でなくなったらすごくないということになります。

そんなこととは露知らず、褒められることに味を占めた僕は、誰かにとってのすごい〇〇の状態を作り出して褒められることで、存在を承認されようと必死になっていました。

そうなると、当時の僕としては、褒められるために成功が必要です。褒められないことにつながる失敗は不要です。

失敗が不要なので、どんどん失敗できなくなっていきました。野球の試合で、失敗できないという気持ちがどんどん強くなり、失敗できないことが重圧となって、ある日の試合前に倒れて救急車で運ばれてしまいました。

その後、大学生になった時も卒業した後の進路を考えていた時にも潜在的に褒められないと存在が認められないと感じていて、脚光が浴びられそうな華やかな世界に憧れました。

そして、新卒のカードを使わずに脚本家・放送作家を目指して身一つで上京しました(無謀)。進路はしっくり感とともに決めるのがいいです。

憧れだけで突き進もうとしていましたが、だんだんと企画だったり脚本を書くなどの0から1を創り出す作業をやっているうちに、このようなクリエイティブな仕事は向いていないことがわかり、そこから人生の軌道修正をしていきました。

向いていない仕事をやっていると、思ってきます。自分ダメだなって。笑 それがよかったのか、だんだんと開き直っていったんですよね。自分は全然万能じゃないなって。

万能じゃなくてできないことがあってもいいじゃん。得意なことがあれば、その得意なことで誰かの役に立っていけばいいじゃん。そう思うようになりました。

そして、最終的には自分は無条件にありのままで存在していていいんだよ。と自分で自分を認められるようになっていきました。

無条件であなたは褒められるべき。ありのままでいい。

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よく考えると、人っていつどこに生まれたいと思って生まれてきたわけではありません。誰しもがそうなのですが、そんな中でも嫌なことがあっても毎日生きている。それだけで素晴らしいじゃないかと思ったりします。

自分は誰の役にも立てない人間だと一人で思っていたりしても、気づかないだけで誰かにとっては実は重宝される存在なのかもしれません。

社会には法律などのルールがあります。それさえ守っていれば自由にありのままで生きていてよくて、あなたはありのままのあなたでいていいと思っています。

どうか、誰かから褒められなくても、自分は意味ない存在だなんて思わないでください。

生きていくのに必要な条件なんてありません。

例えば、今なんらかの事情で働けていなくても自分を否定することはありません。そんな時期もあると思うんです。それに、必要以上に働かない人生だってありだと思っています。

誰かを傷つけてしまっても、自分を必要以上に責めないでください。そんな時もあると思うんです。自分なりに反省すればそれでOKだと思います。

いま誰の役にも立てていないと思っても、存在していてください。ありのままのあなたの存在が、必要なんです。

おわりに

今回は、褒められる効果について、改めて語りましょ。というテーマで書いてきました。

褒められると、自分の存在が価値ある存在だと思えて嬉しいものです。でも、〇〇だからすごい、という条件付きの褒め方には少し注意が必要です。

なぜなら、条件付きで褒められたときの快感を頼りに、その条件を作るのにがむしゃらに躍起になってしまうことがあるからです。

例えば、かわいいにもただ外見がかわいいのと、存在がかわいくて何がかわいいわけでもなく存在そのものがかわいいということがあると思うんです。この場合、後者の気持ちで褒め言葉をかけてあげると、相手が承認されます。

自分はここにいていいんだ、生きていていいんだと思えます。

世界が無条件の褒め言葉であふれて、ありのままで生きられる人がどんどん増えていったらいいなと思います。そのために、まずは自分が毎日を生き抜いている自分自身を無条件に褒めてあげましょう。

今日もお疲れ様、明日もよろしくね。ってな感じで。

それではー。

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